19 ゲームー1
葬式はひっそりと執り行われた。
誰一人声を上げる者がいない静かな葬儀だった。
主として式を司ったわたしも司祭が帰ってすぐに館に引き返した。
カークの墓前に残ったのは赤毛の女ただ一人である。
わたしはその場にいたくなかった。
また一人、仲間が去って行った。
彼はゲームの中のようにわたしたちのスパイではなかった。ゲームの中で行った犯罪行為は何一つしていない。にもかかわらずゲームで語られたとおりの死に方だった。
「当然の報いだ」
ゲームの中でカークの死を報告された攻略対象者はそう言い放つ。
当然の報い? 自分の彼女をかばうようにして死んだ男に向けられる言葉だろうか?
シャークの時と同じだ。この世界はゲームと似た状況を作り出してわたしたちを殺そうとしている。
ダークの心づくしの料理ものどを通らないほどわたしは追い込まれていた。それはトールやマーガレットさんも同じことだった。
「わたし、もう世界の滅亡とか国の行く末とか気にしないことにしたわ」
きっぱりとマーガレットさんが言う。
「これまではなるべく「華学」のシナリオを壊さないようにしてきたでしょ。わざわざ“村”の周辺で女の子を集めたり、冬の宴に出席してみたりしたけど、事態は好転しなかったわ。ほぼシナリオ通りに物事は進んでいる。この流れはわたしたちでどうすることもできない。わたしはフライスビューネへ行くわ」
思いも寄らぬ地名を聞いてわたしは戸惑う。
フライスビューネ…ゲームの中に一度も出てくることのなかった国である。
後に侵略してくるブランドブルグ帝国以上の大国であるにもかかわらず、シナリオ中にフライスビューネのフの字もでてこない。設定資料集にも確か辺境地帯とか書いてあって地図にすら載せられていない。
実際は普通に大国で豊かさという点ではブランドブルグ帝国も抜いている。商人達の連合体でしたたかな国だ。帝国とフライスビューネに挟まれて、昔からこの国は苦労しているんだけどね。
「実はわたし、前からフライスビューネの人から求愛を受けていたの。今度のことで腹を決めたわ。わたしはもうこのシナリオの舞台から降りる」
マーガレットさんはまっすぐにわたしとトールを見た。
「わたしがいなくて、この国が滅びるなら、それはそれ。世界が暗黒に閉ざされるのならそれでもいいわ。どうしてわたしたちがそんなクソシナリオのために犠牲にならないといけないの?」
「マーガレットさん、それは以前にも話し合ったことがあると思う」
トールが明らかに感情を抑えた声で口を開いた。
「この国を出るという選択肢を何度も俺たちは選ぼうとしてきた。だが、そのたびに邪魔される。俺もあんたも望んで今の状態にいるわけじゃない。豚公爵だってこの状況を変えるだけの時間も状況も与えられていない。この国を出ようと思っても、何らかの事情ででられなくなる、と思う。もし、でられたとしても、それは…」
「その先に訪れる死が確定してから…か。だが、それは君の経験から導き出した答えだ。ひょっとしたら今回は違うかもしれない。今回は抜け出せるかもしれない」
「だが、姐さんもアリサちゃんもフラグに触れもしなかったのに、結局殺された」
「だからあきらめるのか。だからあきらめてそのまま死んでいくつもりなのか?」
「そうじゃない。そうじゃないが、ただ余所の国に行けばいいというのはあまりにも安直だ。現に俺がこの国を出ようとしたときには無理矢理国に戻されるような出来事が起こってでられなかった」
「フライスビューネはただの国じゃない。あのゲームの中に名前すら出てこない国だ。そこならば、この物語の影響力から抜け出せるかもしれないだろ。この舞台の上にいればいるほど、決められたシナリオから抜けさせなくなっていく」
「だが、そうすると、この国が滅びるかもしれない。すくなくともブランドブルグの侵攻はおこるだろう」
「だから、そんなこと俺たちになんの関わり合いがある。関係ないだろう」
「戦争が起こったら、無関係とはいえないだろう。ここにいるトールやその家族、下働きをしている子たち、みんな巻き込まれるんだぞ。おまえのところの娘たちも、豚公爵の一家も、
みんなだ。もっと冷静に落ち着いて物事を見極めてから動いた方がいいんじゃないか。すべてを投げ出すなんてあんまりだ。君だけ逃げる気か?」
「逃げるだって? 投げたくって投げてるわけじゃない」マーガレットさん、いや、敬士さんは立ち上がった。
二人は無言でにらみ合う。
「君はいつでもそうだ。物事を見極めてから? もう時間がないんだよ。きみはいつも達観したふりをして投げ出してしまう。行動しないと、何も変わらないだろう。引きこもって解決する物事なんか存在しない」
「俺がいつ引きこもっていた?」
トールの顔色が変わった。彼は歯を食いしばるようにして言葉を出した。拳が固く握りしめられている。
「俺が何も行動していないとでも…」
何かを言いかけたが言葉に詰まったトールはそのまま荒々しく足音を立てて部屋を出て行く。
あとに残ったマーガレットさんは大きく深呼吸する。次にわたしと目を合わせたときはいつものあでやかなマーガレットさんの表情が戻っていた。口調は敬士さんのままだったけれど。
「ごめんね、翼君。俺だってこんな話はしたくなかった。トールが反対するだろうことはわかっていた。でも、もう他に解決法が思いつかないんだ。もし、フライスビューネに行くことで舞台から降りられるのなら、そうしたいと思っている。これは、マーガレットとしての思いが大きい。彼女は、わたしは、恋をしてるんだ。彼と一緒になれるという夢を叶えたいと思っている。本当は…あきらめるつもりだったんだけど…」
マーガレットさんは悲しげに笑う。
「君は、どうしたいんだ?ウィリアム」
わたしは、どうしたいのだろう。
外国に行けば、黒幕という役目から解放されるのだろうか?
そもそも逃げることなどできるのだろうか?
この国の貴族としての立場、公爵としての役割をすべてなげうって海外に行くことなどできるのだろうか…
無理だ。豚公爵としての私が即答した。私には今の立場を捨てることなどできない。それが貴族としての義務であり、公爵家として生まれた者の宿命だから、というのは嘘だけれど。
エリザベータ…
わたしの中に浮かんだ言葉はそれだけだ。
わたしがここから逃げたら、彼女はどうなる?
彼女は残ってここで悪役令嬢役を続けるだろうか。
数々の犯罪に手を染め、断罪されるのだろうか。
私の身代わりとして、女公爵として裁かれて処刑されるのだろうか。
エリザベータ、わたしの娘。
わたしは彼女をおいてここを去ることはできない。
「わたしは、ここに残る」わたしはきっぱりと宣言した。
「わたしは、娘をおいてここをでる気はない」
このままでは彼女は悪役令嬢としての道を突き進むだろう。その先に待っているのは死か、長い暗黒の生活だ。わたしはそれを知っている。
わたしがいてもいなくても、物事は変わらないかもしれない。だが、止められるとするならばわたしは娘が処刑されることを阻止したい。止められる可能性があるのは、おそらく私だけだ。
そんな考えに我ながら驚く。
この気持ちはゲームによって植え付けられたものではない。ウィリアムが、長年、娘に対して抱いてきた感情だった。
優秀な父がいて、兄たちがいて。家族の情は豚には注がれてこなかった。勉強も、武術も、不得手だった豚にはこの家に存在する理由などなかったのだ。
不幸な巡り合わせで爵位を継ぐことにはなったが、ウィリアム・ゴールドバーグは所詮形ばかりの当主だった。
周りのことはすべて家臣達が執り行ってきた。豚が動かなくても領地経営は周り、貴族社会も落伍者に等しかった若い公爵には冷たかった。
ただ公爵家の血を引くエリザベータだけが豚の生きた証であり、存在理由だ。
わたしの、光。それが消えるのは、耐えられない。
「そう」
マーガレットさんは目を落とした。
「ごめんなさいね。本当にごめんなさい」
トールと二人きりになったときにマーガレットさんの決意は固そうだと伝えた。
トールは、仕方がないという様子でため息をつく。
「前から、マーガレットさんとはそのことについての意見の相違があったんだ」
彼は思いの外冷静に説明した。
「だから、そのどちらでもできるように二人で備えはしていた。ただ、今はな。とても国外に逃亡できるような状態ではなくなってしまったんだ」
それはそうだと思う。ダークには家族がいる。カークやシャークのような街のチンピラに国境を越える許可が出るかはあやしい。そして、わたしだ。公爵という地位にあるものが国を捨てて、土地を捨ててこの国から出られるかというとまず無理だ。わたしには爵位を渡せる近親者はエリザベータ以外にいない。
「マーガレットさんは恋人ができたといっていた」
「ああ、フライスビューネの外交官だな。店に上客として通っていた男だよ。客と女将という関係から一線を越えているとは思っていたんだが」
彼が戻るということはブランドブルグの侵攻は近いということだな、とトールはつぶやいた。
「それで、どうするつもりなんだ?」
「マーガレットさんを止めるか、ということか? それは無理だろ。あいつが本気で行きたいといったら行かせるしかない。俺たちにはそれを止めることはできないだろ」
「ちがう、わたしたちのことだよ。トール、わたしはここに残る」
トールは言い切ったわたしに驚いたようだ。豚らしからぬ態度だったからかな?
「わたしは残るよ。エリザベータを残して自分だけ逃げるわけにはいかない。このままいけば、彼女は悪役令嬢になってしまう。そうすれば断罪の後に裁判だ」
「君は、翼君なのかな?それとも豚公爵?」
「どちらのわたしもそう思っている」
なぜだろう。わたしが豚公爵に飲み込まれてしまったのだろうか?それとも、わたしも、エリザベータのことを思っているのだろうか?確かに彼女はわたしのお気に入りのキャラではあったけれど。
わからない。
前はわたしとウィリアムの間には超えられない溝があった。それがいつの間にか消えて、どちらがどちらの思考なのかわからなくなってきている。
「そうか」
トールはかすかに口角を上げた。
それを見てなぜかわたしはほっとする。
これからどうするかを考えなければいけない。
まずは、マーガレットさんの海外脱出を成功させる方法を。
それから、彼女が登場するはずだった“村”でのイベントをどうするか。
次におこる“村”のイベントはブランドブルグに丸め込まれたマーガレットさんが起こした事件だった。その主役が抜けてしまうことになるのだ。
カークとシャークの二人のケースから考えると、誰かがマーガレットさんの代わりを務めることになる。シャークの場合はトールやわたし、カークの場合は赤毛の彼女だった。仮にわたしたちのうちの誰もその出来事に関わりすらしなかったらどうなる?
全く関係のない誰かが、その責を負うことになるのか? それとも、場所を替えて、やはり我々のうちの誰かが起こしたことになるのか。
そんなことを考えながら、今日も日課の畑仕事をする。
最近すっかりこれが習慣になってしまった。
土はいい。触っているだけで、癒やされる気がする。庭師の指示で作業をするだけなのだが、無心に作業をしていると悲しみや怒りといった負の感情がどこかに解けていく気がする。
時々様子を見に来る豚嫁のスパイももうなにもいわない。気違い豚のすることなど誰も気にとめないのだ。
誰も気にとめないと思っていたのだが…
「公爵様、ウィリアム様!」いつになく家令が焦って現れた。「至急館にお戻りください」




