1話「デジャブ」
朝食を食べた後、ラヴィ家の食卓では小さな争いが起こりつつあった。
エルがラヴィのために作った人参ケーキをフォクシーが発見してしまったのだ。考えられ得る最悪の事態である。
そうなると、もう止められない。必然、戦争が始まるのだ。
「デザートを見つけたよっ!」
片手でケーキを掲げてみせるフォクシー。絶妙なバランス感覚だ。
「待ちなさい、このバカ! 貴方、一人で全部食べる気でしょうが! そんな暴挙は許さないわよ!」
「私が見つけたんだもーん。だから私の物だもーん」
「他人の家の冷蔵庫から見つけておいて、よくそんな暴論を平然と垂れる事ができるわね……! 人差し指の上でケーキ回すのを今すぐやめなさい!」
人参ケーキがよっぽど楽しみだったらしい。ラヴィは声を荒げてフォクシーを指差していた。
一方でフォクシーは悪びれる事無く口笛らしきものを吹いている。椅子の上に座るエルの上に乗って、正面に立つ姉から目を逸らしていた。
「だけど、このケーキがラヴィの物かは分からないよ? だって、名前が書かれていないんだから」
「私を貴方と一緒にしないで! 私は食べ物にいちいち記名をしないし、万が一のために何処かへ埋めておく事もしないのよ!」
「えー、無用心」
フォクシーの何気無い一言にラヴィは返す言葉が無かった。いや、返す言葉は有り余っていたのだが、自身と彼女との価値観が違いすぎる事を認識したのだ。
「フォクシー、やめてやれ。何も独り占めしなくたってよ、二人で分けりゃいいだろ。ラヴィが物凄い顔してるぜ」
「ん~? もう、仕方ないなぁ。半分こで妥協してあげよう」
「譲られたみたいになっているのが一欠片も理解できないわ……。それに、言い知れぬ敗北感まで襲ってきた……。この子と同じ遺伝子が入っているとは思いたくないわね」
彼女が歯軋りして睨むはフォクシーではなく、エルだ。その目は暗に「ちゃんと教育しておけ」と言っていた。
彼は片手をひらひらさせて応えると、その手でフォクシーの持つケーキを奪ったのだった。
「それで、今日はどうするんだ?」
エルは自身の膝上でケーキを頬張る魔王に尋ねた。
一応は、クエストも成功したのだ。しかも、フォクシーはピンチに陥ったものの、想像以上に善戦してみせた。
約束通り、冒険をするしかないだろう。当ての無い旅だろうが、自分から言っておいて「やっぱり無し」は通用しない。
「うんとね、またクエストやりたいな~」
「ま、また?」
エルの声は自然と嫌そうな音色になった。
彼は魔物など怖くないが、フォクシーという重大な不安要素を引きずってクエストなんかやりたくはないのだ。
しかし、そんな事を気遣えるような子ならそもそも「旅に出よう」などと言わないのである。フォクシーは憎らしいくらいの笑顔をもって返事をしてきた。
「うんっ!」
小刻みに頷くエルの顔は諦念に満ちたものだった。
「にしても、どうしてクエストを?」
隣に座るラヴィが尋ねる。喋りながらも、ケーキを小さく切り分けて、ちょっとずつ食べていた。
妹の意地汚さを指摘していた割には、彼女も随分とケチ臭い食べ方をするものである。
「久しぶりに動いてみて分かったんだ。私の動き、鈍ってるな~って」
「なんだ、それに何の問題があるって言うんだよ?」
「ほら、運動しないと太るでしょ?」
「お前でもそういうの気にするのかよ……」
「するよ~。重くなっちゃったら、オジサンの上に乗せてもらえないし」
そこなのか、と心の中でツッコミを入れるエルとラヴィ。
しかし、彼女の心配は少しズレている。重くなってもエルは乗せてあげるだろうが、フォクシーは自力で登れなくはなる。ただそれだけの事なのだ。
「まあ、上司の命令とあらば、俺に反対はできても逆らう事はできねえからな。だが、クエストは一番簡単なやつからやらせてもらうぞ。あんなに肝を冷やすのはもう勘弁だ」
「分かりました。今ギルドに来ている一番簡単なクエストを紹介しましょう」
ラヴィが席を立つ。近くの棚上にあったメモ用紙にペンでスラスラと何か書くと、それをエルに渡してきた。
「まさか……覚えていたのか?」
「ええ。昨日クエストから帰る途中、ギルドに寄った時にパラッと確認しておいたんです。危険度が最も低ランクな依頼はそちらの一件です。あくまで昨日の夜時点では、ですが」
彼女は説明を終えると、肩くらいの銀髪をかき上げて後ろに下がった。
「ラヴィって勉強はできるのに、どうして料理は壊滅的なんだろ」
「俺が聞きたいね。あいつの料理下手をどうにかしてくれって依頼を出してみるか?」
「危険度が最高ランクに設定されちゃうね」
「聞こえているんですけど?」
ラヴィは目を見開いて横顔でエル達に眼光を飛ばしている。フォクシーはケーキに、エルはメモに視線を戻した。その間わずか一秒。
「ん? ……おい。これ、何かの間違いじゃねえのか?」
メモをテーブルに置いて、指でその横をトントン叩く。フォクシーが興味を引かれてそれを見た瞬間、目を疑うように顔を近付けた。
「何の間違いもありませんよ。私の記憶は正確です」
自信満々に返すラヴィ。そんな彼女に怪訝な視線を向けつつも、エルはもう一度メモに目をやった。
紙に書いてあった内容は、『昼間、森の奥から不気味な声がするから、様子を見てきて欲しい』といったもの。
森の場所は昨日、エル達が向かった場所である。つまり――――
「やっぱり同じクエストじゃねえか!」
「いいえ、よく見てください。『昼間』と書いてあるでしょう?」
「時間が何だってんだよ……」
困惑するエルへフォクシーが顔を上げてきた。新たな冒険にワクワクしている顔だ。やる気満々って面構えだ。
彼には既に、次の言葉が予知のように分かってしまっていた。
「よし! これを食べ終わったら、早速お出かけしよう!」
「やっぱりそうなるのか……」
ガックリと肩を落とすエルを慰めてくれる者は誰もいなかった。