5話「冒険に出よう」
「そうだ! 冒険に出よう!」
相も変わらず時間を浪費するだけの仕事をしていた、ある日のこと。突然玉座から立ち上がったフォクシーはそう叫んだ。
「はぁ?」
間抜けな声で返すエル。毎日毎日この空間でボーッとしていたせいか、表情が溶けてしまっている。
「だから、冒険だよ! 冒険! 私も旅に出た~い!」
「……色々ツッコミどころがあって、何から言及していくべきか悩むところだが」
眉間に手をやったエルは数時間ぶりに顔を引き締める。
「冒険って、どこを目指すんだよ」
「うーん……適当に! どこかへ!」
「やっぱり完全な思いつきなのか……」
「長所は溢れんばかりの行動力ですっ!」
ビシッと敬礼するフォクシーにゲンコツをかましてやりたい衝動に駆られながら、側近は丁寧に諭し始める。
「いいか? お前は魔王だぞ。王様。チェスで言うところのキングだ。仕事が無いようにも思えるが、お前がいることで悪魔の国の平和が証明されてるんだよ」
「うんうん」
「そして俺の仕事は、そんなお前を守ることにある」
「なるほど……」
腕組みをして難しい顔をする魔王にひとまず安心したエルだったが、その安堵も彼女の次の言葉によってすぐに裏切られる。
「じゃあ、冒険に出よう!」
「なんでだよ!」
悲痛な叫びが魔王の間に木霊する。彼は独身だというのに、既に子育ての難しさについての理解を始めていた。
「だってオジサンが私を守ってくれるんなら、魔物も悪い人も怖くないじゃん」
「こんな時に限って前向きに捉えるなっての。……はぁ、まあいいだろう。行くか、冒険」
「……え? ほんとに!?」
存外早く認めてくれたエルにしがみつくフォクシー。対するエルは意地悪な顔をして彼女の頭に手を置いた。
「ああ。だが、一つだけ条件がある」
「条件?」
「そうだ。それは、旅の初めに俺とクエストを一度だけやること。このくらい突破できないんなら、冒険なんか数日で終わるだろうしな」
彼の狙いはそこにあった。高難度のクエストを受注し、彼女に旅の辛さを味あわせる。初めから旅をさせる気なんて無いわけだ。
フォクシーは一般市民よりかは強いけども、呪文も使えない女の子だ。魔物との戦闘でも、エルの匙加減で安全に苦戦させることができるだろう。
思いつき程度の興味なら、そこで簡単に折れてくれると考え、この作戦を画策したのだ。
「全然大丈夫っ! 今こそ玉座を温める仕事で怠けてるけど、これでも昔は無法者として色んな魔物や盗賊と戦ったんだからね! きっと相手の方から私の強さに恐れ、ひれ伏すに違いないよっ!」
どこからか取り出した黄金の槍を慣れた動きで回しながら、話に信憑性を持たせようとしている。
槍は彼女の身の丈より一回りほども大きく、それを容易に振り回す姿が、彼女の力の強さを示していた。
「そうかい。じゃあ、善は急げだ。どうせ用事も無いし、今から行くぞ。準備しろ」
「りょーかい!」
そういう訳で、まるで遠足にでも行くようなノリで、二人は魔王の間を後にしたのだった。
数時間後。彼らはある町の入り口に立っていた。
レドン町。人間の国にある町の一つだ。エルの故郷であり、過去に魔物の襲撃で一度壊滅した過去を持つ。数年前に復興が開始され、今もそれは続いている。
そこを現魔王であるフォクシーが訪れるというのは危険、とまでは言わずとも、無知な人々の反感を買う恐れがあった。特に『常に何かを批判していたい』ような人間達には格好の的だろう。
当然、皆には止められた。しかしエルが熱心に事情を説明し、フォクシーが職権を乱用したおかげで、無事二人で旅に出掛けることに成功したのである。
「へぇ~。ここが人間の町か~。悪魔の国とは違って、数百年前からあんまり進展してないんだね」
「二十年前までは魔物との戦争でそれどころじゃなかったからな」
辺りを見渡しながら呟くフォクシー。
エルは軽装とはいえ防具を身に付けているというのに、彼女は私服の上に赤いマントを羽織っているだけだ。槍は背中に担いでいる。武器と体のサイズが合っていないため、非常に動きづらそうだ。
「それにお前の目からは分からないだけで、かなり進歩してるよ、人間は。……離れるなよ。不届きな野郎がいつ出てくるかも分からねえ」
言って彼は自然にフォクシーの手を握る。
「うえぇ!? お、オジサン……! どうして手を……?」
「ん? ……あ、すまん。よく妹にやってた癖でな」
しまったと思いながら離した彼の手を、すぐさま少女の手が追った。もう一度結び、体を一歩分近づける。
「あっ。えと、そのっ……。私、迷っちゃうかもだから、案内して欲しいかな~……なんて」
露骨にぎこちなくなった彼女の態度にエルは首を傾げたが、それも一瞬のことで、直後にはいつもの豪快な笑みを見せた。
「おう! 案内してやる。迷子になるなよ、魔王様」
そうやって茶化して言う。固い皮膚で包まれた武骨な手が彼女の頭を雑に撫でた。
「ならないもん……」
手を引かれながら応えるフォクシーの声は、いつもより幾らか小さく聞こえた。