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6-1 ダイエット

 あの外出以降、私は完全に頭がおかしい男と思われていた。


 本当に悪かったと思っている。ああいう口の利き方をしてはいけなかった。いくら豚で堕落していても、大貴族なのだ。下々の者に語りかけるときは、必ず召使いにやらせる。敬語などもってのほかだ。


 私の行動に周りも驚いたが、一番ショックを受けていたのはウィリアムだろう。何しろ彼の頭がおかしいと思われたのだ。同じ肉体の中にいるのだから、わたしがやりましたといってもいいわけにもならない。ここに人たちはジキルとハイドとか知らないだろうし。


 しばらく豚公爵は懸命にわたしとの間に壁を作ろうとしていた。

 危険人格へのお障り禁止。

 わたしも必死で謝ったよ。本当に悪いと思ったから。やがてウィリアムはおこることにもつかれたのだろうか、渋々許してくれたけれどね。 


 それはさておき、外出の後、豚公爵も早急に体重を減らさなければいけないということをようやく理解してくれた。娘の追っかけをしようにも今の体型ではどうしようもないということがやっと理解できたのだ。


 いつものたっぷりとした朝食をつつきながら、無理のないダイエットのメニューを考える。今の段階であまり激しいダイエットは無謀だろう。節食系のダイエットはリバウンドが怖い。特にいままで与えられるものはきれいに平らげてきた豚だ。いきなり量を減らしたら、体的にも精神的にも危険だ。


 そして、なにより、問題なのは・・・

 ちらりと横に控えている髭男を観察する。


 髭男は何事もなかったかのように振るまってきた。彼にとって天地がひっくり返るほど驚いたであろう出来事がまるでなかったかのように。

いつものように豚主を起こして、いつもどおり餌を与え、服を着替えさせ放置、そんな日課を崩さない。

 今も恭しく、しかし、距離を置いて豚のそばに控えている。


 いったい彼は誰に何を報告したのだろう。

 今ゴールドバーグ家の実権を握っているのはおそらく妻豚だ。豚を幽閉状態に追いやって何をやっているのかはわからないが、ゲームの内容から推測するに、ろくなことはしていないだろう。「華の学園」のなかで豚が行っていた様々な犯罪行為を肩代わりして行っている可能性がある。


 今回の豚の狂気に駆られた行動が彼らにどうとらえられたのか不明だ。あまり芳しくないものであったことは間違いない。豚本人が縮み上がるほど常軌を逸した行動をとってしまったからな。


 ではクラリスはどう思っているのだろうか。わたしは側に控えている侍女に目をやった。

 最初はがりがりにやせていて、どうなるかと思ったが、豚の食べ残しを始末しているうちにだいぶ丸くなってきた。とはいえ、豚に比べればまだまだ細い。

 あ、豚と比べては彼女に失礼か。


 仕事も完璧だ。今では家令の代わりに食事の支度を一人ですることもある。

 掃除も彼女がほとんど行っていた。


 豚公爵からするとこれはとてもおかしなことらしい。

 召使いの数が減っているんだよ。それも側付きのものが・・・豚はさも重大事のように考えている。召使いなど使ったことのないわたしの感覚からすると複数の召使いが付き従っていることが当たり前の豚の感覚のほうがおかしい。そんな意味もなく数がついていても仕方ないだろうと思うのだ。一人でできる仕事を複数人で行うというのははっきりいって非効率だ。


 平民はこれだから・・・


 豚はここのところ身分が下のものへの軽蔑を隠さなくなってきた。もちろんわたしは平民だから、軽蔑の対象だ。いらいらとわたしにたてついてくることがある。


 なんで、貴族でもないのに私にとりついてるんだっていわれてもなぁ。不敬だといわれても、どうしようもない。離れられるものならとっくに離れている。わたしのいたところには貴族なんてもういないんだ、と教えたら、それこそ意識が消えるくらい驚いていた。


 わたしからすれば豚のくせに高慢な男だけれど、ここの貴族というのは大なり小なり皆こういう意識を持っているらしい。


 最初の頃の感情というものが抜け落ちた、いつも寝ている状態の意識というのが異常だったのだろう。わたしという別の意識がはいったことで緩やかに死にかけていた豚としての人格がよみがえったということか。


 時々見える豚の記憶の中ではたくさんの召使い達がこの豚邸では働いていた。それに比べれば、今の召使いの数はほとんどいないに等しい。豚の貴族としての常識はここでの常識だ。彼がおかしいと思うのなら、今の事態はおかしいのだろう。

 豚の世話係を減らさなければいけないような、何かが起きているというのか。


 髭家令は相変わらずのポーカーフェイスを貫いているが、ウィリアムは微妙な変化を見抜いていた。前よりもやせて、表情が険しくなってきているような気がする。以前は豚の一挙手一投足を見張っているようなところがあったのに、時々明らかに他のことを考えているなとわかるときがある。


 何かがゴールドバーグ家で起こっている?

 考えられることは悪役令嬢がらみの陰謀である。

 今は「華の学園」の序盤、出会いイベントが目白押しの頃だ。


 この頃悪役令嬢は何をしていたのだろう。いろいろな美青年たちと主人公(ヒロイン)の出会いを見て嫉妬したり、主人公(ヒロイン)に敵意を抱くきっかけがあったり。そういえばお茶会というものがあった。学校の中にあるどの派閥にはいるかを決めるお茶会の季節だ。これによって攻略できるキャラが絞られるという前半最重要のイベントだった。


 順当に行けば、王子の所属する「華の会」が無難な候補だ。攻略キャラのほぼ全員がここに属しているからだ。しかし、ここに属してしまうと宰相の息子との恋愛フラグがおられる。他の主要キャラクターの好感度が上がりすぎてしまうためだ。


 しかし、それが公爵家と何か関わり合いがあったかな?

 話の展開に全く関係のないぐふふな公爵邸でおこる鬼畜イベントしかなかったような・・・モブが意味もなくメイドを実験と称してひどい目にあわせる、とってつけたようなエロイベントだった。


「ウィリアム様、お茶をお注ぎしましょうか?」

 クラリスが暖かいお茶を空になりかけたカップに注ぐ。

「ありがとう」

 小さい声で礼を言うと、彼女はふわりとほほえんだ。彼女もようやく豚の小さな声を聞き取れるようになってきたのだ。

 最初の頃こそ恐怖と緊張でがちがちだった彼女もここのところ時々素の姿を見せるようになっていた。それでも家令がいるときは硬い態度を保とうとしているが、こうして二人きりの時はずいぶんとくつろいだ態度をとっている。


 だって、わたしは鬼畜な真似はしないからね。

 無茶な命令はしない、失敗しても文句は言わない、おとなしくって扱いやすい豚なんだよ。最近は着替えだってなるべく自分でやるように努力している。少しやせたからすこし着替えやすくなってきた。まだ靴下ははけないけどね。


 食事と着替えを終えると、このところ日課にしている散歩に出かけた。体が慣れてきたのか半日外を歩き回っても大丈夫だよ、半時もしないうちにへばっていた最初の頃から比べるとだいぶ進歩したよ。


 ゆっくりと足に負担をかけないよう、でも、できるだけ運動になるように歩く。じれったいが体を壊してしまったら元も子もない。


 建物の角を回るといろいろな道具のしまってある倉庫がある。

 いつも人気のないところなのだけど、今日は違った。

 その前に一人の少年が座り込んでいた。棒でなにか文字のようなものを書いては消し、書いては消し。時々袖で目のあたりをぬぐっているところを見ると泣いているのだろうか。

 庭で初めて見る召使だ。


「あー、君は厨房の子か」


 なるべく大きな声を出したつもりだが、少年は気が付かない。


「あのぉ・・・・」豚は少年に近づいた。


 豚の陰に入って初めて、少年は豚に気が付いたようだった。いきなり日の光をさえぎられて、何者かと顔を上げる。


「うわ」ウィリアムを見上げた少年はぽかんと口を開けた。「豚」


 あ、やっぱりそうなのね。やはり、豚といわれているのね。ちょっとへこんだ気分になる。


 その時バタンと後ろで大きな音がした。今までしまっていた厨房への扉が開いて料理人の帽子をかぶった男が顔を出している。


「お、おまえ、なんということを」

 男は慌てて少年に駆け寄った。

「も、申し訳ありません、ウィリアム様」


 男は豚公爵の前に来ると平身低頭少年の隣に並んで頭を下げる。

「この前ははいったばかりの小僧なのです。平にご容赦を…」

「え? ウィリアム様? この人、豚・・・」

「黙れ」男は慌てて少年の頭をつかんで額を地面に押し付けた。

「た、大変申し訳ありません」

「なんでだよぉ。豚を豚といって何がわる・・・」少年がまだ文句を言っている。

「うわぁ、なんでもない、なんでもない」

 隣で土下座している男ががんがんと少年の額を地面に打ち付けた。


「あのね、いいから」

 見ていていたたまれない。豚といわれても仕方がないよね。私は豚体型だから。本当のことだから。小さい子なのだから許してあげようよ。どうせ豚なんだし。ああ、自分で言って悲しくなってきた。


「気にするな」公爵は小さな声で制止をする。「料理長は中にいるか?」


 声が小さくて聞こえない? 男はまだ少年とばたばたやり合っている。ウィリアムは咳払いをした。


「あ? 公爵様、何かご用でしょうか?」

 ようやくこちらのことを気がついた男ははたと動きを止めてこちらの口の動きを注視する。


「料理長に会いたいのだが」


 へ? というように二人がこちらを見上げたまま固まる。

「り、料理長でございますか?か、彼は向こうの邸宅のほうに・・・」


 なるほど、それではいつもここで料理を作っているのは誰なのだろう?

「私の料理を作っているものに会いたい」

 男は公爵に見下ろされて、ゴクリとつばを飲んだ。

「こ、こちらでございます」


 先ほど出てきた扉のところに案内される。中を覗くと一人の男が椅子に座って居眠りをしていた。なんだか不潔な男だ。こんな男の作っていた料理を食べていたのか・・・衛生基準法が・・・保健所が・・・わたしの頭の中で意味のない言葉がぐるぐるする。


 台所も立派な作りなのだけどなんだか不潔だ。絶対ゴキブリが大量に住み着いている。


 公爵が扉を通り抜けようとしたのだが、扉の脇につんである荷物が邪魔で通れない。

 いや、もうちょっとやせていたら通ったかもしれないね。現に先ほどの男は余裕で通っているよ。


「うわ、豚が詰まってるよ」

 後ろで少年が不規則発言を繰り返していたが、男もウィリアムも無視をした。


 若い男が寝ている男を起こす。

「なんだよ、昼までにはまだ時間が・・・」

 そこまでいっていってから、彼は扉を埋めている豚の巨体に気がついて言葉を飲んだ。


 豚も男の顔を見て気がついた。彼はこの男を知っている。ウィリアムが小さいときからこの屋敷につとめていた料理人だ。そのときはこんな不潔ななりはしていなかったよ。もうちょっとぱりっとしていて、男前だったよ。


「ぼ、坊ちゃん、いや、公爵様・・・」男は慌てて椅子から立ち上がる。「ど、どうしてこんなところに・・・」


 大貴族が厨房に足を運ぶなんてないことだからな。豚公爵は暗い思いをかみしめる。わたしという下層民の意識がなければ、ここを訪れるということを考えることもなかっただろう。


 でも、わたしはちらりと豚の隠したがっている記憶をのぞいてしまった。

 幼い豚が厨房にこっそり忍び込む記憶だ。


 ・・・坊ちゃん、一つだけですよ・・・一つだけ・・・


「な、なにか、ご用ですか」


「いや、ちょっと相談があってな」豚公爵はぼそぼそと話す。「食事の内容を変えてほしい」


 豚公爵は言葉を選んで話す。前のようにわたしが前面に出て話すときちがいだとおもわれてしまうからだ。いや、今もすでにそう思われているのかもしれないけれど。


 そもそも公爵自ら厨房に降りていくなど狂気の沙汰だ。そう豚は思っている。娘のところに行くために必要な行動だと理性では納得していても、感情的な嫌悪感はぬぐえない。


「お、お気に召さない料理がございましたでしょうか・・・」


「いや」わたしはちょっと考える。「実は最近私は野菜というものに興味を持っていてね。最近野菜料理が流行っているらしいのだよ」


「は?」

 そんな話は聞いたことはない、と男たちは目で合図し合っている。


「野菜を使った料理を食べたい。その分肉や甘味は減らしてもかまわない」

「お、お野菜でございますね」料理人はがくがくとうなずいた。


「ち、ちょっと菜園を見て・・・」

「菜園があるのか?」私は思わず聞き返す。

「え、ええ。この裏に・・・ちょっとした野菜なら・・・」


「見に行きたい。案内しろ」

 料理人たちの目が怖い。絶対に正気を疑っている目だ。

「案内してくれ」有無を言わさず豚公爵が命令する。腐っても貴族。豚の態度はそれなりに堂々としている。豚だけど・・・


「こ、こちらでございます」料理人が壁に掛かっていた鍵をとって館の裏に案内する。

 今まであまり訪れたことがない道だ。道の幅が狭くて、豚の幅だと枝が引っかかってしまう。

 こんな奥に畑があったのだ。気がつかなかった。


 料理人は長い生け垣の一角にある鉄格子の扉を持ってきた鍵で開けた。鈍い音を立てて扉が開く。

 中は壁に囲まれた開けた空間になっていた。周りに植えられているのは香草だろうか。植物独特の香りが漂っている。


 その向こうにはきれいに畝が並んでいた。

 どこがちよっ(・・・)と(・)した(・・)菜園なんだろう。小さな家庭菜園を思い描いていた私は畑を見回す。普通の農園の規模はあるぞ。幾種類かの野菜が植えられているのだろう開けた場所の向こうには何本もの木が植わっている。


「向こうは果樹園か?」

「はい、そうでございます」

 私は生えている草を取ってにおいをかいだ。以前プランターに植えていたものに少し香りが似ている。何に使うのかを料理人に確認しながらにおいをかいで回る。


「あの、お楽しみのところ申し訳ありません。そろそろ昼食の支度をする時間ですので・・・」

 ずいぶんと時間を使ってしまったらしい。料理人がおずおずときいてきた。


「ああ、そうか。時間をとらせて悪かったな」豚は鷹揚にうなずいた。「つきあってくれてありがとう」

「・・・・・・」

 微妙な空気が流れる。


「ああ、そうだ。ここの鍵は開けておいてくれないか。ここが気に入った」

 菜園の鍵を閉めようとする料理人を制すると、これまた変な沈黙だ。


「こ、公爵様がそうおっしゃるのなら・・・」

 それでも料理人はこちらの頼みを拒絶しなかった。


 拒絶したら処刑されるとでも思っているのだろうか。確かにゲーム版の豚ならやりかねないけど、ここにいるのは気のいい豚だ。今私が寄生しているこの体の主はそのくらいのことでは罰を与えたりはしない。そうだろう?


 久しぶりに楽しい散歩だった。豚も植物に対する新しい知識に興味を持っているようだ。今度はあの奥の果樹園に行ってみよう。ひょっとしたら、何か果物がなっているかもしれない。


 部屋に戻ると、クラリスが部屋を掃除して待っていた。


 わたしがいつもの椅子に腰掛けるのを手伝うと、おや、というように首をかしげる。


「どうした?」

「いえ、香草のにおいがしましたので・・・」

「ああ、先ほど菜園に行ってきたのだ。そのときに香りが服に移ったのだな」


 私はにおいをかいでみた。かすかな草のにおい・・・久しぶりにかぐ生のにおいだった。この部屋に漂う重くよどんだ空気とは違う新鮮な風のにおいがする。

 急に外の風が懐かしくなった。そういえば、ここの部屋は閉め切ったままだ。


「窓を開けてくれないか」

 こんないい天気なのに、部屋を閉め切っているなんて。

 窓を開けて風を入れよう。そう思ったのだが、クラリスは首を振る。

「窓には鍵がかかっております」


 おや、前は空いていたはずだが・・・そう私は思う。

「そうか?開けられないのか?ならば後で家令に鍵を外すようにいっておいてくれ」



長くなりましたので、二つに分けました。後半は後日。

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