8話「特技は合唱です」
エル達が武器を構えた瞬間、けたたましい声が辺りに響いた。見ると、魔物の口の半分ほどが開き、叫び声をあげている。
「生ける害悪ですか、こいつは!」
ラヴィは悪態をつきながら兎の耳で本来の耳を覆い、その上から耳を塞いでいる。実に防音性の高そうなやり方だ。
その悲鳴はやがて止んだ。威嚇だったのか何だったのかは分からない。ただ、それが人だったことを感じさせられるような、そんな苦しげな声だった。
「「「これはお前達の行いがもたらした一つの結果だ」」」
不意に、『彼ら』が喋る。話す魔物なんて初めて見た二人は、一瞬何が起こったのか分からなかった。
しかし、当然ながら二人が理解するのを待ってくれるほどの優しさはない。
魔物は次の行動を開始した。閉じていた残りの口を全て開いたのだ。
……否、それは口ではなかった。いや、唇もあるし、口の形をしてはいるのだが、その魔物に貼り付いている口の半分は、目だったのだ。
肥大化と充血をした目玉が口の中にくわえられている。それらはエル達を見て、優しそうに目を細めた。
「「「飼っていたオウムがあの人達に連れていかれちゃったんだ。どこかで見なかったかい?」」」
「……知らねえよ。ラヴィ、やるぞ!」
少し怯んでしまっている彼女に呼びかけ、魔物へ向かっていち早く駆けだす。一瞬で目の前まで来ると、目の部分だけを的確に刺し、斬り、抉っていった。
視界を奪う作戦だ。斬りつける度に鳴る悲鳴には耳も貸さず、光速の斬撃を浴びせまくる。
不意に、肉塊が上下に分かれた。真ん中から綺麗に、パックリと。断面には数えきれないほどの歯。
魔物は今まさに、『大口を開けて』エルを飲み込もうとしていた。
「くっ……!」
現状を把握し、瞬時に後退する。冷や汗が彼の背中を伝ったが、それを感じる間も与えられない。
魔物はその身をグルグルかき混ぜて、新しい口と目を表面に持ってきたのだ。
「長い戦いになりそうだな」
「そんな場合ではありません。次は二人がかりで行きましょう。一気に攻め落とします」
槍を構える彼女の体には魔力が満ちていた。敵の動きを観察しつつ、仕掛け時を探っている。
「「「娘が世話になってるねぇ。これからも仲良くしてやっておくれよ、エル君」」」
「……は?」
唐突に、何の脈絡もなく出された自分の名前に、エルは一瞬戸惑う。
「おかしいな。友人の親に、こんなインパクトの強い奴はいなかったはずだが」
「……気のせいです。『エル』だなんて、どこにでもいる名前ですよ。それより、今は余計なことを考えている場合じゃないでしょう!」
ラヴィにとっては、彼の事情よりも断然フォクシーの件の方が重要だった。こんな時まで一緒に悩んであげるほど彼女は優しくないし、悠長にもできないのだ。
「……ああ、遅れずについてこいよ!」
「ふん、こちらの台詞です!」
敵の目前まで跳び、槍で口を貫くラヴィ。エルも続き、先程と同様に目を集中して潰していく。
「「「君達は何とも思わないんでしょう? 私達は生きるために何匹かの人間を食うが、それも必要最低限だ」」」
声は女の声になったり男の声になったり、老人の声になったり子どもの声になったりしていた。魔物の目が確かな怒りをもって震えだす。
塊は形を変え、触手をいくつも生やした。とうとう魔物は、敵意を明確に抱いたようだ。
「「「道に立ち塞がっているというだけで襲ってくるのだから、人間という生き物は酷く残虐で臆病なのだろうね」」」
物理的な触手の攻撃、精神的な糾弾の攻撃がエル達に降りかかる。
「無駄に口数の多い魔物だぜ……」
誰に言うわけでもなくジョークをかます。エルは攻めの姿勢を崩すことなく、大声でラヴィへ呼びかけた。
「話を聞くなよ! 口論では勝てそうにないからな!」
「冗談を言う余裕があるなら、手を動かしてください!」
彼女は律儀にもツッコミを入れてくれる。触手を間一髪のところで避け、五月雨の如く突きを放った。
潰れた口や目はゆっくりと閉じていく。
ふと、槍を魔物の体に深く突き入れた瞬間、固い何かが槍の先端に触れる。
「ん……?」
その違和感の正体を確かめるべく、ラヴィは何度も肉塊の中央へ向けて突きを放った。
「エル様! この魔物、真ん中に何か固い物体があります! それが核かもしれません!」
「おっ、でかした! もう一度攻撃してみろ! 〈ブレイド〉!」
返事に続けて呪文を唱える。武器の切れ味を鋭くさせる効果があるものだ。
彼の呪文により、ラヴィの槍に魔力が込められる。
だが、そのために余所見をしてしまったエルは横から薙ぎ払うように飛んできた触手にぶつかり、吹っ飛ばされてしまった。
「ぐっ……!」
そのまま木にぶつかり、地面に倒れる。
「エル様! こ、この……!」
助けに行くのはかえって危険だと判断し、武器を振りかぶるラヴィ。
敵に付いている口や目はほとんど潰れてしまっている。まだ開いている瞳へ、殺意を込めた渾身の一撃を魔物へとぶつけようとした、その時――――
「「「ママ……助けて……真っ暗で、何も見えないの……」」」
女の子の、声がした。全く聞き覚えなどないけれど、ちょうど彼女の妹と同じくらいの声だったのだ。
ただその一事が彼女の手を止めてしまった。
「あっ」
静寂の包む森にラヴィの声が儚く溶ける。彼女が気付いた時、その目の前には涎にまみれた大口が広がっているだけだった。