5.リーサ
晴れ渡った空のなか、屋敷では多くの人間がバタバタと動き回っている。そんな中、ジャックは台所の隅に置いてあるテーブルに突っ伏していた。
「全然わからない…。」
勢いよく顔をあげた彼の眉間には、深く皺が刻み込まれている。手元には、アルファベットが羅列している紙とペンが、無造作に投げ出されている。
恐らくグレイが用意したのだろう。几帳面な字でアルファベットは並んでいる。その下に、たどたどしい字が書いてある。半分ほどで飽きたのか、終わってしまっている。
今までまったく勉強をしてこなかった人間に、さあ覚えろといったところで、投げ出してしまうのが関の山だ。まさに今、ジャックはその状況なのだろう。半分ほどでいっただけでも上出来なのかもしれない。
「覚えられない、つまらない、飽きた…。」
ぶつぶつと不満を溢しながら、ペンをいじる。
「まだ体を動かす方がましだ。」
そう呟く間にも、ジャックの横を女達が駆け抜けていく。誰一人としてジャックに目を向けもしない。
ジャックはとうとう諦めてしまったのか、自分の腕を枕に、寝る体勢に入る。
たまたま入ってきた風が、ジャックの髪を優しく撫でる。寝ろと言わんばかりの状況に、彼の意識はどんどん深くそこへ落ちていく。
それに気づいたのか、一人、恰幅のよい女性がジャックの背をめいいっぱい叩いた。ばちんと景気のよい音が、台所中に広がった。
「いった!」
目を白黒させて、ジャックは上体を起こして、痛みの原因を探す。近くにいた人々も何人か、音に驚いてジャックの方を見ている。
「何すんだよリーサ!痛いじゃないか!」
「いやあ、サボりを発見してしまったもんだからね!」
ジャックの嘆きをまったく聞かず、女―リーサ―ははっはっはっと、快活に笑う。ジャックは背中が痛いのか、少し涙目だ。周りの人も、その様子に少しほほえみ、それぞれの配置へと戻っていった。
「それで、なに寝てるんだい。」
「いや、あまりにわからなくてさ。」
そういうと、リーサはジャックの手元を覗き込んだ。
「あらまあ、アルファベットかい。」
「リーサ、わかる?教えてくれない。」
ジャックのその懇願に、またリーサは笑って無理さ、と一言言った。ジャックは不満げだ。
「そんな顔されても、無理なもんは無理さ。」
「なんでさ。」
「あたしゃ、アルファベットは読めてもその先を教えられないからね。」
そういうと、リーサはジャックにペンを握らせた。そして、肩を軽く叩き、頑張れと背中を押す。
「甘えることを覚えちまったら、もう自分で勉強する術をなくすよ。」
ジャックはそれを聞くと、少し考え、溜め息を吐いた。
「仕方ない、やってやるよ。」
それを聞くと、リーサは満面の笑みを浮かべた。
「それが終わったら、あたしの仕事手伝っておくれ。外で洗濯物干してるからさ。」
「わかった。」
それだけ言うと、大きな体を揺らして出口へと移動していった。ジャックはその背を見送ってから、もう一度紙と対面した。
カリカリと筆を進めて、暫くたった頃。話し声を聞いて、ジャックは顔をあげた。半分ほどだった書き写しは、もうほとんど埋まり二文字ほどになっている。
「姉さん。」
外で話しているのはどうやら、姉のドロシーとハウスキーパーのビビアンのようだった。
風にのって聞こえてくる声を、すべて正確に把握することはできないが、なにやら楽しそうだ。その声を聞いたジャックは無意識に目元を緩めた。
「あとちょっと頑張りますかね。」
二文字を書き入れ、ペンを置く。完璧とは言い難いが、歪な文字で全て模写してある。それを満足げに見つめ、ジャックは席をたった。
リーサがいなくなってからそこそこ時間が経ったが、まだ洗濯物を干していることだろう。なにしろ屋敷全員分となると、あり得ない量になる。
リーサのもとにいくため、表へ出る。
強い日差しが、庭全体を照らし出していた。
置くの方で手を振るリーサに気づいて、ジャックは足を早める。まずあの安心感のある体に突進するところから始めよう、だなんて考え、足の速度を上げた。
新キャラ出てきました。