30-1 限界点
季節外れの冷たい雨の降る日だった。
その日は早めに予定を切り上げて、駐屯地とかしている村で体を休めていた。
わたしはクラリスやすっかり護衛役にはまってしまったギュスターブと地図を眺めていた。祠巡りもそろそろこのあたりは周り尽くしていた。あと数日ですべての祠を回り終える。そうすれば、ここから動かなければならない。
わたしはどうするべきか迷っていた。
周辺では悪い噂が広まり始めていた。帝国が侵攻の用意をしているという噂だ。
わたしが軍を引き連れているのを見て、露骨に安心しましたといってくる村人までいる。人々は戦火が迫っているのを感じているのだ。
その気持ちはよくわかる。ここと帝国との間にはイエローリンク領がある。だが、そのイエローリンク領が帝国に寝返れば、このあたりは帝国との国境線となる。かつてイエローリンク領が帝国の支配下にあったときのことをこの土地のものたちは覚えているのだ。
それに引き替え領兵は…危機意識がまるでなかった。たるんでいる、という言葉がぴったりくる。あたりを見回って、あやしい人がいたら捕まえて、その程度のこともろくにやっていない。訓練などピクニックの延長だった。自警団の方がましだった。
これもわたしが引きこもり豚だったからだ。なぜ、先祖たちが無駄とも思える祠祭りを続けていたのか、わかる。こうして地方の生の姿を眺めるためだったのだろう。兵士を今さら鍛えるのには遅すぎた。ゲームのシナリオ通りに進めば、あと一月も立たずにこのあたりは戦場になる。
そういうことを考えると、王軍がここにいるというのはありがたかった。理由はどうであれ、まとまって動ける兵がいるというのは大きい。それもかなり精度の高い兵士たちだ。
移動するべきか、それとも理由をつけてここにとどまるべきか。
トールがやってきたのはそんな思いで悶々としていたときだった。
「あらぁ、お兄さん、ここは公爵様のお部屋よ。勝手に入ってはダメ」
夜の護衛と化しているマーガレットさんの“娘”の一人が、黒ずくめの外套を羽織ったトールを止めた。
「リリーか? 悪い、緊急の用だ」
トールは水のしたたる外套を脱いで、女に渡す。
後ろにリチャードが控えているのを見て、クラリスがさっと部屋を出た。
「どうした?いきなり」君は直接ここに来ないという話じゃなかったのか? という言葉を遮ってトールが話し始める。
「大変なことがおきている。暴動が起きた」
「暴動?」思いもかけない言葉を聞いて、わたしは用意しかけた杯を再び机に戻す。
「ああ、暴動だ。友愛会の連中にたきつけられたやつらが町で蜂起したんだ。奴らは友愛の名を叫んで、町中を荒らしまくっている」
「会談は?」
「会談? そんなもの中止だ。危なくって話し合いどころじゃない。だれが、こんなことを企んだのか、疑心暗鬼に駆られた連中が殺しを始めてる。それに乗じて帝国が動き始めた」
「いったい誰がそんなことを?暴動の原因はなんだ?」
「友愛思想にとりつかれた奴らを取り締まったんだ。暗殺を計画していたとかなんとかという理由で。その中の首謀者が殺されたらしい。それでくすぶっていた庶民の怒りに火がついた」
「取り締まりに出ていた兵士は? いたんだろ?」
「かなりの数の兵士が暴動に参加している、といえばわかるか?」
ふらんす革命…ここにはない地名がぽろりと口から漏れてしまった。
「…もどきだ。くそシナリオの用意したくそイベントというところかな」
「いったい誰が裏で糸を引いているんだ?」
「そんなのしるかよ。会談に出ていた貴族連中は皆関与を否定している。みんなで責任をなすりつけ合っている最中だ。そこに帝国の連中が兵を出したという情報が伝わってきた」
「そんな、イベントあったかな?」
「ないよ、ぜんぜんない。そもそも友愛会なる組織自体ゲームには存在してなかった。それなのに自由、平等、友愛と来て、ふらんす革命もどきだ。むちゃくちゃな展開をしているのに、俺たちの結末だけ帳尻を合わせてきやがる。くそゲーが」
トールはののしった。
こういう単語に慣れているクラリスやリチャードはともかく、ギュスターブやリリーといった部外者もいるのだけど。もうこうなったら取り繕っても仕方がないか。
「エリザベータは? 彼女はどうしている?」
「わからない。庭師たちがおっている。会議の行われるはずだった場所にいることは間違いない」トールは勝手に杯を手にとってなみなみと酒をついだ。
「時間がないんだ。何が起こっているのか、混乱していて把握できていない。ただ結末だけは見えている。俺たちの予想とそうは外れていないはずだ」
帝国は侵攻し、魔王が誕生する。そして、エリザベータは…
わたしは目を閉じた。
「俺はもう一度戻る。おまえは…どうする?」
トールがかすかに迷いながら、聞いてきた。
豚が修羅場に向かったからといって、何か変わるとはとうてい思えない。わたしは武術ができるわけでもない。人を掌握できる人脈もカリスマもない。あるのは、あやしいゲームの知識となんとかしなければという思い込みだけだ。
それでも、トールは真っ先にわたしにこの情報を知らせに来た。自分が現場を離れるというリスクを冒してまでだ。
「どうする? ウィル?」
「わたしも行く」即答した。
「誰が敵で、誰が味方かもよくわからない。危ない状態だが、それでも行くか?」
「行かないと、後悔する。わたしは、あまりにもいろいろなことをやらなさすぎた。やらなくて後悔するのはもうたくさんだ…すまない、本当にありがとう」
トールは凶悪な人相をふっとゆるめた。
「急いで準備しろ。すぐに出るぞ」
「待ってください、何が何だが」
もちろんギュスターブは止めに来る。
「「ギュスターブ殿」様」
クラリスと呼びかけがかぶった。
「ギュスターブ様、公爵様は予見者なのです」クラリスが一呼吸おいてから、言い直す。
「よ、見者?」
「はい。未来をある程度見通すことができる力をお持ちなのです」
「そ、それは」
ギュスターブがわたしとクラリスの顔を見比べる。彼なりに納得する言葉だったのだろうか。迷っているのがありありとわかる。
「ギュスターブ殿、お願いがある。この地を守ってほしいのだ」わたしは気を逃さず言葉を継ぐ。「近いうちにここを余所の軍が襲う。あなたがいれば、それを防ぐことができる、かもしれない」語尾が弱気になってしまう。「頼む。ここの人たちを守ってくれ」
彼はわたしの言葉を信じるだろうか? 頭のおかしい豚公爵のいうことだと一笑にふすだろうか?
「お願いします、ギュスターブ殿、あなただけが頼りなのだ」
どこかで聞いたことがあるような台詞だが、わたしも必死だ。
おねがい、聞いてくれ。美女ではなく豚の頼みだけど、お願いします。
ギュスターブは目に迷いを浮かべながらも不承不承にうなずいた。
「ありがとう」わたしはこのときばかりは理力の力に感謝した。
その間にもクラリスはわたしに外套をかけてくれる。
「急ぐぞ。時間がない」リリーがトールに新しい外套を渡していた。トールは机の上に置いてあった酒瓶をとって一気にあおる。「いいよなぁ、酒は。生き返る心地がする」
にやりと笑う顔は悪人の顔そのものだった。
しとしと降る雨の中、わたしたちは馬車に乗り込んだ。トールとリチャードは馬で先導する。
当然のようについてくるクラリスのあとからリリーまで馬車に乗り込んできた。
「君もついてくるのか?」
「姐さんから、あなたの護衛も頼まれているのよ」リリーはフフ、と笑ってしなだれかかる。「好色な公爵様はどこでも女を連れて歩く、そうでしょ」
評判通りならそうだ。だが、わたしはそんな趣味はないぞ。来ていただけるなら、拒みはしませんけど。
これからアレはどうイベントの整合性をあわせるつもりなのだろう。
誰がこの事態を引き起こしたにせよ、友愛会とその仲間たちがこれからの行く末の鍵を握るのだろう。彼らがこれからの事件を主導していく。これは間違いない。
まず、混乱に乗じて帝国が軍隊を送る。そしてなんらかの原因で魔王と呼ばれる存在が現れ、ゲームの主人公とその仲間たちがその脅威にたち向かう。
大けがをした誰かをいやそうとして、帝国軍が宝玉をつかって実験。失敗して魔王の魂がよみがえり、魔族が復活するとかいう流れだった。そのあたりのことは、何かの設定集に書かれていたと姐さんが言っていた。
ゲーム内では復活した魔王とその四天王が挨拶に現れ、なんて大変なことなんだと周りが右往左往するシーンしかなかった。
今、イベントはどこまで進んだことになっているのか?
エリザベータが黄色ちゃんにふられるイベントは終わっているのか?
彼女が“宝玉”を帝国に渡すところまで話は進んでしまっているのか?
途中の休憩所でトールがこちらの馬車に乗り込んできた。
「俺の確認しているところでは、まだエリザベータのイベントは起きていない」
彼は冷えた体を酒で温めながら答える。
「それどころじゃない。おまえはショックを受けるだろうが、まぁ聞け。原作と違ってエリザベータが黄色ちゃんを誘惑するんじゃないんだ。黄色ちゃんが、エリザベータをおとしている状態らしい」
「なんだって!?」
わたしは瞬間黄色ちゃんことヘンリー・イエローリンクに殺意を抱いた。
「あのひよこやろうが、エリザベータに手を出した? あいつ、わたしのエリザベータになんということを」
頭が沸騰するほどの怒りに頭の血管がどうにかなりそうだ。そんなわたしにトールはあきれる。
「おいおい、落ち着けよ。おまえの愛しのエリザベータはもう乙女ってわけでもないんだから…いや、その」
「エリザベータを馬鹿にするな。馬鹿にしたらいくらおまえでも許さない!!」
「落ち着けって。そんなに暴れたら馬車がひっくり返るだろう。ともかく表面上二人は今恋人ということになっている」
「エリザベータ様は王子殿下と婚約されているはずでは?」
脳みそが沸騰しているわたしをのけ者にして、冷静なクラリスがたずねている。
「そこだよな。そこなんだけどな。おい、ウィル、ちゃんと聞いているか?」わたしが錯乱していないことを確認してから彼は話を続けた。「たぶん、王子も黄色野郎も二人とも転生者だと思う。俺たちと同じようにシナリオを知っている。俺の知っている限り王子は素知らぬふりをしている。だけど裏でヘンリーの野郎と手を組んでいるな。エリザベータがまともに動けないように手を打ってきた」
「エリザベータの思惑がわかって、それにのったふりをして。遊んでいるというのか…あの子を本気にさせて」
なんてクズ野郎だ。ゲームをやっていたときは一番純粋そうに見えた黄色ちゃんの無邪気な笑顔のスチルが邪悪な笑みを浮かべた悪魔のように目の前をちらつく。
「ウィリアム様、気を静めてください。あなたがそんな状態だと、事態は悪化するばかりです」クラリスがわたしの手をしっかりつかんでわたしを落ち着かせる。
しばらくして、わたしがつかれて背板にもたれかかったのを見てトールは大きなため息をついた。
「おまえ、エリザベータのことには、だけには反応するよな。いいんだけどな。だけど…彼女はおまえの血をひいていないんだぞ」いいにくそうに彼は付け足した。
「それでも、わたしは彼女を止めようと思う」わたしは自分の膝に目を落とした。「前から話していたとおりだ…止められる保証とかもういうなよ。でも、やらないといけない」
「そうだな」トールの柔らかい声が降りてくる。「止めなければ、いけないな」
わたしにできるだろうか?ざらざらとする不安と腹の奥からこみ上げてくる恐怖を抑えながら、わたしは自問する。できなければわたしはまた友を失う。
おそるおそるみあげたトールは黙って何か考え込んでいた。その落ち着きはシナリオから死亡宣告された者とは思えなかった。
「なぁ、また、ダークのパイが食べたいよな。あれと火酒はよくあうからな」
わたしは何か言わないといけない気がして、でも、恐ろしくて大切なことを伝えられなかった。
「おい、やめろよ。そういう台詞は死亡フラグだろ。俺はフラグを立てるのはごめんだ」
トールの口元に不敵な笑いがちらりと浮かんだ。ゲームの中ボスにふさわしい笑い方だ。そうして、わたしがその元締め…こんなにおびえて縮こまっているわたしが裏で糸をひいている悪人。
逆だろ。トールのほうが、いや、姐さんやアリサちゃん、敬士さんみんな、わたしなんかよりもよほど貫禄があった。一生懸命生きようとしていた。わたしは、どうしたらいいのだろう。ここでこんなことをしていていいのだろうか。まだ他にしなければいけないことがあるのではないか。何かを見落としているのでは、何か抜け道が、正解があるのではないか。
堂々巡りの問答が頭の中を回る。
「もう少しで町に着く」トールがふと顔を上げて、外を見た。「ここらで落ち合うことにしてたんだが…ああ、来たな」
誰かが雨の中水しぶきを上げて走ってきた。扉を開けると、あたりがぬれるのもおかまわず飛び込んでくる。フードの奥の顔は見たことがある顔だ。
「エリザベータ様が離宮に向かわれました」
わたしたちは顔を見合わせて、うなずいた。
いよいよイベントの開始だ。




