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豚の矜持  作者: オカメ香奈


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36/42

31 イベント トール

 思っていたよりもずっと楽だった。

 彼は邪悪な笑みを浮かべた。


「こいよ」

 そういって、挑発すると遠巻きにしている連中は後ずさりした。


 本当は心配していたのだ。彼の力が、努力の結果が、強さに結びついていないことを。

 大丈夫。十分通用する。

 雑魚とはいえ、初めての()()()()の戦いだった。

 武器など使わなくても簡単に制圧できたことに彼は自信を深める。


 いつかは今日がくると思っていた。


 自分が、勇者たちに殺され、みすぼらしい死に様をさらす。悪夢の現実となる瞬間だった。


 彼が、幼いトール・ガーグルであると気づいたのは何歳の時だっただろう?

 倉田一郎としての彼がはまっていたゲーム。トール・ガーグルはその登場人物、中ボスなのにラスボス並に攻略に苦労するキャラクターだった。


 俺の望みはなんだろう。


 彼は死ぬ。それはほぼ確定された事実だ。

 途中でおこる中ボスイベントで主人公(ヒロイン)たちと戦って死ぬ。

 彼自身何度も何度も繰り返してきた中ボス戦だ。


 トール・ガーグル レベル50。

 この時点の主人公(ヒロイン)たちの推奨レベルよりも10近く高い。

 スキル:剣術S 火魔法S 固有スキル:炎の結界

 物理攻撃力も魔法攻撃力も高い。難敵中の難敵、だった。


 今のトールにはレベルやスキルといった表示は見えない。そもそもそういう数値があるのかどうかそれすらわからない。自分ではかなり鍛えたつもりだ。実戦もつんできた。


 ウィリアムに中ボス戦についてどうだったか聞いてみたことがある。ウィリアム・ゴールドバーグは剣も魔法も駄目という戦闘に全く向いていない男なのだが、非戦闘員としてはなかなか有能なところがある。


「あの戦闘かぁ。ここで、1対4で勝てるかなぁ」

 チェスに似たゲームの駒を動かしながら、ウィリアムが難しい顔をしていた。

「トールは強いからね。ひょっとしたら、ひょっとするかもだよ」


 トール自身何度も頭の中で繰り返しあの戦闘をしてきた。

 

 ゲームの中ではトール・ガーグルの典型的な攻略法はこうだ。

 まず、初手に主人公(ヒロイン)の持つ“聖女の祈り”というバフをかける。それから、赤魔道士の詠唱で耐火力のバフをつける。最初はひたすらバフを繰り返し、相手の攻撃で瀕死になる仲間を回復する。それから…


「問題は、君の火魔法だね。威力は強いけど、自分の魔力も喰う魔法が多いから。結界切れを狙われると痛い。それと回復。火魔法に回復系がないのがつらいな。対処法としてはアイテムをたくさん持って行くくらいかな?」


 そうだ、とウィリアムはごそごそと書庫を探し始めた。

「そういえば、うちにも魔道具が結構あったんだよ。嫁が持っていってなければ、このあたりにあるはずなんだが」


 ああ、ここにあったとウィリアムは明らかに値が張るとわかる魔道具を取り出した。


「持って行けよ。わたしが持っていても豚に真珠だからね」

 こんな時でもウィリアムは冗談をいえる。そんなウィリアムの穏やかな優しさが好きだった。


 だからせめて彼だけでも運命から抜けることができればと思ってしまう。

 おそらくその願いは叶わないことは二人とも知っているのだけれど。


 また、新手が登場したようだ。

 いったいどれだけの兵を伏せていたのだろう。

 ヘンリー・イエローリンクはどれだけ兄を憎んでいたのだろうか。


 彼は敵から奪い取った騎士剣を握りなおした。


 そして、やってきた新手の顔を見て笑ってしまった。


 ここで、真打ちが登場という訳か。

「ヘンリー!」

 物陰に隠れていた黄色ちゃんに駆け寄るのは主人公(ヒロイン)の少女だ。

「だいじょうぶ? 怪我はない?」


「おまえ、トール・ガーグル…どうしてこんなところに?」

「トール? あれ、ほんとだ。今まで全然出てこなかったのに、いきなりここで登場するの?」

 これは赤魔道士と青騎士だ。主人公を守る双璧で恋のライバルでもある。


 彼を知っているということはやはり彼らも“転生者”なのだ。

 同じ“向こう”の記憶を持つ者として名乗り合うつもりはなかった。今さら何かが変わるとは思えない。


「そうなんだよ、いきなり現れてエリザベータとのイベントを妨害したんだよ」

 ヘンリー・イエローリンクが彼らの背に隠れて訴える。


 イベントか。クソみたいなイベントか。

 その理不尽なイベントのためにみんな死んでいった。


 本当に、みんなを守りたかった。最後にみんなで笑ってハッピーエンドを迎えたかったのだ。だが死を宣告された“転生者”は一人消え、二人消え、気がついたときには豚公爵と二人きりになっていた。


 やはり、ダメだった。残ったのはあきらめと絶望だけだった。

 彼には死の運命を変える力はない。すべてが、シナリオ通りに進むようにねじ曲げられ、矯正されていく。


 そんな中でウィリアムに彼は問いかけた。


「おまえは、何がしたい?」


 それは自分自身への問いかけでもあった。

 俺は何がしたいのだ。


 豚公爵の答えは、単純で、利己的で、とてもウィリアム・ゴールドバーグらしいものだった。それ故に崇高で光り輝いていた。裏切られてもなお大切に思う愚かしさを尊いと思った。


 それでは、自分はどうなのだろう。


 彼は黙って、彼らの行く手をふさぐように体の向きを変えた。


「ここで邪魔するわけ?」赤魔道士が驚く。

「えっと、トール・ガーグルだよね。()()君とは面識がないわけなんだけど、どいてくれないかな?」

 どいてくれといってどく馬鹿がどこにいる。


「どけよ、おまえは関係ないだろう。それともなんだ?ひょっとして、豚公…ゴールドバーグの差し金でここに現れたのか?」


 後半はゲームそのままの台詞だった。彼は鼻で笑う。


「ゴールドバーグ? そんなもの関係ない。ここにいるのは、俺の意思だ」


「トール、あなたはだまされているのよ。ゴールドバーグはあなたが考えているような人じゃない。彼はあなたをだまして、巨万の富を手に入れようとしているのよ」

 主人公(ヒロイン)が手をもみ絞って訴えた。これも聞いたような台詞回しだ。


 何にだまされているというのだ。だまされているのは、おまえたちだろう。“神”を名乗るクソどもの手先として動いているのはおまえたちのほうだ。


 …無理はしないでくれ。頼むから…

 生き残ってほしい。祈るようなウィリアムの目を思い出す。


 すまない、ウィル。

 俺はここで戦う。戦いたいのだ。そして、勝つ。ずるい手(チート)を使ってでも。


 何度も何度も繰り返してシミュレートしてきた。どうやったら彼らに勝てるかを。


 今の自分がどのくらいの実力があるのかわからない。彼らのほうが遙かに上をいっているかもしれない。そして相手は彼の能力を把握している。


 いや、把握していると思っている。


 ゲームの中では何回も彼らと顔を合わせるイベントがあった。剣を交え、戦った。

 だが、ここでは今が初めての彼らとの出会いだ。


 ここで彼らと実際に相対してわかった。彼らはまだここがゲームの世界だと思っている。ゲームのシナリオ通り物事が進むと思っている。

 シナリオを強力に後押しする力がついているのだ。勘違いするのは無理もないかもしれない。


 だけど、今が、初めまして、なんだよ。

 トールはそこに勝機を見いだしている。目の前にいる敵は彼のことを知った気になっている。どんな手が有効か調べ尽くした気になっている。


 彼らはここにいるトールを知らない。トールが何をし、何を考えて、生きてきたかを知らない。

 彼らと同じように理を無視した知識を持っているとは考えてもいないだろう。


 わたしたちはここにいてはいけない存在なのです。


 マーガレットの言葉通りだ。俺たちはここにいてはいけない。


 正常な流れを阻害する異物なのだ、俺も、彼らも。

 ここで終わりにしてやるよ。


 それが彼の望み。戦って、彼らを打ち負かすこと。異物を排除すること。

 それはこの世界の望みでもある。


 彼は無言のまま攻撃の構えをとる。

「退く気はないのか。仕方ないな」

 青騎士と赤魔道士は戦う気になったようだ。

「ええ? ここでやるの? まだ、王子が合流してないよ」

 黄色ちゃんが焦りを浮かべる。


 ここが屋内であることはトールにとっては都合がよかった。相手の遠距離からの攻撃魔法を封じることができる。至近距離からの火力なら彼のほうが有利だ。


「えっと、レベル41。スキルは、剣術S、火魔法S。あとは…あれ、読めないや」

「レベル低いじゃないか。これなら僕たちだけでも勝てるな」

 赤魔道士が鑑定スキルを発動したらしい。

 本来スキルなんてものはこの世界にはない。アレはどれだけこいつらに肩入れしているんだか。

 だが、あいつらがスキルが使えるのならこちらも同じことができるはずだ。

 彼は結界の発動を準備する。今まで一度も使ったことがない”スキル”という能力、それは今確かに彼の中にあった。


 目の前の主人公(ヒロイン)たちは余裕だった。こちらがゲームを研究し尽くしたように、彼らも攻略情報を熟知している。どうやったら、強敵(中ボス)のトール・ガーグルに勝てるか、予習はしていたに違いない。


 そして、彼らはいまだ、ここがゲームの世界そのものだと思っている。

 踏みにじられてきた思いを押し殺して、彼は笑みを浮かべた。


 俺も、ここからはゲームだと考える。目の前にいるのはただのキャラクターだ。倒しても痛みを感じない。その“死”は本物ではない。

 ゲームだから。


 …トール、頼むから…

 目の前に浮かんできたウィリアムの残像を消し去って彼は呪文を心の内で唱える。


 “沈黙”

 しばらくの間、呪文の詠唱が阻害される風魔法の基本呪文だ。


 まず、狙うべきは、聖女。

 銀の刃が、主人公(ヒロイン)の少女めがけて飛んでいく。チャールズに教わった投げナイフの技だ。少とっさに“防御”を唱えようとしたが、発動しないことに気がついた主人公(ヒロイン)は驚きに回避行動が遅れた。


 悲鳴が上がった。あわよくば致命傷を狙ったのだが、狙いが少しはずれたようだ。


 滑るような動きで間合いを詰める。呪文が発動しないことに気がついた赤魔道士が杖で攻撃を防ごうとする。その攻撃を交わしてすれ違いざまに一太刀、体勢を崩したところにもう一太刀。短刀で背中から突きを入れる。短剣をねじ込んでから突き放すようにして手を離すと、赤魔道士はゆっくりと倒れた。


「ま、まてよ。本気で殺すつもりか?」トールの殺気に驚いた青騎士が目を見張る。


 何を言っているんだ、そちらははじめから殺すつもりだったのだろう?


 慌てた青騎士は何かのアイテムを取り出した。

 そのパッケージに覚えがある。復活の薬だ。

 体力は半分になるけれど、瀕死の状態からよみがえることができるあの反則アイテムだ。

 あの村でパッケージを見たから間違いない。あのえせ商人が売りつけた物なのだろう。


 案の定、赤魔道士の体がぴくりと動いた。青騎士はまだ薬を手にしているだけだ。後ろにいるヘンリー・イエローリンクが復活の薬をつかったのか?


 あり得ない不気味な効果だ。側にいないのに、効力を持つなんてどこまでずるい(チートな)アイテムなんだ。

 戦闘不能になったものをよみがえらせる効果はさすが。

 だけど、この薬はゲームほどチートなアイテムではない。


 彼は倒れている赤魔道士に刺さっている短剣を踏みつけた。足下で赤魔道士の体が苦悶にのたうつ。一度とまりかけた血が再び体の下に広がっていく。


「それはやめた方がいい。苦しみが長くなるだけだ」

 もう一度、薬を使おうとする青騎士に指摘する。


 ここでの復活の薬の効き目はゲームよりもずっと穏やかだ。致命傷に近い傷を負わせれば追わせるほど治りが遅くなる。普通完全に死んだという状態になると、蘇生の確立はほとんどなくなる。

 何度も実験して確かめた。


 まあ、こいつらにはアレがついているからな。

 たぶん生き返るだろう。長い時間をかけて。


 酷薄な笑みが浮かぶ。

 彼は鉄の鋲を打ったかかとで倒れている赤魔道士の頭を踏み抜いた。骨の砕けるいやな音がした。念を入れて首にも体重をかける。完全に首の骨が折れることを狙って。


 これだけやっておけば復活まで当分時間がかかるだろう。


「この外道が!」

 怒りの声を上げて、青騎士が魔法剣をつかってきた。

 水魔法と融合した剣は青い蛇のようにうねって見える。


 たとえ魔法が使えなくても、魔法剣は有効だ。それに水魔法は火魔法に唯一対抗できる火力の魔法でもある。トールの“炎の結界”も破れるはず、と思ったのだろう。

 ゲーム内では有効だったんだが。


 “石壁”


 水の蛇は突然出現した岩の壁に阻まれた。


「馬鹿な?土魔法だと?」


 “岩つぶて” 


 土の壁がはじけた。無数の石が青騎士に降りかかる。


「魔法剣なんてせこい手を使わずに、剣で勝負しようぜ、騎士さん」


 降り注ぐ、石の勢いに騎士は後ろに下がった。そこに特大の火炎弾を投げ込んでやる。


「ぐわ」


 飛ばされた騎士は壁にたたきつけられた。


 “聖女の祈り…”


 自分の回復を中断して、聖女が聖なる結界を張ろうとする。

 自分たちに強力なバフをかけ、相手の力を弱めるチートスキル。


 だけど、残念。発動しない。


「え? どうして?」

 初手に詠唱を邪魔する呪文を唱えたのはどうしてだと思っているのだろうか?

 時間稼ぎだよ。アイテムの起動時間を稼ぐための。

 聖女の持つ呪阻害の魔法を唱えられたら困るところだった。


 魔道具はきちんと作動した。

 ウィリアムの探し出してきた古い魔道具からあやしい光が漏れていた。


「なんで、なんで、おまえが“赤の宝珠”を持ってるんだよ」

 ヘンリーが唇を震わせた。


「おや、おや、そんなご大層な代物だったのか? これは」

 相手をあおる口調でつぶやく。


 愉快な気分になってきた。これはウィリアムの家に転がっていたマジックアイテムだ。

 調べて見ると様々なバフの効果を打ち消すことができる家宝級の魔道具だった。ウィルはそんなものをもの惜しげもなくこちらに押しつけてきた。


 それが“宝玉”だったとは。

 ゲームの重要アイテムが豚の邸でほこりをかぶっていたなんて。


「卑怯だろ、チートアイテムを持ち出してくるなんて」


 卑怯者はどっちだ。そもそも1対4である時点でこちらが不利なのだ。奇策を用いなければまず勝てない戦力差。だから、一人ずつつぶしていく。


 騎士の攻撃をかわして、そのまま聖女をきりつける。

 聖女は反射的に杖で攻撃を防ごうとした。魔法なしの彼女の防御など、たかがしれている。そのままはね飛ばし、絡める剣であわせて腕も飛ばす。落ちはしなかったが、いやな手応えがあった。

 血が吹き出して、白い衣を赤く染める。

 甲高い悲鳴が耳障りだった。


「この野郎」

 憤怒の表情で迫ってくる騎士にとどめを刺すことを阻まれる。


 “精霊よ、風と水の守護者よ。ここに集いて我らが同胞を癒やし給え”

 ふるい精霊の言葉でヘンリー・イエローリンクが呼びかけている。

 “集え、我が同胞、古き誓いによりて…”


 精霊魔法の弱点は詠唱が長いことだ。それに…


 “大地の神よ、我が母よ、我は伏して願い奉る…”

 トールの口からも呪がこぼれ落ちる。

 “汝は理を知るもの、知を司る者、汝が子らに恵みと知恵を与える者”


「なんで、おまえが精霊呪文を知ってるんだ…」ヘンリーが驚く。


 “小さき者よ、我が同胞よ。我に力を貸したまえ”


 “我が同胞になりかわり、懇願する。我らが敵を誅する力を与えたまえ。そは理をゆがめる者、地を汚すもの”


 精霊が集まってくるのがわかる。小さな光の粒が二人の唱える呪に反応して集まってくる。


「おい、ヘンリー、なんなんだよ、これ!」

 青騎士が咳き込みながらたずねた。騎士の周りにも小さな光が戯れるようにまとわりついている。


「精霊だよ。助けに来てくれたんだ」どこか戸惑っているヘンリーの声だ。

「いくよ」

「おお」

「精霊よ、今こそ敵を討ち滅ぼせ、“光の矢”」

「“水の槍”」

 ヘンリーと青騎士が同時に魔法を発動させる。合体魔法というやつか。でも。


「“土の壁”!」騎士の攻撃は再度土壁に阻まれる。

「なんでだ? なんで魔法が…おまえは土魔法の適性はなかったはずだ。それなのに、どうして」

 半狂乱になって青騎士が叫ぶ。


「これは俺の力じゃない。友から借りた力だ」

 風魔法も、土魔法も、みんな借り物だった。ウィルやマーガレット、みんなから分けてもらった力だ。


 …魔力を込めておいたけれど、あまり役に立たないと思うよ。何しろ土魔法だからね。

 肉に埋もれた小さな目が細められていた。


 ありがとう、ウィル。おまえの力はすごいよ。おまえは自分のことを低く評価しすぎだ。

 彼はがむしゃらに突進してくる青騎士の攻撃をなぎ払った。


「あれ、“光の矢”が放てない。精霊がこない」ヘンリーも焦っていた。「何でだ? なんでだ? なぜ来ない? 来いよ、精霊」


 精霊はいる。多すぎる精霊があたりを漂っていた。

 精霊がヘンリーに従うはずがないのだ。()()()精霊使いが祈りを込めて渡してくれた力がこちらにあるのに。


 トールは何度も何度も精霊を召喚する儀式を見てきた。

 …変な儀式だよなぁ。魚面人とかゴジラとか呼べそうじゃないかな?

 本人はまるで精霊がおりてきている自覚がなかった。なぜ村人があの儀式を喜ぶのか、呼んだ本人だけ知らなかった。


「おまえみたいなクズ野郎に精霊が力を貸すわけがないだろう。血を分けた兄を殺そうとしたくせに」


「ヘンリー、それどういうこと?」

 自らを治療中の聖女が動揺している。

 ヘンリーの顔が青くなった。


「“炎の槍”」

 隙を突いて、ヘンリーに特大の火炎弾を投げつけた。火に包まれたヘンリーはおぞましい悲鳴を上げた。聖女が火を消そうとするも、炎の蛇は絡みついて離れない。悲鳴は長く続いていた。


「くそ。“衝撃”」

 青騎士が剣術のスキルを発動させた。危うくかわし損ねるところだった。重くなった剣に武器を持って行かれそうになる。


 青騎士と彼の剣術はほぼ互角のようだった。相手が動揺している今、攻めないと勝機はない。


 相手の攻撃をかわして蹴りを入れる。攻撃が決まったらしい鈍い音がした。


「この…“三連撃”…くそ、この光の球、ふわふわと邪魔して…“強化”!!」

 狂ったように青騎士は攻撃してきた。精霊たちが集まって、青騎士の動きを邪魔するように動く。


「この、くそ、精霊が」

 騎士が剣を振るうと小さな光が泡のように消えた。それでも、また多くの光が騎士を押しとどめるかのように集まってくる。

 体が軽くなった。小さな光に押されるようにして剣を繰り出す。そうか、彼らは力を貸してくれるのか。

 精霊の祈り。小さな、かすかな、この世界をおかす理不尽な力への抵抗。

 まるで、それはウィルの祈りのようで。

 どこか胸の奥が小さくいたんだ。


 かわし損ねた攻撃が、身をえぐる。”強化”からの”三連撃”は見えなかった。

 激痛をこらえて、水魔法の”治癒”を唱える。

 痛みが和らぐのと同時に、マーガレットさんのつけていた香水の香りがした。

 

 「”泥沼”」

 騎士の足が一瞬鈍った。

 「”連撃”」体を狙うと見せかけて足を切り裂いた。


  「トール・ラグナル!」

 騎士は傷などものともせず、目をぎらつかせて、がむしゃらに剣を振るう。鍛えているだけのことはある。トールの読み切れない手を繰り出す騎士相手には分が悪い。

 戦いが長引けば長引くほど、トールは不利になる。正規の訓練を続けてきた騎士と、我流でしか練習できなかった町人の差だ。

 

 どんな手を使っても勝たなければならない。トールにはもうあとはない。


 惜しげもなく魔法を剣にのせて繰り出す。スキルと手数は向こうの方が上だ。今だけ、しのげれば。

 彼は相手の攻撃をしのぐことに専念する。

 

 騎士の足が滑ったように見えた。ようやくか…

 攻撃は届くが前のように重い剣ではない。重心が微妙にぶれてきているのだ。

 あと少し…

 

 騎士の攻撃の速度が明らかに落ちた。体の動きが鈍っている。それは当の騎士も気がついている。焦りがさらに剣の正確さを奪う。

 攻守が入れ替わった。流れが変わったのをトールは感じる。


「貴様…まさか」

 騎士が大きく間合いをとって息を整えようとする。

 そうだよ、正解。毒をつかったんだ。

 まだ、主人公とヘンリーは自分の回復で精一杯だ。毒消しなど使わせない。トールは今できる最大の攻撃をたたき込む。

 

「この、卑怯者が…」


 騎士は怒りの力を借りてトールに魔法剣をつかった。炎の結界の一部がえぐられたのを感じた。

 しぶとい奴だ。

 彼は鋭いつきを繰り出す騎士の攻撃を廊下の扉で防いだ。そして渾身の力を込めて相手の胸を貫く。

 青騎士の猛攻がとまった。足で蹴るようにして剣を抜く。


 ようやく騎士が膝をついたときには、彼も荒い息をしていた。

 血を吐きながらこちらをにらむ騎士を冷静に見返す。


「貴様のことは許さない」かすれた声で騎士は呪いをつぶやいた。

「どういたしまして」

 彼は青騎士ののどをかききる。これで、二人。


 ヘンリー・イエローリンクと聖女のほうを振り返ると、ヘンリーは後ろを向いて逃げだそうとした。

「降参するよ、降参するから、許して」

 臆病者(チキン)が一人、か。


 この戦闘では全員を戦闘不能にしければいけない。そうしなければ誰かがチートなアイテムで仲間を復活させてしまう。

 逃すわけにはいかない。ここで、すべてを終わらせるのだ。


「“地獄の炎”」


 彼はため息をついて魔法を発動させる。炎が逃げる男を包み込んだ。魔法に見放されたヘンリーにそれを消す方法はない。ヘンリーの長い悲鳴が遠ざかっていくのが聞こえる。


 これで三人。


「あとは、あんただけか、聖女様」


 主人公(ヒロイン)はがたがたと震えていた。


「なんで、なんで、こんなことになるの? おかしいでしょ」

 女はかぶりを振った。

「トール・ガーグルが勝つなんて間違ってる。わたしたちはこれから世界を救わないといけないのよ。魔王を倒して、国に安定をもたらすの。そうなのよ、そうだと決まっているんだから。そのためにフラグを立ててきたんだから」

 聖女の目がつり上がった。愛らしい顔がゆがむ。


「世界があんたたちを拒絶しているんだ。これは世界の意思だよ」

 トールは剣についた血をはらう。

「俺たちは、ここにいてはいけない。この世界に干渉してはいけない。俺たちは消えるべきなんだ。だから、俺はあんたを消す」


「いや、いや、いや、わたしは死にたくない、わたしは退場したくない。バッドエンドなんてまっぴらよ。


 こんな、こんな、ゲームなんか…やり直しよ……リセットしてやる」


 聖女が絶叫した。


 世界が色あせた。

 彼女の周りに複雑な図形が広がっていく。


 彼はこの光景を知っていた。

 魔王との最終戦で、聖女が放つ最強の呪文。

 魔王を焼き尽くし、魔王城を崩壊させ、世界に平和をもたらした“神”の一撃、“天の雷”だ。


 ここでか? ここであの愛の合体魔法とかいうチートな魔法を発動するつもりか?


 聖女を止めようとするが、体が動かなかった。


 アレのあざ笑う声が聞こえたような気がした。


 せっかくここまで来たのに、あと一息だったのに。


 光が広がる。

 白い光が目を焼き尽くし、体を切り裂き、意識を染め上げた。


 やっぱり、くそゲーだな。


 最期に浮かんだのはそんな感想だった。


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