7話「ポン骨」
二人と一匹が入った部屋は日の光がほとんど入らず、空気の通りも悪い場所だった。カビの生えた床を踏み、中の暗さに目が慣れる頃、彼らはそこに佇む人影のような物を発見する。
それは彫刻だった。人間界の英雄の像が部屋中央に突っ立っているのだ。
ラヴィらには背を向けているから、彼女達には背後の様子しか分からないが、その白い肌は雨風によって傷み、黒い汚れが所々に見られる。背中には大きな割れ目があり、素人目にもかなり酷い損壊具合であることが分かる。
ふと、その像が本物の人間にも似た滑らかな動きをもって彼女らを振り返った。片手には斧を、もう片方の手には盾を。両手を腰まで持ち上げた魔物が目を見開いた瞬間、その双眼から流れていた涙の跡のようなヒビが音をたてて拡がった。
「ギャーッ! で、で、出たーっ!!」
顎関節が外れる勢いで叫ぶシルカ。腰を抜かして地面に腰をつき、奥歯をガタガタ鳴らしている。
「戦闘力の高そうな声でキャーキャー言ってんじゃないわよ!」
そんな彼をラヴィが白銀の槍を素早く構えながら注意した。敬語を忘れてしまっていることに気付く者は誰もいない。
「疑ってた私がバカみたい。本当にビビりなだけだったとは……。それにしても、女の子に頼るなんて、本当に情けない人ですね」
「アタシも心は女の子なの! あと人じゃない!」
ラヴィとシルカが軽く話を始めかけるが、二人の会話を親切に最後まで待ってくれる魔物ではない。シルカの細かい口答えを聞くや、ラヴィに肉薄して斧を振りかぶった。
しかし、彼女もそれだけであっさりやられるほど甘くはないのだ。不意を突かれて呼吸が一瞬止まったが、危なげなく槍で斬撃を受け止める。
「うわぁ……。変身中のヒーローにも攻撃しちゃう敵キャラの屑みたいな奴だわぁ」
ポツリと聞こえたシルカの独り言に、ラヴィが魔物と競り合いながら叫び返す。
「訳の分からない事を言ってないで、貴方はスッコんでいてください! ちゃんと見ているから勝手に逃げないように!」
「あわわ、分かったわ! セリーヌちゃん、助けて~!」
腰を抜かしたままカサカサと節足動物のような動きで飼い犬に泣きつくオネエ。だがセリーヌは抱きついてくる彼を華麗にかわすと、飼い主の骨を一つ奪って部屋の外へと逃げていった。
「うわーん! 鎖骨取られた~!」
「ええい、気が散る……!」
もしかしたら妹より手の焼く人物を任されたのかもしれない。そんな事を考えつつ、ラヴィは斧を受け流した。体勢を崩した相手の顔面に武器の切っ先で鋭い刺突を放つ。しかし、それは魔物に傷一つ付ける事なく弾き返された。
彫刻は続けて斧で凪ぎ払うような攻撃を仕掛けてくる。兎はそれをしゃがんで避け、ピョンと跳ねて一度距離をとった。前方の魔物を睨んで舌打ちをする。
「なんて固さなの……! 呪文を使っていないとはいえ、私の全力を受けても怯みすらしない……!」
「ちょっと! 大丈夫なの!?」
部屋の隅に移動したシルカがラヴィ以上に余裕の無い声で尋ねてくる。事態をピンチと見るやこの様である。彼の存在は戦闘において邪魔にしかなっていなかった。
「大丈夫だから黙っていてください! まだ策はあります……!」
彼女はそう言うと、息を吸いながら深く腰を落とし、一気に魔物へ駆け出した。先ほど離れた距離を瞬く間に詰めていく。
「失敗しても骨は拾ってあげるわね!」
背後から再び聞こえてきた野太い声に返事はせず槍を構える。対して魔物が盾で身を守った瞬間、ラヴィは棒高跳びの要領で彫刻の真上を飛び越え、背後をとった。
「ノロマに捕らえられるほど鈍っちゃいませんよ!」
着地、助走から槍を振りかぶり、魔物の背中にできた大傷へ渾身の力で石突きを叩き付ける。
直後、彫刻は胸の辺りから割れ散るようにして砕け落ち、やがて塵となって霧散した。他愛ないといった表情でそれを見届けたラヴィは部屋の隅へ向かう。
「……終わりましたよ。うるさい上に最早ただの障害でしかなかったチキンポンコツ骨野郎」
丸まって神に祈りを捧げてる人骨を槍の先端で乱暴に突っつく。すると、そこで初めてシルカは顔を上げた。
「……チキンな骨って良い出汁取れそうじゃない?」
「冗談は存在だけにしてくれます?」
「辛辣ゥ!」
会話の後で部屋を見回し、敵がいないことを確認するシルカ。しばらくそうした後になってやっと安心した様子で立ち上がった。
「良かったわ。本当に魔物はもういないみたいね。まったく、早く絶滅してほしいものだわ。奴らがいる限り、人類が安心して眠れる日は訪れないわよ」
「そうですね。ちょうど私の前にもう一匹いるので、ここで始末しておきましょうか」
「何事にも例外ってあると思うの」
迫る刃の先端を両手で挟んで止める骨の魔物。ラヴィに言われてようやく自分が魔物であることを思い出したらしい。
二人が暗い部屋の中でふざけていると、ちょうどセリーヌが彼らのもとに戻ってきた。颯爽と走ってきたと思いきや、ラヴィの手前で立ち止まり、シルカの鎖骨を渡してくる。
「どうも」
彼女が受け取って頭を撫でてやると、セリーヌは尻尾を振りながら大口を開けた。喜んでいるようだ。明らかに飼い主よりラヴィに懐いている。
「という事で返しますね、ただのゴミなので」
「どうして他人経由で自分の鎖骨が返ってくるのよ……。やだ、土が付いてる。あの子、一回どこかに埋めてきたわね……」
砂ぼこりを叩いて落とすシルカからラヴィは静かに視線を外す。
結果的に彼は嘘を吐いていなかった。しかし、彼自身も魔物であることは事実。人間らしく敵意はないのが演技とも限らないのだとすると、気は進まずとも念のため始末しておくべきではないだろうか。
そんな思考を巡らせていると、突然部屋に爆音が響き渡った。同時に地が揺れ埃が舞い、ラヴィ達の注意を一遍に引き寄せる。
「こ、今度は何なの!?」
「分かりません……! ただ新手の可能性が高いです! 離れないようにしてください!」
軽いパニックとなるシルカを落ち着けつつも状況確認に専念するラヴィ。セリーヌを抱えるように掴みながら屈んで地震に耐える。
土煙が収まってきた頃に彼らはとうとう事態を把握した。部屋を横切るように巨大な柱が外から飛んできたのだ。白い柱は壁を貫き、遺跡に刺さるようにして入ってきている。
否、それは柱ではなかった。彫刻だ。見上げると首が痛くなるほどに巨大な、この世界のある神を崇めるために造られた神像。それが魔物として動いているのである。
魔物がラヴィらに向けて放った拳、その腕が彼女達からわずかに外れた物が柱の正体だった。
「……あれ? この建物、倒れようとしてない?」
シルカの口から震える声がこぼれた。ラヴィも同時に気付く。今の衝撃によって遺跡の塔が崩壊を始めている事に。
「これは……ちょっとマズイですね……」
彼女のこめかみを一筋の汗が伝う。目は脱出口を探すように泳ぎだし、脳は高速で回転する。
だが時間は待ってくれない。魔物が塔から腕を勢いよく引き抜くと、建物は本格的な崩落を開始した。