2話「魔王の仕事とは」
そこは魔王の間と呼ばれている。
壁に点在する松明に火は灯っておらず、暗い部屋を照らすのはステンドグラスから差し込む日の光だけだ。
規則的な並びで巨大な柱が立っており、部屋中央には赤いカーペットが敷かれている。入り口から伸びるそれは、部屋の中央をまっすぐ通り、最奥にある階段の上まで伸びていた。
階上には一つの玉座。その上には一人の少女が座している。キトンを纏い、背中には白く大きな羽。まさに天使という形容がふさわしい容姿だ。
その少女こそが偉大なる魔王、サタンであった。
彼女の前には数百人の人々が静粛に並んでいる。その広々とした空間は、城の住人が全員集合してもまだまだ余りあるのだ。
老若男女、様々な人物がいるが、子どもが圧倒的に多い。そして、彼らのほぼ全員に共通していることが一つ。
それは、通常の人には無い部位を持つということ。
ある者は鋭い牙を、ある者は翼を、ある者は尾や角を。それぞれの体に付けているのだ。
そんな『悪魔』と呼ばれる人々を統べる、いや、今日まで統べていた王は、閉じていた瞼をようやく上げた。ピョンっと飛んで地面に足をつけると、音がするほど素早く両翼を展開する。
「それでは、今から私の引退パーティーを始めまーっす!」
最後尾まで聞こえる声で彼女が叫ぶと、ワッと悪魔達が沸いた。
同時に入り口の扉が開かれ、数々の料理とテーブル、椅子が使用人達によって担ぎ込まれる。その中にはエルの姿もあった。
彼らの手際良い仕事によって、魔王の間はあっという間にパーティー会場へと姿を変える。
迅速に各席のセットを終え、一斉に恭しく礼をしてみせると、使用人たちは退場を始めた。
「ちょっと! どこ行こうとしてるのっ!」
ところが、帰ろうとする執事やメイドをサタンが呼び止める。慌てて振り返った彼らへ、魔王は弾けるような笑みを向けた。
「今日はみんなで楽しむんだから、君達も残るの!」
「……ハハッ。相変わらずだなぁ、サタンちゃんは」
執事服に身を包んでいるエルはボソッと呟いて踵を返した。途中で足を止めると、まだまごついている部下達に声をかける。
「おら、魔王様の最後の命令だ。これも仕事だぜ。全力で楽しめ」
彼は執事長として今日まで働いていた。言うまでもなく、明日からはフォクシーのもと、側近として働くことになるのだが。
ともかく、そんな上司達の命令に逆らうわけにもいかず、使用人達は顔を見合わせた後、歓喜の声をあげて彼に続いたのだった。
「あっ! これ、エルお兄ちゃんが作った料理でしょ!」
円卓周りの椅子に座るフォクシーがピザを一切れ頬張りながら話しかける。視線を彼女へ向け、エルはフッと笑った。
「ああ。よく分かったな」
同じテーブルにつく仲間達の声にかき消されぬよう、声を張って答える。
伸びるチーズに追いつこうと口をパクパクさせている彼女は、時を経てもまるで変わっていない。心も体も、あの頃のフォクシーそのものだ。
「ふふん。このために十年以上頑張ったんだよ? 分かって当然だよ!」
自慢げに無い胸を張ると、ピザの耳を高速でかじりだす。食べ終わって一息ついたと思ったら、チキンに手を伸ばし始めた。その食欲は止まるところを知らないようだ。
彼女の飽くなき食への執念に半ば呆れつつも、エルは目の前のステーキにナイフを突き立てた。抵抗なく切れたそれを口に運びながら、食も豊かになったもんだと感心する。
「ところで、魔王の仕事ってのはどんなもんなんだ?」
「うーん、それがあまりよく分かってないんだよねぇ。サタンに聞いてみたら、『玉座を温めてればいいよ~』って言われたよ?」
「んな適当な……」
テーブルの正面で談笑している前魔王をチラと見る。その性格はエルが知り合った時から変わらず、アホっぽい平和主義者のままだ。
「政治関連のことは他の子がやってくれるみたいだしね。もともと魔王の役割っていうのは、悪い人間や魔物を悪魔の国へ侵入させないってものだから。悪魔達の希望として存在してるだけって感じなんじゃない?」
「……お前の口から食べ物以外の話を初めて聞いた気がするぜ」
「……馬鹿にしてる?」
「少しな」
「もうっ!」
ポカポカと肩を叩いてくるフォクシーと、豪快に笑うエル。十五年という空白を感じさせない友情がそこにはあった。
「それで、俺の明日からの仕事は何なんだ? 前の側近のオッサンは、サタンちゃんの遊び相手として居たようなもんだろ?」
彼女の拳を受け止めて尋ねる。
魔王の仕事すらハッキリしていないというのに、側近の仕事なんて決まっているのか。彼は言外にそう言っていた。
「それはもう単純明快。私に美味しいお料理を作る! 以上!」
「魔王になる奴ってみんなアホなんだな」
先が思いやられると共に、どこか楽しそうに返すエル。つい先日まで濁っていた瞳には光が戻っている。
「あ、ついでに用心棒もしてもらおうかな~。お兄ちゃん、強いもんね」
「まあ、最近まで俺はそっちが本業だったからな。だが、出かけたりしない限りは必要ないだろ。ここには化け物みたいに強い奴らがわんさか集まってるんだし」
彼は決して謙遜などしてはいないが、それでもフォクシーが嘘を言っている訳ではなかった。
執事服を着ている上からでも分かる、彼の厚い胸板や太い二の腕。太腿に至っては丸太のようだ。腕捲りした袖から覗く前腕からは血管の筋が浮き出ており、その巨体が贅肉だけによるものではない事を示している。
そんなエルですら歯が立たないような人物が、魔王城には何人かいるのだ。魔力と呪文という概念が存在するこの世界では、彼のような偉丈夫でも負けることは珍しくないのである。
「それでもお兄ちゃんは強いもーん」
「こらこら、抱きつくな。せめて顔に付いてるケチャップを拭け」
「うん? どこどこ?」
「ったく、世話が焼けるなぁ」
顔をペタペタ触って確かめる新魔王に苦笑しつつ、ポケットからハンカチを取り出す。それで彼女を口元を拭ってやりながら、ふと気になったことを尋ねてみた。
「お前にとって、俺はまだ『お兄ちゃん』なんだな。見た目的にはもうオジサンだぜ、俺」
「あっ! 遠回しに私のこと『オバサン』って言ってるでしょ!」
「あぁ、気にしてたのか」
意図せず発した言葉を曲解されたことに慌ててそう返す。弁明しないあたり、そう思っていることも事実らしい。
「だけどよ、実際そうだろ? 生きている時間だけで考えると、むしろ俺より年上じゃねえか。立派なオバサン、いやお婆さんだぜ」
「はい不敬罪っ!」
「……なるほど。そうくるか」
彼は顔を背け、「なんて横暴な魔王だ」とこっそり呟いた。ステーキをもう一切れ口に入れると、香ばしいソースと肉汁が口の中に広がる。
「じゃあ私は、これからお兄ちゃんのこと『オジサン』って呼ぶね!」
すぐに柔らかい牛肉が砂の味に変わった。なんだか、急に過ぎ去った月日の重みが彼を襲った気がしたのだ。
「へいへい。そりゃ結構で」
若干ふて腐れてそう返すと、食事に戻った。歳を気にしているのは彼女だけではないらしい。
エルは咀嚼を繰り返しながら横目でフォクシーを眺める。
(……今度料理のメニューにこいつの苦手な物を入れまくってやろう)
彼が心中で静かに決意したのは、そんな小さく陰湿な仕返しだった。