十五話
次の日の放課後。彼は自身の机でその日の自らの行動の反省をしていた。その日は冬休み前日のため学校が午前で終わっており、午前終わりの特別感、明日から冬休みという事実が教室を浮足立たせていた。その間、彼はその日何度も彼女に話しかけようと試みたが一度も成功しなかったという事実を睨みつけていた。
クッソ、結局話しかけられなかった。原因は明白だ。私の罪の意識と単純な恥ずかしさ。前者は簡単だ。彼奴の言い方的に、恋というものはかなり価値の高い行為であると考えられる。それを、只私の研究が進むからと言って行おうとするのは如何なものかと思った。後者は私にとっても意外だが、話しかけようとすると落ち着きが無くなってしまった。条件的に恥ずかしいのだと分かった。これらを変更して彼女に話しかけるとすると、前者はかなり、いや相当ゴミ野郎である事は何となく分かる。後者は慣れでどうにでもなる気がする。が、これまで異性として意識したことが無い事、三年生もあと三か月しかない事。この条件で考えるとあまり現実的ではないと考えられる。さてどうしたものか…。
彼自身はこのように考えていたが、実際の原因は焦り、罪の意識、倫理観、異性と話す恥ずかしさ、自分より優秀な人と話す事への恐怖、彼女がずっと友人と話している事による情報の伝播への懸念等があった。
「ねぇ、ちょっと今大丈夫?」
彼はワンテンポ置いて自分に向けられた言葉である事に気付き、意識を現実に戻し顔を上げた。
「うん、大丈夫だけど…どうしたの?」
彼は顔を上げた人物に少し驚きつつ返事をした。そこにはクラスの女子がいた。その事実に彼の脳が少し混乱する。
何で女子が話しかけてくるんだ。まさか今日僕が中野さんに話しかけようと試み続けていた事に気付いたのか?否定はできない、いつも彼女に話しかけようとすると焦ってしまうから周りへの配慮が疎かになっていた可能性がある。取り敢えず、相手の出方を伺う他ない。
「明日から冬休みじゃん?私元々目指してた学校よりもうワンランク上の学校にも頑張れば進学できるって最近塾の先生に言われてさ。冬休みこそ頑張って次の模試でA判定まで乗せよう!って意気込んでるんだけど…」
彼女が言葉を詰まらせ、髪をいじり始める。
成る程、つまりもうワンランク上の学校に進学したいけど勉強に行き詰まってる。そこで頭が良い人に勉強方を教えてもらおうという魂胆か。確かに進学は今後の人生に大きな影響を及ぼすものだが…そこまでして進学しても、向こうで困るだけな気がするが…まぁ本人がそう思ってるなら良いか。
「勉強を教えてほしいと」
「いや、えっと、まぁそういう事」
歯切れが悪いな。どうしたんだ?
「それで、どこら辺が分からないの?」
「えーっとね…」
そう言いつつ彼女は自身のバッグから分厚い本を取り出した。
「この参考書の…ここなんだけど」
そこには図形の証明問題が書かれていた。
「…随分分厚い勉強本だな…」
「塾の冬休みのテキストで、早めに配られたから今のうちからやっておこうかなって思って」
そんな彼女の言葉を聞き流しつつ彼は混乱した自身の脳内の整理に追われていた。
何なんだこれ。まるっきり基本問題じゃないか。そんな事あり得るか?いやしかし、ここの平行から角度が等しい事、円のあれでこの角が等しい事、この線を介してこの線が等しい事…どう考えても簡単な問題だ。頁数は…おい12頁って舐めてるだろ。まさか全部こんなんじゃないだろうな。
そう思いつつ彼がページを捲っていくと、しっかり色々と捻られていて、しっかり考えないと解けないような問題が現れた。
「…あのさ、上塚さんって毎回大体テスト何点位取ってるの?」
「え。えーっと大体160から175点位かな」
「だよな、そのくらいだよな。で狙ってる高校は?」
「えーっと、上から5番目くらいのやつ」
「そうだな、確かにワンランク上の学校って感じだな」
「う、何か他人に言われると傷つくなー、てかどう?解けそう?」
解けそう!?今解けそうかと聞いてきたのか?え?本当に?………駄目だ分からん。一体彼女は何が分からないと言うんだ。もう聞いてみるか…。
「えーと、これが分からない?」
「そう!」
「解き方が?解くコツとかではなく」
「コツがあるなら教えてほしいけど、取り敢えず今は解き方かなー」
「そうか。えーとね…」
彼が解き方を教えている最中も彼女はオーバーリアクションを続けた。
「わー!こんな一瞬で解けるなんてスゴいね!流石だよ!」
さっきから何なんだ。流石とかスゴいとか言い過ぎだろ。
「何かスゴい勉強法でもあるの?さっきもコツとか言ってたし、教えて!」
「良いよ。まぁ勉強法って言っても単純だよ。ただひたすらに問題を解き続ければいいだけだ。基礎問題から始めて、分からない事を潰していけばいずれ出来るようになる。コツは、まぁ解き続ければ分かるんだが、問題文から逆算することだ。最終的に行き着きたい結論を見据えると、問題の見通しがぐっと良くなる。この事を意識すれば、証明もさして難しくはないよ」
彼の答えを聞いた彼女は不思議そうな顔で彼を見つめた。
「…え?それだけ?」
「あぁ、それだけだ」
それだけとは何だ。あの問題を解けないレベルだったらそれ位のアドバイスが妥当だろう。逆に何が不満なんだ?
「それってさ。めちゃくちゃ効率悪くない?」
「効率が高い必要があるのか?」
「え…。だって勉強も大事だけど友達との時間はもっと大事でしょ?その為の時間は?」
成る程分かったぞ。彼女は僕に勉強法を乞いに来たんじゃない。効率の良い勉強法を乞いに来たんだ。ずっと違和感はあった。100点レベルの奴でも解ける問題、嫌に時間を気にしてるような言い回し。彼女は楽をして勉強が出来るようになる方法を知りたかったんだ。
「はっきり言おう。勉強に近道はない。コツコツやらなければそれ相応の力しか身に付かない。今の君は勉強と友達の両方を満足のいくレベルまで関わろうとしているが、残念ながらそれはあまり現実的ではない。取捨選択しなきゃいけないんだよ」
急にキツく言われた彼女は彼に反発するべく言葉を連ねる。
「つまり三輪君の言いたいことは、勉強には相応の時間がいるって事でしょ?でもいつも三輪君、テスト期間の勉強時間少ないじゃん。でも2位取ってる。おかしくない?」
「それはおかしくない」
「どういう事?」
「それは学校での定期試験だからだ。考えてみろ。僕達が受けるテストを作っているのは誰だ?」
「そりゃ先生達でしょ」
「そうだ。となれば、先生達の考えさえ分かってしまえばどの問題が出るか粗方分かる。だからそこら辺を重点的に勉強すれば、時間を使わず良い点が取れる、という事だ」
「じゃあ受験でも同じ手使えばいいんじゃないの?過去問なり使って」
「それは御尤もな意見だ。というか、皆過去問を解いて受験の傾向は大体分かっているだろう。でも、それは皆知っている。そして受験は人生の一大転機。この意味が分かるか?」
「…分かんない」
「それはつまり、皆もやってるって事だ。仮に皆やってるそれをやっても差別化にはならない。そして君はワンランク上の学校に進学しようとしている。つまり?」
「…他の人より多く勉強して応用が効くようにしないといけない…って事?」
「その通りだ。応用力は、努力の上に成り立っていると言って良いと思ってる。じゃあ後は家で頑張ってくれ」
そう言いつつ彼は席を立って帰ろうとした。がその時、彼女は腑と思い出した事を口に出した。
「そう言えば、中野さんは全然違う事言ってたよ」
その事実に彼は動揺を隠しきれず、歩き始めていた脚を止め、彼女の顔を睨みつけた。
「何だって?」
すぐに動揺を隠し、彼女に質問する。
「えーっとね、確か”問題の本質を捉えて考えれば自ずと答えは分かる!”って言ってた」
「へぇー…」
は?何なんだよそれ。自ずと分かる、だと?しかも彼女の言い方的に相当ラフな言い方だ。これまでの俺の努力もまた才能の前では無駄に等しくなってしまうのか?
彼の心はまたいとも容易く破壊された。
…もう駄目だ。才能の壁は到底越えられない…。
「上塚さん…」
「な、何?」
「彼女は天才だ。僕を含めた凡人とは訳が違う。彼女と僕らでは思考の正しさが違う。彼女は全てにおいて常に正しい。我々凡人とは違うんだ。私は私の方法で勉強する事をお勧めする。一時の感情で人生を棒に振るような判断はするな、とだけ言っておこう。頑張ってくれ」
「う、うん」
「それじゃ、良い冬休み…まぁ良い冬休みを」
彼女は急変した彼の態度に驚きつつ、狂気じみた雰囲気を纏った彼の背中を見る事しか出来なかった。




