3.ブルー
「オリーヴィア、いるかい?」
扉の向こうから、男の声が響く。オリーヴィアは、一瞬そちらへ目を向けてから、また手元へ視線を戻した。細かく作られた刺繍は、まだ一部分しか出来上がっておらず、一輪の花がオリーヴィアの方を向き微笑んでいる。
「どうかなさいましたか。」
オリーヴィアは作業を再開しながら、外に声をかけた。外ではがたりと物音がしてから、なにかがドアにぶつかる音がした。
「オリーヴィア、今日はビックリしたよ。いきなり人を増やしたいだなんて」
「あら、いやでしたか。」
そうオリーヴィアが答えると、慌てたように男が否定をした。
「オリーヴィアがしたいことを僕が止めることなんてしないよ。君が望んだことだ。勿論、受け止めるよ。」
声が、オリーヴィアが愛しくて仕方ないと言うように、廊下に響く。
「オリーヴィア、中にはいっても?」
慈愛に満ちた声が、部屋を満たす。オリーヴィアはその事にひどく満足げに笑い、「ええ、どうぞ」と、扉を開けた。
きいと音をたてて、扉が開く。表には、着飾った恰幅の良い男が、嬉しそうにたっていた。
「寒くありませんでしたか、あなた」
男の左の頬に手を添えて、オリーヴィアは優しくきく。男もその手に自身の手を合わせて、目を細めた。
「平気だよ、君を待つ時間にそんな余計なこと考えていられない。」
それをきくと、にこり頬を柔らかくして、オリーヴィアは嬉しそうにした。それさえ嬉しいのか、男は頬を桃色に染めてその顔を眺める。
「それでも、気を付けてくださいね。あなたはここの王なのですから。」
オリーヴィアの瞳に、男の顔が映る。それを見ながら、男は頷いた。
「保証はできないけれど、気を付けるよ。奥さんの言うことだからね。」
そういって、男はオリーヴィアの頬へ唇を近づけた。
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「そういえば、あなたたち文字は読めるのかしら。」
マーガレットは、積まれた洗濯物の中からハンカチを一枚、取り出しながら隣の双子にきいた。ジャックは眉を潜め、ドロシーは困った顔をする。
「文字が読める、読めないで随分と変わってきますからね。」
更に奥で休憩の準備を進めていたグレイが、静かに近づいてきて、二人の前に立つ。
「読めないです。」
ドロシーが代表して答える。
「自分の名前は書けるの?」
マーガレットが質問する。
「書けないです。」
今度はジャックが答える。
「ふむ。ならばまず、文字を教えるところから始めましょうか。」
グレイは顎に手を添え、今後の授業計画を練り始めた。二人の学習能力がどの程度かわからない今、綿密なものは作れないが、簡易的な計画を頭の中に組み立てる。だんだん弧を描いていく口に、前に立つ二人は顔を見合わせる。
「グレイさんは、二人にもっと賢くなってもらって、この家の戦力になってほしいのよ。」
マーガレットが苦笑いを浮かべながら、グレイのフォローに入る。双子は顔をもう一度グレイに向け、照れたように反らした。
「二人は何か書きたい言葉とかはあるのかしら」
マーガレットは、双子に視線を合わせて尋ねた。ジャックは考えてもいなかったと天を仰ぎ、ドロシーは瞳を輝かせて大きく頷いた。
「あら、ドロシー。あなたは何て書きたいの?」
マーガレットは楽しそうにきく。まるで弟と妹ができたようで、楽しいのかもしれない。
「私、青って言葉が書きたいです」
ドロシーは、マーガレットから目を離さずに答える。ジャックはそれを聞き、焦ったように口を開いた。
「俺もそれ」
「どうして?」
マーガレットは、にこやかな顔をしたまま答える。好きな色なのかしら、などと続ける。
「さっきいた女神様の瞳の色なの!」
ドロシーは、もうその言葉が書きたくて仕方ないと言いたげだ。
「俺はさっき見た空の色と、姉さんの目の色だから。」
ジャックはそんな姉を横目に、冷静に答える。ただ、言葉のはしはしにつまらないと言う感情が見え隠れしている。
「ドロシーの目はどちらかと言うと紺色ね。」
ジャックは二つ書けるようにならなきゃ。とマーガレットは楽しそうに喋る。後ろではグレイがまだ、計画表を考えているようだ。
「紺色…。じゃあそれ。」
紺色という単語自体を知らないのか、初耳と言うように言葉を繰り返した。言葉の勉強なんてする時間は、なかったのかもしれない。
「なら、早く覚えなきゃね。」
そうマーガレットが言うと、二人は照れ臭そうに頷いた。