6話「今日のワンコ」
エル達と別れたラヴィらは遺跡を慎重に歩き進んでいた。少女と骨だから床が崩れる心配はないが、念には念を入れるのがラヴィだ。慌てず焦らずを心がけて進む。シルカはその三歩後ろを中腰で付いていっている。
ふと、彼女が止まった。真後ろの骨をジト目で睨むと重苦しい沈黙を破る。
「エル様がいなくなった途端、先導するのをやめましたね。どうしてですか?」
尋ねられたシルカも彼女同様に止まる。小首を傾げた後、とぼけた声で質問に答えた。
「怖いからに決まってるじゃない。アタシを守ってくれるダーリンがいなくなった今、正直言うと追跡なんかしたくないわ」
「……怖い? 魔物がですか?」
尋ねるラヴィは疑心を隠すこともない。彼女もエルと同じく、シルカを怪しいと思っていたからだ。しかし、返ってきたのが予想外の返答だったため、さらに怪訝な顔を深めたのである。
「そりゃあ、アタシはか弱い漢女だもの」
「雄々しい声で話されても説得力が皆無ですね」
「まあ、失礼な子だわ。もし魔物が現れた時にダーリンがいたら、抱きついて黄色い悲鳴を漏らしちゃうところよ」
「茶色い雄叫びの間違いでしょう」
「やだもうブス~!」
肩をぺしっと叩いてくる骨にラヴィの調子は崩されるばかりだ。魔物がいたのだとしたら走りたいところだが、彼女はその姿を見ていなかった。だからこれが罠である事も考えて、後ろの魔物から離れずにいるのである。
槍を構えながら歩く。いつ崩壊するかも知れない床と天井にも警戒をしなければならない。簡単なクエストとはいえ、討伐依頼だ。危険であることに変わりはない。
「それならここにいても良いんですよ。たしか、私達が来た方向以外に出口は無いんですよね?」
「そうよ。でもね、忘れちゃいけないわ。ここはアタシの家でもあるの」
「うん? 何か大切な物でもあるんですか?」
「勿論よ。家具なんか何十年もかけて集めたんだから。アタシには守る義務があるわ。特に化粧品は必須ね」
「化粧品」
「人里に行けないから入手が大変なのよ~。最初なんか肌がカサカサになっちゃって大変だったわ。スキンケアはやっぱり大事ね」
「スキンケア」
理解不能な発言にツッコミも入れられず、ただただ単語のオウム返しをするラヴィ。人見知りとは別の理由で会話が難しくなってるようだ。
「骨なら研磨剤でも使ってればいいんじゃないですか」
「あら、良いわね。小顔効果がありそう」
後ろから手だけを彼女の前に出してサムズアップしてくるシルカ。ラヴィにその表情は見えないが、声は明らかに笑っている。底抜けに明るい骨らしい。カラカラ鳴る音が遺跡の廊下に反響する。
「……嫌味が通じない相手はやりにくいわね」
彼女が肩を落とすのと合わせて、警戒で伸びていた獣耳も静かに垂れていった。
しばらく歩くと、古びた建物の中には相応しくない部屋に出た。
何が入ってるのか不明の棚、蛙のぬいぐるみ、半分ほど残っているドッグフードの袋。壁は一面ピンクのペンキで塗り潰されており、床には申し訳程度の薄いカーペットが敷いてある。
「魔窟だわ……」
ラヴィの感想としてはそんなものらしい。生活感があるんだか無いんだか微妙な部屋の入り口で、レモンを丸かじりしたみたいな顔をしている。
「アタシの部屋へようこそ! 女友達を招待するのは久しぶりだわ~。こんな時でなかったら、お茶の一つでも出すんだけど、ごめんなさいね」
「結構です。さっさとここを抜けましょう。目がチカチカして堪りません」
「あらあら、お世辞なんて言ってくれちゃってぇ」
「今の発言をどう解釈したらお世辞になるんですか……」
野太い声でオバサンみたいな仕草をするシルカに小声で言い返し、ラヴィは一歩を踏み出した。部屋の反対側には出口がもう一つある。彼曰く、そこから魔物は逃げたのだろうとの事だったが……。
「どうしてここを通ったって分かるんですか? 廊下を歩いている時には匂いも音もしませんでしたけど」
「アタシの番犬ちゃんがいないからよ。きっと部屋に入ってきた魔物を追っていったんだわ」
「ほう。犬ですか……!」
「魔物だけどね」
「……まあ、期待してませんでしたけどね」
ラヴィの目に一瞬灯りかけた光が霧散した。どうやら犬好きらしい。無表情に戻って歩き出す。
槍を担いで部屋を横断する彼女の後ろに隠れるようにシルカはついていく。小さい少女に先導してもらう情けないオジサンの遺骨という奇妙な図である。湿気があるのに冷え込んだ空気が二人の関係を表しているようだった。
シルカの自室から出ると、またもや廊下が続いていた。左右に分かれる無数の道を見て、ラヴィは辟易とした表情を浮かべる。
「また廊下ですか。本当にいるんですかね」
「シッ! 何かいるわよ……」
いきなり横に並んできたシルカの声で空間に緊張が走った。彼の視線の先、廊下の最奥には、スッと動く生き物が確かにいる。それは角を曲がり、右側の部屋へと消えていった。
「追いますよ!」
「え、ええ!」
床を気遣って小走りする兎を後から追う骸骨。シルカは怯えた様子で片腕の骨を武器代わりに持っている。がっしりとした骨格に反して、歩き方は内股歩行である。
目的の部屋まで来ると、ラヴィは迅速な動きで壁に張り付いて中を確認しようとした。
「わぷっ」
ところがそれは敵わない。壁から顔だけを出した瞬間、彼女の顔面に何かが飛び込んできたのだ。ラヴィは変な声を出しながら尻餅をつき、顔にくっついている硬い物体を剥がそうとする。
「な、何ですか、一体!」
力ずくで離して見ると、それは骨だった。大型犬の骸骨だ。ラヴィの目の前にその顔がある。少女の体を押し倒すようにのしかかり、口に彼女の兎耳をくわえたまま首を傾げている。
「犬の魔物……? てことは、もしかして……」
「あっ! セリーヌちゃん! 何してるの、もう!」
ラヴィが横目で覗くのと同時にシルカが声を上げる。近付いて彼女から犬を離れさせると、勢いのままにハグをした。抱きつかれた犬は全く嬉しくなさそうな様子で固まっている。
ラヴィは解放され、お尻の誇りを落としながら立ち上がった。犬の魔物にも敵意が無いことを確認してから視線を部屋の中へ戻す。
「さっさと進みますよ。その子がいたって事はいるかもしれないんでしょう? 貴方が見たという魔物が」
「あ、そうだったわね。感動の再会で吹っ飛んでいたわ」
「脳ミソ綿菓子ですか」
「それ以下よ」
「でしたね……。ともかく、急ぎますよ。このままじゃフォクシー達に追いつかれちゃう」
そう言って進もうとする彼女を邪魔するように足にまとわりつく存在が一つ。骨犬ことセリーヌである。肋骨をラヴィの足に密着させたまま彼女の周りを回り、不定期に頬擦りをしている。
「……退いてくれない?」
困ったようで見下しているような顔を向けるも、セリーヌはただ見上げて口を開けてくるだけだ。
しばらくそれを黙って見ていたラヴィだったが、犬が退かない事を悟ると、手のひらを目前にかざしてみせた。
「お座り」
するとセリーヌは素早く指示に従った。骨の尻尾をフリフリしながらラヴィを見つめている。シルカは何故か愕然と顎の骨を落としていた。
「お手」
次に腰を下ろして手を差し出すも、ノータイムで骨の手がそこに乗せられる。少しの微笑を湛えてラヴィが頭を撫でてやると、セリーヌは床に寝転がってお腹を見せてきた。
「良い子だから邪魔しないで。ね?」
引き続きナデナデしながら言いつける。犬の魔物は彼女の命令を理解したのか大口を開けて数秒固まった。
その様子に満足そうな頷きを返し、立ち上がるラヴィ。今度は悠々とした歩みで部屋の中へ入っていく。セリーヌも彼女に倣ってカツカツ音を立ててついていった。
「数十年の付き合いを一瞬で抜かれたわ……。アタシには触れるどころか芸を見せる事すらしなかったのに……」
そして取り残された飼い主。呆然と立ち尽くしたまま呟き、ふと我に返って彼女達の後を追う。
「ちょっとセリーヌちゃん! アタシにもお手してよ、ブス~!」