30-3 限界点
「エリザベータ! どこにいるんだ! クラリス! クラリス!」
馬車はどこだろう。
わたしは頼りがいのある侍女を呼んだ。頼む。早く来てくれ。
闇の中に明かりが瞬いたかと思うと、小さな馬車の音が近づいてきた。無蓋の作業に使うような小さい馬車だった。
クラリスか?
目を凝らして見つめる。
よかった。クラリスだ。
忠実な侍女は御者台から飛び降りると、私のところへ走ってきた。
「ご無事でしたか?ウィリアム様」彼女が私の顔をのぞき込む。
その馬車の横をすり抜けるようにして一頭の馬が走り抜けようとしていた。馬車の明かりに乗っている人物の髪が反射して銀色に光って見えた。
「エリザベータ!」
わたしは声をかけたが、エリザベータは答えなかった。
「後を追います」
クラリスは私を馬車に押し込むと、御者台に駆け上がり、即座に手綱で馬をたたいた。
馬車は乱暴に揺れながら発進した。
もともと人を乗せるようにできていない馬車だ。荷台はひどく揺れた。わたしはそれでも指が白くなるほど馬車の枠をつかんで耐えた。
エリザベータ…彼女は泣いていた。
賢い彼女のことだ。自分がいいように利用されていたのがわかったはずだ。
これで彼女は主人公たちと完全に敵対する。
イベントを阻止できなかった。苦い後悔とそれでもまだ彼女を止められるかもしれないという気持ちが交差した。
彼女を止めなければいけない。
悪役令嬢のレールから降ろさないといけない。
彼女を処刑台に立たせるようなことはあってはならない。
氷のように凍てついた表情で処刑台に立つ少女と、日のさす庭ではにかむように笑っていた幼女が重なる。
あなたの娘でないと言い放った時のけたたましい笑い声が耳の中でこだまする。
わたしが彼女を追いこんでしまった。彼女が一番助けてほしいと思った時にそばにいなかった。
何もせずに今の事態になるまで手を打たなかった。
腹の傷が思い出したように痛んだが、それ以上に胸が痛い。
もうどうすることもできないのではないかという予感が肉の痛みよりも強く体にのしかかる。
頼む。誰か、彼女を救ってくれ。
神様、もし、この世界の神がいるのなら、彼女を助けてほしい。
エリザベータはまっすぐ山のほうに馬を走らせていた。ちょうど私たちがやってきた方角だ。ここからしばらく険しい山道が続く。雨が顔を打つ。
いったいどこに向かっているのだろうか。
わたしが身を乗り出した時だった。
背後で何かが光った。
稲光のような、それよりももっと明るい白い光が広がる。
わたしは振り返った。山の向こうに光の柱が立っていた。柱の周りを大きな図形のような、文字のようなものが円を描いて回っている。
わたしはそれが何か知っていた。
「クラリス、伏せろ」
文字がはじけた。光の柱が一気に膨張して刺すような光が思わず目を閉じさせる。
それから遅れてしばらくして、ものすごい突風が後ろからすべてのものを押し倒す勢いで押し寄せた。
私は馬車の上に伏せた。
そして、最後に耳を覆いたくなるような轟音。
風がやんでも、辺りはまだ明るかった。白い光の柱が徐々に薄くなりながら消えていこうとしていた。
「クラリス、けがはないか?」
私は御者台に伏せているクラリスに叫んだ。
クラリスも何かを叫び返しているがよく聞こえない。
彼女は、しきりに道の先をさしている。
エリザベータの乗っていたはずの馬がものすごい勢いで走っていくところだった。背中には誰ものせていない。
「エリザベータ」
私が飛び降りようとすると、クラリスが手でそれを止めた。
彼女は慎重におびえる馬をなだめながら道を進み、見つけた。
エリザベータが道に倒れている。
「エリザベータ。エリ」
わたしは傷が痛むのもかまわずに馬車から降りて彼女のもとへ走り寄った。後ろから明かりを片手にクラリスも駆け寄る。
彼女は頭を振りながら、起き上がろうともがいているところだった。
そしてわたしの姿を見るとものすごい目でにらみつけた。
「お父様。どうして」
「ああ、エリ、よかった。わたしがわかるんだね。頭を打ってないか?どこか痛いところはないか」
「どうして、こんなところにまで現れるの」彼女はぎゅっと土を握りしめた。「どうして余計なことをするの?せっかくうまくいっていたのに…ちゃんとヘンリーの言いつけ通りにできていたのに。お父様が、邪魔をするから」
「エリ。違うんだ。彼はね、彼は…」
「彼の言うとおりにできないから、嫌われてしまった。捨てられてしまった。それもこれもお父様が邪魔をしたせい。お父様が私のことを邪魔するから。せっかく私のことをわかってくれる人が現れたのに」
「エリ、それは違う。彼は初めからお前のことを」
土が飛んできた。砂が頬に当たる。私は口に入った土を吐き出した。
「この前の時だってそう。お母様に与えられた大切な仕事をこなせなかった。あれもお父様が邪魔をしたせい。いつも、いつも、いつも、お父様は私を邪魔する。いつも、いつも、いつも」彼女は言いながら何度も砂を投げてくる。小さな石も飛んできた。私は片手で顔をかばう。
「どうして、私の邪魔をするの?いつも、いつも、余計な時に現れて、大切な仕事を台無しにする。わたしはわたしのやりたいようにしたいのに、私の計画を台無しにして」
彼女は地面をたたいた。
「やめなさい、お前の手が傷ついてしまう」
わたしは彼女の手を握ろうとしたが、はねのけられる。
「やめてよ、触らないで。汚らわしい豚のくせに」私は息をのんだ。
「どうしてそんなに私にかまうの。わたしがゴールドバーグの跡取りだから? ゴールドバーグの名前を継ぐものだから? おあいにくさま、私には一滴もゴールドバーグの血なんか流れていない。私は貴方の娘じゃない。まだ、娘かもしれないという夢を見てるの? それともなに? 私の体が欲しいの? ほかの男たちと同じように。私を好き勝手したいの? 私は知っているのよ。お父様が豚のように毎日違う女の人を抱いていたのを。毎日、毎日、毎日、夜になったら女を呼んで、毎日、毎日よ。種なし豚のくせに盛るのだけは人一倍…」
乾いた音が響いた。
クラリスがエリザベータの前で手を挙げていた。
「ウィリアム様がどんな気持ちだったのか知らないくせに」
クラリスは低い声でエリザベータを威嚇した。
「どんな思いで、そういうことをさせられていたかも知らないくせに」
「クラリス、いいよ」
ありがとう、クラリス、君のおかげでわたしは冷静さを取り戻すことができた。わたしはゆっくりとエリザベータの前に膝をつく。
「エリ、わたしは確かにどうしようもなく醜い豚だ。人並みの頭もないし、行動力もない。どうしようもなく、役に立たないお荷物だ。
お前はそんなわたしがいやかもしれない。嫌いかもしれない。
だけど、わたしはお前のことを娘だと思っている。たとえ血がつながっていなくても、お前はわたしのただ一人の娘だ。
大事な宝物だ」
「そんなに大事なら、大事なら、どうして、助けてくれないの? 助けてくれなかったの?
私のことが大事?
嘘つき。肝心な時は見放しておいて。私のことを振り向きもしないで。
放っておいてほしい時に手を出してくる。どうしてよ」
エリザベータは泣いていた。涙と雨がまじりあってほほを流れていく。
わたしは覚悟を決めた。エリザベータに本当のことを話そう。わたしの知るすべてを。わたしたちがここをゲームの世界だと思っていること、ゲームのシナリオに沿って動かそうとしていること、そのシナリオでは彼女が悪役として登場し、死ぬことになっていること。
今の彼女には悪役令嬢以外の道は選べない。選べないように強制されている。鋳型にはめられて、がちがちに固められている。そして、その型にはめられていることすら気がついていない。
彼女は知る必要がある。自分に他の道があることを。他の道を選ぶことができるということを。
「お前が助けを求めていた時に手を貸すことができなかった。それは本当にすまなかった。
許してほしいといっても許してくれないだろうね。それでもかまわない。
ここ最近のわたしの行動も、怪しく思えるのはわかっている。みんながわたしの頭のおかしいといっていることも知っている。
でも、エリ、わたしがこういうことをするのは理由があるんだ。話だけでも聞いてほしい。
たぶん、お前は荒唐無稽なほら話だと思うかもしれない。妄想だというだろう。
だけど、知ることはとても大切なことなんだ。
とにかくいちどわたしの話を聞いてほしい。
頼む。このままだとお前は破滅してしまう。その道を進むように誘導されて追い立てられているんだ。気がつかないうちに。
今ならまだ逃れられる。まだ、別の道に進む可能性が残されている。
エリ、わたしは大切なお前が傷つけられるところをこれ以上見たくないんだ」
エリザベータの暗い目が私を見つめていた。
「エリ、頼む。一度だけでいい。わたしの話を聞いてくれ」
わたしはエリザベータの暗闇をのぞき込んだ。
「そんなことをして何になるの? 気違いの言い訳は聞きたくないわ」
「そうだね、気が狂っているように思えるかもしれない。私自身、そう感じているのだから。
気狂い豚、そう世間では噂されているらしいな。そう見られるのもしかたないな、気が狂ったようなことしかしていないのだから。
これもわたしが必死で考えて行動した結果なんだ。
破滅を逃れるために。
エリ、わたしは未来に何が起こるのかを知っている…わたしは予見者とかいうものなんだ」
「予見者?」
「そう、ここでは呼んでいるらしいね。未来を見ることができる人。そういう意味だときいた。
だけど本当は少し違う。
わたしは君たちのことを…」
世界が凍り付いた。
雨が宙で止まった。エリザベータの零れ落ちそうな涙も盛り上がったまま固まる。
わたしの言葉も消えた。
声が出なかった。それどころか体が動かない。
動かないのではない。まるで時間が止められているかのように、いや、実際に時間は止められていた。
世界は色が消えていた。すべてのものがまるで絵の中のように、固まっている。
わたしはただそこに張り付けられた観察者だった。
「困るんだよね。そういうことをされては」
声だけが聞こえてきた。
ルーシー・マーチャント…チュートリアルNPCの凍るような声だけが聞こえてきた。
「内部の住人に、重要なキャラに、ソレを話すのはルール違反だよ。わかってる? せっかくのシナリオがぐちゃぐちゃになってしまうじゃないか」
ルーシーは私の背後からゆっくりと回りこんで、エリザベータの前に立った。
まるで彼の周りにだけ色が戻ってきているように、そこだけ正常に時間が流れていた。
わたしは動こうとした。声を出そうとした。
だが、ウィリアム・ゴールドバーグもほかの登場人物と同じようにただの置物だった。わたしの触ることのできないガラスケースの中の展示品だった。
ルーシーは彫像のように固まったエリザベータのほほをつついて、涙をぬぐう。
「君のお友達といい、君といい、どうして余計なことばかりしてくれるかな? せっかくみんなで楽しんでいたのに台無しだよ」
彼はため息をついた。
「プレイヤーが抵抗勢力と結託してシナリオをゆがめるなんて想定外だ。バグに近い大惨事だよ。これから管理者に報告して対策をとらないと…」
ルーシーはぶつぶつと言いながら、頭をかいた。
「ああ、それから、君、今回のこと、アカウントの剥奪もあり得るくらいの違反行為だから。それなりのペナルティを科させてもらうよ」
死んだ魚のような目でルーシーはわたしを見ていた。
外見は人の形をしていたが、これは人ではない。
泣いても、わめいても、言い訳しても、許しを請うても、
コレに何を言っても無駄だ。
絶望がじわじわと意識をおかしていく。
「あ、処分が決まったみたいだね」
ルーシーはかわいらしく小首をかしげた。
「介入できるぎりぎりの限度か。うん、うん、了解」
どこからか電波を受信したらしいチュートリアルキャラクターはゲームの中で見せる明るい笑いをわたしに向けた。
「それでは、よいゲームライフをお楽しみください」
暗転・・・
時間が高速で巻き戻っていく。
エリザベータがわたしに毒づき、
わたしはエリザベータのところにたどり着き、
エリザベータが馬から落ち、
爆風が吹きぬけ、
山の向こうに白い光が立っていた。
わたしはクラリスに警告しようとした。だが、体がしびれたように動かない。
白い光が視界いっぱいに広がって、
爆風が馬車を翻弄した。
馬が高くいなないて、暴れる。
クラリスが慌てて馬を押さえようとするが、抑えきれない。
小さな無蓋の馬車は大きく揺れた。
わたしは、馬車の枠をつかみ損ね、馬車から放り出される。
わたしの体は宙に浮いていた。あるべき、わたしの体を支えるはずの大地はなかった。
崖だ。
わたしは落ちている。
前方に馬を飛ばして駆け抜けるエリザベータの姿がちらりとかすめる。
エリザベータ…
叫びは音にもならなかった。
あと5話か6話で終わります。
もう字数が多くてもそのまま投稿します。分けるのはこの話で最後です。
ただ入れようかどうしようか迷っている話があります。
どうしようかなぁ。




