21th Chart:攻撃隊進発
12月8日 北緯10度37分 東経153度53分
その日、中部太平洋の洋上は普段とは異なる喧騒に包まれていた。
普段は平均水深4000mを超える大洋の只中を、我が物顔で回遊する大型魚や海生哺乳類だったが、今日ばかりは自ずから道を譲った。
外海の荒波を押しのけ、大小のスクリュープロペラで海水をかき回し、騒々しく頭上を行進する異様な連中を、仲間だと思って近づく間抜けなどいない。
せいぜい好奇心旺盛なハンドウイルカ達が、遠方から響いてくる聞きなれない音に耳を澄ませている程度だった。
上空を旋回する海鳥からは、南西から北東に向けて数十条の航跡が、刷毛で漉いたように伸びている光景が一望できる。
各地の鎮守府を出発し小笠原諸島近辺で合流したのち、一路トラック諸島へ向けて南下していった、大日本帝国海軍、第一航空艦隊の精鋭の姿だった。
中央に位置した10隻の空母と2隻の航空戦艦を、30隻以上の大小の巡洋艦や駆逐艦が取り囲む堂々とした輪形陣には、一部の隙も見ることができない。
特に最外に配置された駆逐艦の見張り員は、イワシ一匹、ハエ一匹見逃すまいと空と海を睨みつけ、艦底部では熟練の聴音手が味方の騒音の中に紛れようとする潜水艦に神経を尖らせている。
この作戦に先駆け海上護衛総隊から選りすぐられ引き抜かれた精兵は、これまでとは異なる正真正銘の適地の真っただ中を、精神の摩耗と引き換えに艦隊の安全を保障してきた。商船護衛とはまた勝手の異なる任務ではあったが、事ここに至って、漸く折り返し地点と言えるだろう。
母港に戻り、舷梯を下ろすまで気が抜けない事を熟知する彼らにとっては、輪形陣の中央で出番を前に血気に逸る勇者たちを他所に、『できて当たり前』と冷笑される仕事を淡々と続ける他無かった。
そんな『車曳き』達の苦労を他所に艦隊中央では、10隻にも上る航空母艦の甲板上に敷き並べられた三機種の艦上機が、暖機運転を行っている。
九九式艦上爆撃機に搭載された金星四四型エンジン、九七式艦上攻撃機の栄一一型エンジン、さらに零式艦上戦闘機の機首ではより強力な栄二一型エンジンが、太洋の眠りを引き裂かんと轟音をたて、無数の翅が甲板上の大気を艦尾へと押し流していた。
「搭乗員整列!」
第一航空艦隊、第二航空戦隊に所属する空母『蒼龍』の甲板上に号令が轟き、第一次攻撃に参加する搭乗員62名が整列する。
誰もが顔を紅潮させ、【必勝】と筆書きされた鉢巻を巻いている者も少なくない。
演壇の近くには、『蒼龍』飛行長楠本幾人少佐の他、第二次攻撃に爆撃隊の総指揮官として出撃する飛行隊長の江草高繁少佐や、『蒼龍』を旗艦とする第二航空戦隊の司令部要員たちが、搭乗員達と対面するように整列していた。
後方で響く暖気運転の唸り声と、甲板上を吹き抜ける海風の中、第二航空戦隊を預かる猛将――山口正成少将が簡素な演壇に上る。気合に満ち溢れてはいるが、静かな色を湛えた視線が搭乗員を見渡し、彼らの敬礼に答礼を返した。
「皆、ご苦労。護衛部隊、及び先んじて進出した潜水艦隊の支援もあり、我々は無傷でトラック環礁を指呼の距離に捉えることができた。後は諸君が、フラグレス西太平洋艦隊主力を葬るのみだ。これまでの訓練で培った技量を存分に発揮せよ」
余り長々とした訓示を垂れる習慣がなかったため「以上」と言いかけるが、ふと数か月前の『伊勢』での光景が頭に過る。僅かな逡巡の後、二航戦の面々にとっては今更な蛇足ではあると承知しながらも、最後に一言付け加えた。
「また、諸君らは皇国を守護する鉾ではあるが、務めを終えたと早合点し、簡単に折れることは許さん。七度生死の境を彷徨ったとしても、七度生還し国家の為に尽くしてもらいたい」
”人殺し”と揶揄されるほど苛烈な訓練を施してきた提督の口から飛び出た言葉は、驚くほどすんなりと搭乗員達の胸中に浸透していった。
確かに訓練は想像を絶する厳しさではあったが、それは技量未熟により自分たちを無駄死にさせまいとする司令官の意志であると、誰もが理解していた証拠だった。
「それが、七生報国の真意だと肝に銘じて欲しい。諸君らの武運を祈る。以上!」
ザッ、と甲板を擦る音が響き、124の瞳が命を懸けるに値する指揮官を見上げる。
彼らの視線を一身に受けた山口は、この中の数人が二度と『蒼龍』に戻らないことを悟るからこそ、今一度それぞれの顔を目に焼き付ける様に答礼を返した。
続いて演壇に登ったのは、二航戦の参謀を取りまとめる伊藤首席参謀だった。
「トラック諸島迄の距離は凡そ220海里だ。環礁内にはフラグレス西太平洋艦隊の主力多数が停泊しているが、吐いて捨てるほどいる雑魚には構うな。第一の目標は戦艦、中でもレガシー・ナインは最優先で攻撃せよ。艦攻隊は淵田総隊長の指示のもと、血気に逸らず戦力の配分を違わぬよう注意されたい。また、非常に確率は低いと考えてはおるが」
伊藤首席参謀の視線が、比較的端の方に集合している8名の搭乗員へと移った。
これまでのフラグレスの実情を鑑みれば、彼らの出番があると言う確証は未だ持てない。しかし、壇上を見上げる目には艦攻隊と同じか、それ以上の闘志が見て取れる。
「――フラグレスの航空機と一戦交える恐れもある。その場合、艦攻隊を守れるのは、戦闘機隊のみとなる。しかし、畏れることは無い。鍛えに鍛えた腕を、得体の知れない幽霊共に見せつけてやれば良いだけの事だ」
戦闘機隊の面々が頷く。敵機の襲来が無くとも、8機の零戦は敵艦が対空砲火を打ち上げてきた場合に、艦攻隊を援護する為機銃掃射による制圧も指示してある。
いくらフラグレスでも、対空火器に重厚な装甲は施されていない、零戦の二〇ミリ機関砲ならば、十分制圧できるはずだ。
「また、先ほども司令官が仰られたが、決して死に急ぐなと重ねて厳命する。諸君らの出撃後、一航艦は攻撃隊の収容の為全速で前進し、距離を詰める。一人でも多くの搭乗員を生還させるため、艦隊でも最大限の努力を払うので、諸君らも最後まで諦めないで欲しい。以上」
「敬礼!」と楠本飛行長の号令と共に、再び62名が敬礼する。直後、「かかれ!」の号令と共に、回れ右をした搭乗員達が、我先にと愛機に走り寄った。
十分な暖機運転を行った26の鋼鉄の心臓は、今まさに始まろうとする出撃に胸を高鳴らせる様に軽快に回っている。コクピットに収まった搭乗員達が最終確認を行う中、飛行甲板の端に突き出したこじんまりとした艦橋では新たな動きが起こっていた。
「風に立て、取り舵20!両舷前進全速!」
艦長の柳本隆作大佐の号令が走ると、一足先に前方で左へと回頭した『榛名』に続くように、『蒼龍』の艦首が左へと振られる。金剛型とは異なり、初めから純粋な航空母艦として建造された基準排水量15900tの艦体がウネリを押しつぶし、艦尾から伸びる白い航跡が泡交じりの円弧を描く。針路が滑らかに左へと移っていく中、飛行甲板前縁から噴き出された水蒸気が、徐々に艦中心軸に沿うように流れ始めた。
艦橋から周囲の海を見渡せば、姉妹艦の『飛龍』『雲龍』『白龍』は勿論。かつては巡洋戦艦として生を受け、帝国海軍の意識改革の象徴ともなっている改装空母『金剛』『榛名』『比叡』『霧島』の4隻。更に、『蒼龍』を範として更に大型化、高性能化を突き詰めた新鋭の翔鶴型航空母艦『翔鶴』『瑞鶴』の姿があった。
日本本土から遠く離れた海上で、帝国海軍が保有する大型空母の全てが、発艦に用いる合成風力を得る為風上へ向けて最大速力で航行し始めた。銀翼の矢を番え、弓を引き絞った10騎の巨大な騎馬武者が、白み始めた東の空を目指し、飛沫を蹴立てて青黒い海を疾走していく。
甲板上では第一次攻撃隊26機分のプロペラが、時折艦首から吹き込む飛沫を合成風ごと飲み込みつつ、出発の時を今や遅しと待ち構えていた。
「――いよいよ、だな」
「ああ、全く。この日が来てしまったな」
「司令官!」
ぼそりと呟いた声にまさか反応が――それも甲板から上がってきた二航戦司令官から――帰ってくるとは思わず、素っ頓狂な声を上げてしまう。
目を白黒させる柳本に、「なんだ、俺に言ったんじゃないのか」と悪童の様なお道化た顔を見せた山口は、第一次攻撃隊の出撃を見守るべく、幕僚を引き連れて艦橋横の通路に足を向けた。
回頭によって落ちていた艦の速度が最大になり合成風力が安定すると、発艦指示を受け取った楠本飛行長が旗を振り、続いて甲板士官が両手の旗を振って口に咥えたホイッスルを吹き鳴らす。
明灰色に塗装された零戦の中で、最前列で待機していた制空隊隊長機の輪留が払われると、栄ニ一型エンジンが歓喜の咆哮を上げ、全備重量2679㎏の機体が、遮るものの無い飛行甲板の中央を滑り始めた。
前方から吹き付ける暴風を三翅のプロペラが飲み込み、一瞬遅れて小さな尾輪が浮き上がる。そうして僅かな距離を駆け抜けた機体は、飛行甲板の前縁を蹴って宙へと躍り出た。
燃料と弾薬をたっぷりと飲み込んだ機体は一瞬沈み込むが、直ぐ後に軽快なエンジン音を響かせ、主翼に紫紺に染まりつつある空を写しながら上昇に転じる。無事に飛び立った一番機に続けとばかりに、二番機、三番機が順序良く飛行甲板を駆け抜け、未明の薄暗い空へと駆け上がっていく。
零戦の発艦が終わると、次に飛龍艦攻隊の長機である九七艦攻が滑走を開始した。
搭載するエンジンは既に過去のモノとなりつつある栄一一型ではあるが、入念な整備によってその全力を発揮する事に支障はない。星形に配置された14のピストンがリズミカルに上下し、潮風を攪拌する三翅のプロペラが大柄な機体をグイと引っ張り加速させる。
甲板の端に居並んだ手すき乗員の帽振れと、艦橋横の通路から見下ろす二航戦司令部の高級将校たちの敬礼の中、1本当たり800㎏程の重量を持つ航空魚雷を抱いた九七艦攻が、零戦の後に続いて飛行甲板前縁を蹴った。
全備重量で四トン近い機体が重力に引っ張られ、騒々しい余所者に掴み掛からんと手を伸ばす海面近くにまで沈み込むが、次の瞬間には華奢な着陸脚を収容しながら上昇に転じている。
一見危うく見える隊長機の発艦ではあるが、身重の艦攻隊にとっては見慣れた光景だ。二番機以下、飛龍艦攻隊の面々は臆することなく後に続いていった。
遠くの方で編隊を組み終えた攻撃隊が、エンジンの轟音も高らかに第一航空艦隊旗艦『伊勢』の上空を、隊列を組んで南の空へと通過していく。しかし、まだまだ夜空と呼べる天球には、海鷲達の影がおぼろげに黒く浮かんでいるのが微かに見えるだけだ。
航空戦艦として改造された結果、全長の三分の二を占める広大な飛行甲板を持つに至った『伊勢』では、発艦準備を待つ零式水上偵察機の間や、対空砲の砲座から、手の空いた乗員たちが頭上を航過していく戦友たちに、思い思いの声援を送っていた。
静かに敬礼をする者もいれば、帽子がちぎれるかと思うぐらい振り回す者、拳を突き上げ何事か怒鳴っている者、中にはどこか複雑そうな表情でにらみつける様に空を見上げている者も見える。
――いや、それは俺もか
他の連合艦隊司令部の面々と共に『伊勢』の艦橋から攻撃隊の出陣を見守っていた宇垣は、不意に自嘲の感情を覚えた。
台湾からの撤退戦を何とか成功させた帝国海軍が、20年の時を超えてようやく開始する”反撃”。そこで我が軍が頼みとするのは、旧来より連綿として気づかれてきた鋼鉄の城塞による艦隊決戦では無く、半世紀前には影も形も存在しなかった、航空機と言う名の鋼鉄の翼だ。
砲術を志し、連合艦隊の参謀長にまで上り詰めては見た物の、気が付けば周りに同類は居なかった。
何れ、この参謀長の椅子も航空戦に長けた人物に譲ることになると、漠然としてはいるが明るくはない未来予想図が広がっている。
否、既に形骸化しているとも言えるだろう。
連合艦隊を牛耳る山本大将は、奇人とも呼び声高い亀島首席参謀や、生粋の航空屋としてかつては戦闘機の操縦桿を握っていたこともある三和作戦参謀を重用し、参謀長であるはずの自分は、作戦立案から半ば隔離されているも同然だった。
『日向』の艦長に着任した松田大佐と話をする機会があり、「作戦に関われなくて暇だ」と柄にもない愚痴をこぼしてしまうほどだ。
とはいえ、そんな個人的な郷愁や歯痒さによって、不貞腐れる贅沢に浸り続けるほど愚かではない。
実態はこのザマでも、連合艦隊参謀長と言う肩書は、この作戦に稼働大型空母10隻を参加させるため、軍令部を説き伏せる時に、それなりに役に立った。未明の空に向けて、艦上機を吐き出しながら疾駆する10隻の空母と言う、異様な光景を現出させる一助となったと思えば、あながち悪い気はしない。
攻撃隊が直面するかもしれない、最悪の事態を考えなければ、だが。
「不景気そうな顔をしているな、参謀長」
不意にかけられた声い首を回せば、隣で同じように空を見上げる男の姿があった。
身長は160㎝程度と小柄ではあるが、濃紺の第一種軍装に包まれた体躯は貧弱などと言う言葉からはかけ離れている。連合艦隊の航空主兵派の首魁と呼べる人物ではあるのだが、外見と言う括りで表現してしまえば、スマートで華奢な航空機よりも、この『伊勢』や今頃台湾に向かっている『長門』の様に泰然とした超ド級戦艦の様な印象を受けてしまった。
幾分か背が低いため、軍帽の庇の下からコチラを見上げる格好になった連合艦隊司令長官――山本磯六海軍大将は、人好きのする笑みを浮かべて見せた。
「心配の種も多い戦だが、せめてこの時ばかりは、黄金仮面を崩してもいいんじゃないか。未来ある若者を最前線に送り出す側としての心境もよくわかるが、それ以上に、彼らの戦果を願ってやるのが、俺たちの役割の一つだと思うがね」
「――長官は、奇襲がこのまま成功するとお考えですか?」
ともすれば士気を挫くかのような自分の発言に、山本は「そう願っておるよ」と特に気にした風でもなく頷いた。
同期の二航戦司令にも似た穏やかな湖を連想させる瞳は、既に自分の懸念を見抜いているらしい。もっとも、その懸念は航空派にとって共通の忌むべき未来ではあるのだろうが。
「この土壇場で、フラグレスが航空機を握っている可能性は排除しきれていない。が、結局のところ我々はキングが揃っている内に勝負に出なければならなかった。時間が経てば経つほど、奴らの手札が潤いこちらの手札が役無しに成っていくのは、これまでの戦でハッキリしているからな。――こちらが自信をもってショー・ダウン出来る内に、ケリを付けねばならん」
何方からともなしに、空を見上げる。星を横切る影の群れは時を経るごとに多くなり、降り注ぐ咆哮は空自体が重さを持ってのしかかってくるかのような圧迫感を思わせる。
そんな中で「まあ、どちらにせよ」と山本長官の諦観を含んだ溜息と共に、微かな独語が宇垣の耳に届く。
――血生臭い博打であることに、変わりは無いな
零式艦上戦闘機76機、九七式艦上攻撃機108機、九九式艦上爆撃機90機。合計274機に及ぶ攻撃隊が歌い上げる鋼鉄の鬨の声の中に、第二十七代連合艦隊司令長官の自嘲するような声が溶けていった。
様々な想いを胸に帝国海軍将兵が見上げる空を、274の海鷲が南めがけて駆けていく。目指すは直径200㎞に達する世界最大の堡礁にして、フラグレス西太平洋艦隊が掌握する太平洋のジブラルタル、トラック諸島。
勇躍進発した攻撃隊の後方では発艦を終えた母艦群が輪形陣の中に再び潜り込み、閑散とした飛行甲板に新たな機体を並べ始めていた。




