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「最善策」

作者: 春木みすず

某所で書いたものをここにもあげときます。病んでる人が好き。

「最善策」








まちのはずれの みちのおく


まじょのすんでる もりがある


もりにいっては いけないよ


いったらきみは いなくなる


もりにくわれて いなくなる――――







雨が降っていた。



春の雨が木々の葉を伝って落ち、僕の体を濡らしていく。



もうずいぶん奥まで来た。もうすぐだろうか。歩きながらその瞬間を、いまかいまかと待ち続けるのは案外辛いものだった。



僕の命が、終わる瞬間を。



不意にざっと音がして、空気が変わった。

目の前の木の幹が、花が、葉が、ぐにゃりと曲がって臓器のように蠢く。森がその姿をみるみるうちに変えていく。さっきまで可憐だった白い花は、僕の背丈ほどまで巨大化し、ラフレシアのような腐臭を放つ赤黒い花に変わっていた。花弁ひとつひとつのふちに鋭いトゲがびっしりと生えており、これで獲物を鉄の処女のように突き刺すのだろうと想像できた。


僕は騒がなかった。ああこんな風になるんだなと、どこか冷静なまま「変わってしまった」植物を眺めた。

その花弁が口のように開くのを、その中の消化液が垂れるのを、何を思うともなく眺めた。


次の瞬間、何かに掴まれ後ろに投げ飛ばされた。花が僕の居た空間をばくりと噛んだのが見えた。腰を何かに抱えられ、僕は宙に浮いた。そのまま高度は上がっていき、眼下にどす黒い森が見えた。


これには面食らってばたばたと暴れると、上から声がした。


「じっとしてな。」


僕は抱えられたまま上を見た。そこで僕はやっと、自分が箒に乗った魔女に抱えられて飛んでいるということが分かった。

魔女はぼさぼさの黒髪をかきあげて、銀灰色の瞳で僕を見た。


「もうちょっとで着くから」





ーーーーーーーーーーーーーーーーーー





降ろされた場所はとても綺麗な所だった。木々が囲んだ小さな広場。清浄な空気、咲き乱れる花。これ以上ないくらいに澄みきった湧き水。現実感のないほどに美しく射し込む日差し。

ついさっきまで降っていた雨が残した水滴で、辺りはきらきらと光っている。


しかし、その中に佇む魔女は酷くぼんやりとしており、瞳には生気がなかった。その顔はどこか、猫に追われ続けながら死に場所を探している鼠を思わせた。

魔女は焦点が合わない目を僕に向けた。


「あーー…………。えっと。」


「大丈夫かい。」


僕は無言のままうなずいた。魔女はほっとしたように言葉を続けた。


「よかった。送ってくよ。」


「ああ、その前に服を乾かしてあげないとね」


「お腹はすいてないかい。何か食べてった方がいいかな、」


そこで急に魔女の言葉は途切れ、魔女はまたぼんやりとし始めた。まるで魔女の魂がふと魔女から離れてしまったかのようだった。


おかしい。


なぜ僕を気遣うんだ。そもそもどうして僕を助けたんだ?



この森を、人喰いの森を作ったのは

この魔女のはずなのに。



この森は人だけを食べる人喰いの森だ。動物が食べられることは決してないのに、

人間が入ると確実に食べられる。言い伝えによれば魔女はとにかく人間を殺したいらしい。

そのせいで森の恵みを受けられない町はとても貧しかった。森を開拓することも、森で動物を狩ることも、森で果実やきのこを採ることすらもできなかった。



魔女が思い出したかのように再び僕を見た。


「きみは、」


「なぜここに?」


僕は口を開いた。


「いけにえだから」


「なん……だって?」


「魔女のための生け贄だから。ここで死ぬために来たんだ。」



本当のところは、生け贄というのは正確ではなかった。

僕は自分でここに来たのだ。ここで死ぬことを、自分で選んだのだ。


僕の父は人殺しだった。そのせいで、町に僕の居場所はなかった。

母が病死し、父は牢屋に入れられ、身寄りのない僕。そんな僕を魔女の生け贄にしてみようと、町の人々がそう噂しているのを聞いた。

今まで生け贄が出されたことはない。

でも、魔女は人を殺したいらしいから。

その願いを叶えてやれば、魔女が機嫌を良くして森を元の姿に戻してくれるかもしれない。

ついでに口減らしもできて一石二鳥と、そんなところだろう。


僕はせめて死くらいは自分で選びたかった。無理やりここに連れられて死ぬくらいなら、自分で行こうと、決めた。



もうずっと死にたかったんだ。



僕の言葉を聞いた魔女の顔が歪んだ。


「ああ……あああ!!」


「私のせいだ……私のせいで!!」


「ごめんなさい…ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


魔女の様子は明らかにおかしかった。

僕は急に怒りがこみ上げるのを感じた。


「どうして僕を助けたの」


「どうして、って、」


「この森を作ったのはあなたでしょう」


「人間を殺したいんじゃ、ないの」


そう言った途端、魔女の様子が一変した。魔女は頭をかきむしりながら叫んだ。


「ちがう!!ちがうちがうちがうちがうちがうちがううううう」


「私は死ぬのなんかみたくない、みたくないんだっ!!」


木々がざわめき、強い風が吹く。

僕も負けずに叫んだ。


「だったらなんでこの森を作ったの!!」



森が、ぴたりと動きを止めた。

深海の底のような静寂が、広場に満ちる。

魔女がいつの間にか顔を上げてこちらを凝視していた。



「だって、」


「人間がころすんだ」


「木が、花が、動物が、泣いてるんだ、やめてくれって、ころさないでくれって」


「なんでこんなことするんだって」


魔女の涙がぼたぼたと地に落ちる。

美しい広場が、魔女を中心に変質していく。


「聞こえるんだ!!声が!!ずっと!!人間が開拓するたびに!!ずっと!!気が狂いそうだ!!」


「だから、魔法をかけた」


「でもそんなつもりじゃなかったんだ!!追い払うだけでよかったのに!!」


「私のせいで!!人が」


「うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああ」



僕は走った。木の根に足をとられて転んでも走った。森の植物は僕を狙うことはなく、ただ苦しむようにずっと荒れ狂いのたうち回っていた。


森を出た僕は町の人々に森に行ったことを話し、「魔女は生け贄を欲していない」と告げた。

僕の言葉はすぐ信じてもらえた。森はその後もしばらく荒れ狂っていたから。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「ーーーここだ」



あれから10年が経ち、僕は再びこの森に戻ってきた。

魔法使いとなって。


この森を元に戻すために。


襲ってくる植物を魔法でなんとかいなしながら先へ進むと、すぐに魔女が現れた。魔女の見た目は10年前と全く同じだった。ぼさぼさの黒髪、濁った銀灰色の瞳。

魔女はぼんやりと僕を見て、少ししてからはっとしたように僕の目を覗きこんだ。


「きみは、あの時の?」


「よく覚えてましたね」


「生きてた……」


魔女はまじまじと僕を見て、大きくなったねえと言った。


「もしかして、魔法使い?」


「そうですよ。あなたとは比べ物になりませんが」


「すごいねえ」


「……」



僕は魔女に誘われ、あの美しい広場へと通された。広場は一度変質したことをまったく感じさせない、現実離れした美しさのままそこにあった。

僕は口を開いた。


「あれから、町の文献を調べたり、長老達に話を聞いたりしました」


「調べた結果、この森が"変わった"のは約300年前」


「そして森での死者数は、最初の数年で相次いで出た他は」


「ほぼゼロだ」


「助けていたんでしょう?僕と同じように。迷いこんだ人が死ぬまえに」


「……」


魔女は僕の声がまったく聞こえていないかのようにただ宙を眺めていた。もつれた黒髪に晩春の柔らかな日差しが透けている。キアゲハがその髪でしばし羽を休め、そしてまた飛び立った。


「あなたは森を戻そうとしたでしょう」


「でも、できなかった」


「この森に再び足を踏み入れて確信しました」


「あなたの魔法は心の魔法。この森は」


「あなたの心を具現化している」


魔女は相変わらず無反応だったが、僕は負けなかった。この森を、そして魔女を救うために僕は生きてきたのだから。


「あなたは人を殺したいんじゃない」


「人が怖いんだ」


「だから、森が人を攻撃してしまう」


魔女の視線がふらりと動いた。僕は続けた。


「魔女についての文献を調べたとき、こう書かれていました」


「300年前、この町に動植物の声が聞こえる少女が居たと」


「その少女がある日森に入り、魔女となったと」


「僕はそれを読んで思いました。少女は人が怖かったから森に入ったんじゃないかって。」


僕も人が怖かったから。僕を人殺しの子と見て、暴言を吐いて疎んだ人々が。

動植物の声が聞こえる少女もまた、気味悪がられ、疎まれたのではないか。

魔女がおもむろに口を開いた。


「あの日、」


「あの日ね、森で悪魔に会ったの」


「私は人が怖かった。私を気味悪がって傷つけていく人たちが」


「それに比べて森はいつも私に優しかった。森だけが私の居場所だったの。」


「でもその森をおとなたちはどんどん伐っていってた。」


「ひどい悲鳴が毎日、毎日聞こえた」


「悪魔は言ったわ。『止められる方法があるよ』って」


「私はそれを聞いて喜んだ。」


「そして、私は魔女になった」


「これで森が解放されると思って、とっても嬉しかった」


「これでもう嘆きの声を聞かなくてすむって」


「でも違った」


「その日森を伐りに来たひとはみいんな」


「森に喰われた!!」


魔女がガタガタと震える。木々が牙を剥き、威嚇するようにこちらに伸びた。


「こわい……こわいこわいこわい」


「落ち着いて」


「いやだ!!もうどうしようもないのよ!!」


「私は傷つけられたくなかった」


「死ぬのを見たくなかった」


「でも!!私が殺してしまった」


「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」


広場が一気に変質する。紫と赤と黒のおぞましい植物が地面を覆い尽くし、僕のすぐそばまで迫る。魔女の目が赤く光り、長い黒髪が大きく広がった。

僕は必死に言葉を伝えた。


「あなたは悪くない!!」


「あなたは魔法を使った結果、どうなるかを知らなかった!!」


「悪いのは悪魔だ!!」


「でも、私の心が、人を」


「あなたが人を怖れるようになったのはあなたのせいじゃない」


「人が死んだのは、あなたのせいじゃない」


僕は瞬きして、あらためて魔女の赤く光る瞳を覗きこんだ。魔女のどろどろに渦巻いた感情がそこに見えた。恐怖、絶望、悲しみ、不信、不安、そして僅かな期待。


「そして、」


「あなたは"ただ人が怖いだけ"じゃない」


「この広場はなぜ僕を襲わないのか、わかりますか」


「ここはちょうど、森の中心部だ」


「あなたの魔法は心の魔法」


「森の周辺はあなたの心の表層。そしてここは、あなたの心の最も深い部分を具現化しているんだ」


僕はゆっくりと言った。


「あなたは、心の奥底では、人を受け入れたいんだ」


魔女の目から赤い光が消えた。

強張っていた植物たちから力が抜ける。魔女は数歩ふらふらとよろめき、前に倒れかけた。

僕はとっさに魔女の腕を掴んだ。


魔女は俯いたまま、呟くように言った。


「なんとなく気づいてた……」


「私の心が、魔法が解けない原因だって」


「でも人を受け入れることができなかった」


「人を見ると昔を思い出してしまった」


「それに森に来た人たちはみんな私を恨んでいて、それがどうしてもこわくて」


「魔女の力のせいで、死ぬことすら、できなくて」


魔女の目から涙がこぼれる。濁っていた銀灰色が、澄んでいた。


「私を恨んでるでしょう?」


「恨んでなんかいない。」


「嘘だ!!私のせいで人が死んだんだ!!私が殺したんだ!!私のせいでっ」


魔女の言葉は僕が魔女を抱き締めたせいで途切れた。


「あなたのせいじゃないし、たとえあなたのせいだとしても、もう許されてもいい時だ。」


「信じて下さい。僕はあなたを恨んでなんかいない。」


「僕を信じて」


「僕も君を信じるから」




その瞬間、まばゆい光が走った。


虹色の光が魔女から迸り、僕らを包む。




「信じて、いいの?」


「そうだよ」


「人間はこわくなんかないんだ」




魔女はわらった。


森が、自然のままの姿に蘇っていく。


魔女の体からふっと力が抜けた。


僕もその動きにつられて、魔女を抱えたまま広場に座る。



「もっといい方法が、きっとある」


「あなたにとっても、僕らにとっても」



あの時、僕はただ死にたかった。

でも魔女の嘆きを聞いて、この森を元に戻したいと思った。はじめての願いだった。

魔女のことを調べるにつれ、気づいた。魔女は自分のせいで人が死んだことを、もう300年も悔いて悔いて悔い続けているんだと。

魔女を救いたい。いつしかそう思うようになった。

そうしようと思っていなくても、僕に生きる理由を与えたのは、魔女だ。


「ごめんね、ごめんねえ」


未だに泣き続ける魔女を腕に抱きながら、僕は空を見上げた。

森はすべてを祝福するかのように美しかった。


この森で人が死ぬことは、二度とない。







まちのはずれの みちのおく


まじょのすんでる もりがある


もりのなかでは きをつけて


まじょがなくこと ないように


ころさないよう きをつけてーーー













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