6話「魔物が現れた!」
ギルドとは、様々なクエストを斡旋している場所だ。主に魔物を狩るものを多く取り扱っている。
故に、ギルドにはハンターという魔物狩りの専門職がよく出入りする。彼らは魔物を相手どるだけあって、魔力量がそこらの市民とは桁違いだ。かつてはエルもその一員だった。
ちなみに、その他の軽い依頼は町の入り口にある掲示板なんかに貼り出されている。ギルドを通すと、それだけ料金も嵩むからだ。
「いらっしゃいませ。今日はどういった依頼をお探しで?」
そんな施設、木製の棚やテーブルに椅子が点在する受付で、エルとフォクシーは大量の汗を流していた。
窓から差す柔らかな日光も、ギルドに併設されたパン屋から漂う匂いも、今の彼らには楽しむ余裕が無いだろう。
対する受付嬢は満面の笑みを崩さず、額に青筋を立てている。銀髪に兎の耳と尻尾。瞳は赤の色に支配されている。
人間の国で働いている、悪魔の女の子だ。しかし、一つだけおかしい点を挙げるとすれば、顔立ちや体格がフォクシーと同じだということ。勿論多少の差異はあるが、目測ではほとんど違いなど判らないだろう。
「ら、ラヴィ……!」
「あら、フォクシー。偶然ね。魔王という職に就いたと風の噂で聞いたのだけど、こんな辺鄙な町で何をしているのかしら? それと、姉に対して呼び捨てなのは相変わらずなのね」
受付嬢は微笑を湛えながら詰まることなくスラスラ台詞を読み上げる。
そう。彼女はフォクシーの双子の姉、ラヴィだ。数日前まで魔王城でメイドをしていたのだが、ある日から突然姿を消していた。
その彼女がどういった訳か、こんな所で働いていたのだ。当然、呆ける。呆気にとられる。エルとフォクシーは喜びというよりも、彼女の静かな怒りにただただ怯えていた。
「何してるかって……なあ?」
「うん……。ちょっと冒険をしようかと」
「あ゛?」
「ひぃっ……!」
唐突に発されたドスの効いた声に怯んだフォクシーはエルの後ろに隠れてしまった。必然、ラヴィの視線は盾である彼へ注がれる。
「いやぁ、こいつが『あまりにも退屈だから冒険に出たい』とか言い出してな。断念させてやろうと思って、高難度のクエストを」
「へぇ。そんな理由で、私の大事な妹を危険な目に遭わせようと?」
「誠に面目次第もございません」
かぶせ気味に浴びせられるド正論と、射抜くような視線に耐えきれず、彼は速攻で頭を下げた。
「……はぁ。もう、いいですよ。それで? どういうクエストをしたいんですか?」
「え? いいのか?」
「はい。貴方のそのリスクに鈍感な腐った脳には腹が立ちますが、一応今は仕事中ですしね。ただし、クエストには私が付き添うことにします」
流れるように交換条件を提示された。
彼女の言うとおり、ギルドのクエストには基本的にギルド側の人間や所属ハンターが付き添うことになる。依頼をしっかり達成したかを確かめるために定められた規則だ。
「ああ、構わない。ボロクソに言われてるのは胸にくるが……」
「事実を述べたまでです。では準備をしてきますので、こちらから受注されるクエストを選択なさっていてください」
そう言って分厚いリストを取り出してエルに手渡すと、彼女は控え室へと消えていった。
もう日も暮れた頃、町からかなり離れた森の中、濃密な気配が漂う木々の間を三人は馬で進んでいく。
ここは魔王城近くの巨大な森。いや、最早その規模は樹海と言った方が正しいだろう。
広大な緑は見る者に包容力を感じさせるが、それも昼のこと。暗闇が支配しだした時間帯では威圧感と薄気味悪さしか与えない。
「一番難しそうなクエストを選ぶなんて、少々慢心が過ぎるんじゃないですか?」
「だから、言ったろ? フォクシーに旅を諦めさせるのが目的なんだって」
もうフォクシーに隠すこともなく、正直に本心を吐露する。
彼が受けたのは『夜間、森の奥から不気味な声がするから、様子を見てきて欲しい』といったものだった。
一見そこまで難関にも思えない内容だが、問題はそこではなかった。
この依頼を引き受けた人数は十人近くいるというのに、誰一人として帰ってきていない。
つまり、全員失敗しているのだ。十中八九、強力な魔物や無法者がいると見て間違いないだろう。
「にしても、お前も軽装備なあたり、魔物なめてるとしか思えないぜ」
ラヴィの服装はフォクシーと同じで防具など付けておらず、銀色の槍を背中に背負っているだけだ。色以外は姉妹でお揃いである。
「私達は昔からこのスタイルです。あの頃は防具も買えませんでしたから」
「あの頃っていうと、お前らが盗賊をしていた頃か?」
「ええ」
それ以上は語りたくない様子を察してエルも口をつぐむ。あまり詮索するものでもないと思いとどまったらしい。
振り返ってフォクシーにでも話を振ろうとしたところで、ようやく彼は気が付いた。
「あれ? フォクシー、どこ行った?」
「えっ。嘘……!」
エルと同様にラヴィも事態を認識する。先ほどまで後ろに付いてきていた彼女が、いつの間にか姿を消してしまっていたのだ。
「フォクシー! イタズラならタチが悪いわよ! 出てきなさい!」
喉が潰れるような姉の叫びも、辺りの枝葉を虚しく揺らすだけだった。
「お姉ちゃーん! オジサーン!」
二人がフォクシーの消失を発見するよりも少しだけ前のこと。彼女は同じ森のどこかを歩いていた。
「返事はない、か……。うーん。これは、二人とも迷子になっちゃったみたいだね。まったく、世話が焼けるなぁ」
偉大なる魔王様は決して自分が迷ったわけではないと思い込んでいるようだ。
実際のところは、彼女が綺麗な月に見とれている間にはぐれただけなのだけど。
その事実はフォクシーの脳内で全体的に捏造され、断片的に隠蔽されてしまった。
「仕方ないな~。探しに行こっと」
方向を転換し、今来た道を戻ろうとする。
だが、それとほぼ同時に、背後で何かが動く音がした。
「……オジサン?」
振り返り、呼びかける。
彼女の声に反応したそれは、木々を巨体で押し倒しながら近付いてきた。黒い影だった姿が月明かりによって露になる。
それは鳥のような生き物だった。全身が真っ赤な羽毛に包まれており、ところどころ禿げている部分からは黒ずんだ鳥肌が覗いている。
その体躯は三メートル程もあり、左目は飛び出ていた。ギョロついた右目がフォクシーを捉える。
「魔物……!」
フォクシーは馬から飛び降り、流れるように背中から槍を引き抜いた。
充満していた土の匂いに、腐った血と肉の香りが混じりだす。月は雲に隠れてしまった。暗がりの中に二つの影が溶けゆく。夜目が利くフォクシーでなければ、真っ直ぐ歩くこともままならなかっただろう。
「タスケテ! タスケテ!」
幼児の奇声にも似た言葉と共に、魔物の嘴から飛び出ていた人間の腕が、ポツリと地面にこぼれ落ちた。