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天才理論  作者: 三輪 圭一 ・
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第十一話 butterfly

次の日の夜、彼の部屋にはいつものように勉強に励む彼の姿があった。筆跡、手を動かす速さ、姿勢、呼吸の深さ、体温、心拍。いつもと何ら変わらない、誤差レベルの違いしかそこには存在しなかった。唯一違うのは脳内での神経伝達物質の動きくらいだろう。

はぁ。今朝は驚いたな。昨日疲れててあまり集中出来なかったからと言って勉強を途中でやめてしまうとは。結局起きて机を見たら平然と終わってない宿題が置かれてて驚いたわ。…というか、この俺が宿題を前日中に終わらせていなかった?勉強を放棄して寝たというのか?確かに、昨日はあまりに疲れていたとは思う。が、勉強をやらない程の疲労ではなかったと記憶している。昨日の事を覚えていなかったらもうそれはヤバいからきっと大丈夫だろう。これは非常に興味深い問題だ。勉強に全力で取り組み、家での時間をほぼ全て勉強に捧げているこの俺が、何よりも勉強を優先するこの俺が勉強を放棄するとは。…この場で考えられる可能性は思いつく限り三つ。一つは自覚していないだけでマジで疲れていた事。二つ目はあまりに急激に自体が変容したため脳が極度に疲れていて、勉強よりも大事な何かを守ろうとした。…そして三つ目。最もあり得なくて俺らしくないが、勉強よりも大事な何か(・・)が新たに生まれた事。一つ目はかなり確率が低いだろう。疲れていたなら目がしょぼしょぼしたり、瞼が重くなったり身体的な何かが起こるはずだ。二つ目は無きにしも非ずって感じか。脳の疲れは感知しにくい。意識が朦朧とする、甘いものが欲しくなる等の身体的な変化が起きるはずが起きていない。意識が朦朧とするに関しては昨日は放課後からずっと意識が朦朧としているから、というかここ最近、いや最近というほど最近ではないか、結構前から脳に靄が掛かったような感覚があるから判断しかねる。特段甘いものを欲した記憶もない。となると、残る選択肢は三つ目の可能性か。俺らしくないと思う。がしかしあり得ないと断言もできない。昨日の木村達が帰ってからの俺の態度、ここ最近の俺の態度。明らかに彼らを大事にしようとしている傾向があると認めざるを得ない。更に、昨日の考察より、彼らとの会話時には自動的に会話プログラムが有効になるようになってきている。つまり、会話プログラムの権限が上昇しているという事。即ち、友人を思うがために創った会話プログラムの価値が上がったという事。即ち友人の価値が上がったという事。そして、その肝心の彼らがテストの結果によって態度を変えなかったという事実によるテスト点と友人関係の因果関係への信頼性の低下。信頼性の低下に伴う高得点を取るという事によるメリットの期待値の低下。それによるテスト点の必要性の低下。即ち勉強の必要性の低下。このプロセスが仮に昨日の私の脳内で行われていたなら、三つ目の可能性がぐんと高まる。正直言って認めたくないが、この可能性が最も高いという事もまた事実。仮にこのプロセスが昨日脳内を走っていた場合、まずい事になる可能性が発生する。勉強よりも友人を優先してしまうという事は、即ち一年生の頃のような生活になる可能性が高くなるという事であり、受験期真っただ中の奴があんな生活をしていたら親が心配するだけでなく、勉強をしない事によるテスト点の低下。その状態に鑑みた先生たちの気苦労、心配の念を考えるだけで申し訳なさがこみあげてくる。それはいけない。…という事は……矛盾が発生してしまっているという事だ。勉強よりも優先すべきことがある、勉強を一番にしなくてはならない状況にある。どういう事だ。…こういう時は自問自答に限る。まず、何故勉強しなくてはならない状況にあるのか。受験生だから。受験生だからと勉強しなくてはならないのか。そう。未だに現代社会は学歴社会であり、より良い大学に進学すればより給料が増え、幸せな生活が待っているという事である。そのためにまず高レベルな進学校に進学する必要があるため、出来る限り勉強し、多少背伸びしてでも良い高校に進学する必要がある。…それを理解しているのならば、中学受験も検討するべきだったのではないか。あの頃はまだ若かった。中学で受験するなど眼中にあるはずがない。つまり私は中学受験しエリートとなった彼奴(・・)より視野が広くなく、無能であると。断言はできない。子には基本的に親という存在があり、親は我々子供よりより広い視野を持つ。彼らが息子娘に中学受験を勧めるケースがあっても不思議でも何でもない。…論点がずれ始めたな。それはつまりここまでの理論は非の打ち所がない、正しいという事だ。こちら側の正当性は証明できたと言えるだろう。では次。まず、何故勉強よりも優先しなくてはならない何かがあると言えるのか。昨日の私の行動に鑑みるに、確実に勉強の価値が低くなったと言えるから。あくまで低くなっただけで他が高いとは限らないのではないか。それはない。ヒトとは、基本的に物事を相対的にしか見れないという事は既に分かっている。それに、仮にヒトが絶対的に物事を見れ、勉強の価値が下がっただけならば、私はきっと何もしなかっただろう。あの時私は確かに気分転換を行おうとしていた。それ即ち別の事で行き詰まっていたという事。つまり他の事を行っていたという事。即ちヒトが相対的に物事を見れまいが絶対的に物事を見れようがとどのつまり勉強の価値を上回る何かがその時の私に存在していたという事が言える。では何故勉強の価値は下がったのか。逆にその何かは何故価値が上がったのか。放課後の様子に鑑みるに、その何かは友情他ならないと言える。そして昨日の考察、勉強を止めたタイミングより、友情の価値の急激な上昇。また、友情とテスト点、勉強との間の相関は小さいという事実があるため…。という事は。私は友情のために勉強をしていたという事?つまり、矛盾が発生したのはこの矛盾の裏に全く違う目的があったから?うん?勉強をするのは何のため?友情のため?それとも将来、進学のため?勉強とはそういうものだっただろうか?……

思考に行き詰まった彼は机に置かれた時計を一瞥する。その時計は既に十二時を回っているという事実を周囲に発信していた。

「もうこんな時間か」

彼はそう小さく呟きつつ自主学習ノートに目をやる。そこには授業内容が綺麗にまとめられた一ページがあった。

「まずい」

今日はまとめる授業が三つもあるのにまだ一つしか終わってない!

そこから彼は大急ぎで宿題を進めたが、結局彼が床に就いたのは二時頃だった。


次の日も彼の思考は留まらなかった。勿論勉強しながらだが。

昨日の続きだ。…つまり勉強の意味を見出せば良いんだな。

勉強の意味という言葉に、彼は記憶領域から一つの記憶を思い出した。

"中世の人達にとって、勉強は暗記じゃない。"

"理解して記憶する"

去年、理科の先生が言っていた言葉だ。あの頃も多少引っかかっていたが、今聞くと妙でしかない。勉強は暗記じゃない?どういう事だ?理解して記憶する?うーん。うーん。

結局その日は彼にとっての勉強、もとい学ぶという行為の定義、そして彼なりに考えた理解という行為の定義を決めるところまでしか研究は進まなかった。が、彼は確実な手ごたえを感じていた。


次の日。今日も彼は思考する。

昨日は定義づけで終わってしまったからな。今日はその続きだ。結局、学ぶという事は"データを記憶域に保存する"という事。理解するという事は"どうしてこれがこうなるのか、その法則を作った人の思考をトレースし、その思考の過程を記憶域に保存する"という事と定義づけした。つまり、先生によれば、真の勉強の意味とは、過去の偉人たちの思考をトレースするという行為を繰り返すという事?繰り返すとどうなる?繰り返し…慣れる、という事?慣れるという事はその人の根本がそれに近づくという事?という事は、そのような思考回路を皆が持つようにしようとしているという事?という事はこれは思想統制に近いものがあるんじゃないだろうか。勉強が出来るようになれば褒め、褒められればヒトは頑張ってしまうからより勉強し、どんどん彼らの思考回路に近づいていってしまう。皆が一色単になっていく。個性が消えていく。個性が消えたヒトはもはやロボットと同義と言えなくもないロボットは非常に扱いやすい教育方針を決めているのは国国はかなりの権限を持っている立場が上の存在上からしてみれば扱いやすい方が良いつまりより勉強させ個性を無くしていった方が有益勉強学歴がものをいう社会皆が勉学に励む金地位等は勉強ができた方が得やすい社会テスト点を公表し競争させる学校勉強ができた方が優位な学生生活会社での立ち位置皆が勉強が一番だと思うように仕組まれた社会構造

彼の手がまた止まった。そして、我に返ったかのように彼の脳は冷静さを取り戻し、自らを完全に俯瞰しまた思考を開始する。

…待てよ。今俺がしている事は何だ。そう。考えるという行為だ。では考えるとはどういう行為なのか。例としては、「答えを考える」「何が正解か考える」という文章の流れ的にきっとこう定義づけ出来るはずだ。考えるとは"入力されているもの、つまり記憶から最も適切なものを選び出力する"という事。最も適切とはなんだ?何をもって最も適切と言い切る?いつも考えるという行為が出来ている以上確実に何か適切か否かを決定する判断基準が存在するはずだ。適切かを判断する…判断を下しているのは私自身…これまでの違和感……つまり、適切か否かを判断しているのは完っ全なこの私の主観であるという事だ!

シャーペンを握る力がどんどん強くなっていく。

私の中で主観とは思考回路と同義である。つまり思考回路がどのような判断を下すか完全に決定しているという事であり、その思考回路は勉強によって変容を続けている。確実に勉強するとしないとでは思考回路の形が違う。今の私の思考回路は対テスト用の腐りきったくそったれなもんだ。対テスト用…では彼女はどういう事だ?彼女は勿論勉強しているとは言え俺より勉強時間は少ない。勉強時間が少ないイコール対テスト用の思考回路が十分に形成されていない。それなのに俺よりも高い点数を平気で取ってくる。…イコール彼女は思考回路をあまり変化させる必要がないイコール元々対テスト用の思考回路に近い思考回路を有しているイコール彼女と私の差は生まれつき持ったものの差イコール

「才能じゃないか!」

そう叫びつつ彼は立ち上がる。まだまだ思考は止まらない。

思考回路は才能と依存関係にあるイコール主観の正当性と才能の間にも依存関係があるイコール俺に才能が無い場合私の主観の正当性が失われた場合これまで行ってきた思考は全て俺の主観によって判断が下されてきたという事だから

彼は体を回転させ机から壁に体の向きを変え、左脚を少し後ろに移動させた。

これまでの研究全てが間違っている可能性がありしかもその可能性は俺の研究上かなり高いしかしこの結果を下しているのも俺の思考回路でありこの思考は袋小路になっているためあまり有意義とは言い難いがこれだけ勉強しても一位を取れなかったという事才能がない、思考回路が適切でない、俺の主観が間違っている可能性が高いというのは事実でもそれぞれを繋げているのは俺の主観なのでこれも正しいと断言する事は出来ない…もし何が正しくて何が間違っているのか主観以外で判断で判断できないのなら俺の間違った思考回路で考えても無駄かもしれないでも仮にそうだとしたら皆は何ももって正しいか正しくないかを判断しているのだろうか基本的に糾弾されるのは常識から外れている行動をした場合では常識とは何だ当たり前とはこれまで見てきた様々な状況友人いじめ部屋教室更衣室帰り道テレビゲーム動画俺から見て明らかに常識とかけ離れた行動を取っていても糾弾されない場面その場の皆がその行動を取っている時つまり常識あたりまえはそのばそのばによってかわるひじょうにしゅかんてきなものでありきゃっかんせいなんてひつようないかのうせいがそんざいしだがそれをしゅつりょくしているおれのしこうかいろもまちがっているかのうせいがある

「結局何やっても無駄じゃないか!」

左手に握りしめていたシャーペンを壁に全力で投げつける。

無駄!ぜーんぶ無駄!客観性なんて存在しない!

壁に激突し地面に落ちたシャーペンに向かい歩いていく。

この世の全てにおいて正しい正しくないなんて言うのはヒトの傲慢であり結局全て個人個人の主観で決められたその人にとっての都合にいい解釈に過ぎない!そして皆そんなちんけなものに縋って、俺も縋ってて、信じてて、それを理由に惨い事もできて…醜い!醜い醜い醜い醜い醜い!もうヤダ!こんな存在に生まれてしまった、なってしまった事を悔やみきれない!他人を傷つけても平然と正義だから当然って顔して嘲笑ってる!皆も!俺も!あり得ない!あまりに自分本位で、都合よく解釈しすぎて気持ち悪い!自分が主人公がごとくしかもそれを当然として扱っているしかもそれに気づきもしない!あり得ない!醜すぎる!

シャーペンの前にたどり着き、しゃがみ込みシャーペンを掴む。そしてシャーペンの両端を両手に持ち、力を加えていく。

勉強なんて結局操り人形になろうとしているに過ぎない!何度も繰り返す事によってその工程を無意識レベルで出来るようになってる俺なんていい例だ。そうやって社会に適した、そうあくまで俺個人でなく社会に適した思考回路に変化していくんだ。そうやって盲目的に大人たちの言葉信じてバカみたい!勉強やったら明るい未来が待ってる?ふざけんなよ!夢見るのも大概にしろ!その甘い言葉を掛けてきてるのが、ロボットの方が使い勝手が良いと思ってる奴等だっていう事なんてすぐ分かれよ!馬鹿野郎!

シャーペンが軋み、ミシミシと音が鳴りだしたとき、彼は腑と我に返った。

滑稽だ。感情(・・)なんかに振り回されて、後先なんにも考えちゃいねぇ。滑稽。正に滑稽。せめてこの事に気付いた俺だけでも、醜くないよう努めるべきなんだ。そして今ここでシャーペンを折ったところで何になるというのだ。日常は続いていく。明日親が見たらなんて言ってくるかくらい容易に想像できるはずだ。今私が論ずるべきは正しいか否かじゃない。その行動がいかなる結果をもたらし、果たしてどうなるのかを完璧に推測し、そして醜くないよう選択肢から選択を行う。これが今の私のすべき事。そして、才能がある人物、もとい天才にさえなれば私は間違った選択をする可能性はゼロに近くなる。つまり当面の目標は、天才の定義の発見。天才と凡人の差。その差を埋めるにはどうするべきなのか。という事だ。実にシンプルじゃないか。なに、焦る必要なんてどこにもない。これまでと同じじゃないか。

彼は一度大きな深呼吸をし、勉強をさっさと終わらせ、いつも通りに過ごし床に就いた。その間、親はまだ仕事中であり、家には居なかった。

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