イルダート8
時間は数日ほどさかのぼる。
イルダート中央街。
日輪と高く飛翔する鷲で構成される偉大なるロウキュール王国の国旗を掲げる広場で、二人の少女と一人の少年が喧騒を遠巻きに、共同厩舎の壁に据え付けられた横長の板を前に並んでいた。
なぜか、少女の片割れの目の下には隈が浮かんでいて、いくらか実年齢らしからぬ老いを感じさせていた。
「結局、よく眠れませんでしたわ……」
「なんだ? 枕がかわると眠れない~、とか言い出すのか? ふん、これだから『駄女』は」
「貴女が夜中に何度も起きてはヴァルの布団に潜り込もうとするからではありませんのっ!!」
昨夜、食事の後、リザリスとヴァルは二階にとっていた部屋に引っ込もうとしたのだが、そこでまさかの事態が発覚する。
男達から逃げてる最中に、メイリーは僅かばかりに持っていたお金を落っことしてしまっていたのだ。
三人揃って『月グマ亭』の女将に頼み込み、ヴァルとリザリスが宿泊する二人部屋に、メイリーを『間借り』させることを許可してもらえたことは、寛大な女将と幸運に感謝しなければならないだろう。
問題はそこからであった。
三人が泊まる部屋にベッドは二つしかない。
お金を払っていないメイリーが遠慮をして、屋根と壁があるだけでもと、床で寝ること申し出れば「ケガしてるのにダメだよ!」とヴァルが反対し、「やれやれ、わたしがヴァルと添い寝するしかないではないか」と、鼻の下を伸ばしたリザリスがヴァルにすり寄ろうとすれば、犯罪チックなにおいを嗅ぎとったメイリーが「いけませんわ!」とヴァルの身をあんじてリザリスの腕を引き留める。
三竦みの解決策はヴァルが一人で、リザリスとメイリーが二人でベッドを使う形に落ち着いた。
しかし、それで事は終わらなかった。
街が寝息をたてる夜霧の深い丑三つ時、白銀の獣はそろりと身を起こした。
そして、静かに横たわる純粋無垢の寝顔に、舌舐めずりをしながら近づいていく……のを、後ろからがしりと肩を掴んで止める者がいた。
メイリーである。
夜中の間、このやりとりが何度も行われた。
ヴァルと同じベッドを狙ってリザリスが動き出すたびに、すっかり眠ってしまったと思っていたメイリーが引き留め、ヴァルを起こさないように小声で口論が行われる。二人とも横になったかと思えば、数刻後に再び、三度、四度。
旅の疲れと、久しぶりのベッドのスプリングの気持ちよさに、何度も屈しそうになったメイリーだが、朝までヴァルを守り通す事ができたのは、汚れを知らないヴァルの寝顔を見るたびに沸き立つ庇護欲ゆえだった。
朦朧とする意識のなか、窓から差し込んだ眩しい日輪の輝きと、小さな欠伸とともに、「おはよぅ」と微笑んだヴァルを、メイリーは生涯忘れない。
「……といいますか、貴女も同じくらいしか寝ていないはずですわよね? どうしてそんなにもぴんぴんしていますの?」
「ふん、軟弱なお前と同じにするな。わたしのエネルギー源はヴァルだからな。ヴァルさえいてくれれば無尽蔵に動けるのだあっ!」
がばりと、横から抱きつかれたヴァルが「うわあ」と驚く。
「ああもう! ですから白昼堂々と異性に抱きつくなんてふしだらだと、何度ご忠告すればご理解いただけますの!!」
これから旅の道連れになるというのに、「知るもんか!」「知ってくださいまし!」と、言い合いをする二人の仲はまるで進展がない。
一通りの不毛な争いの後、肩で息をするメイリーは、「ふう」と心をひとまず鎮め、話題を目下に向けた。
「それで、ここには何をしに来ましたの?」
「なにって、おしごと探しだよ?」
「この『掲示板』でな」
リザリスが親指で先程から目の前にある、たくさんの紙がべたべた貼り付けてある横に長い板を指す。
「『けいじばん』、とはなんですの?」
「なんだ、掲示板も知らないのか? やはり駄女だな」
リザリスの見下した言葉に言い返す言葉が見つからず言葉をつまらせたメイリーは、拗ねたように指をつつき合わせた。
「仕方がないではありませんの。ずっと一人で逃げ隠れながらやっとここまで来れたのですから。街をゆっくり見て回る余裕など無かったのですわ」
「「……」」
理由は知らないが少女の旅は過酷なものだったのだろう。
ましてや、とても旅慣れているようには見えない少女がたった一人で、それも追っ手から逃れながらとなると、気の休まる間など許されなかったことは想像にかたくない。
「……言葉がすぎた、悪かった」
「はい?」
そんな言葉をいま目の前で唇尖らせてそっぽを向く少女の口から聞くことになるなど、まるで想像だにしなかったメイリーが、奇妙な面妖になる。
「すまなかったといっているんだ!」
語気は誤魔化すように強く、リザリスは謝罪を繰り返した。
眠気で半開きのだった目を丸くするメイリー。
リザリスという人間は黒だと思ったものは、例え回りの人間が口をそろえて白だと言おうとも黒だと言い切る人間だと、メイリーは勝手に思っていた。
それだけに、突然の謝罪に、ぶしつけな凝視を止めることが出来ない。
そんなメイリーの視線から逃れるように、リザリスは自分よりも背丈の無いヴァルの後ろに回り、子供が大人の背中に隠れるように肩から碧眼だけを覗かせたのだ。
「ああう、もう、リサぁ」
困った顔で頬を掻くヴァルは、メイリーの視線を代わりに受け止める。
「えっとね、リサをゆるしてあげて? とっても反せいしてるから」
「あ、いえ、わたくしは驚いてしまっただけで、責めているわけではありませんから」
「ほら、許してくれるって」と、ヴァルが背中に呼び掛けるが、リザリスはいやいやと、ヴァルの背から離れたがらない。
「しょうがないなあ」
無理して大人ぶるようなほほえましいしぐさをしたヴァルは、リザリスの代わりにきちんとしなきゃとでも考えたのだろう。
向き直ると、メイリーに得意な顔で掲示板の説明を始めた。
「けいじばんって言うのはね、まちの人がじゆうに使っていい、『いらいしょ』をはっておく板のことだよ!」
「『依頼書』、この紙の事ですわね」
長板一面に、張り付けてある紙には、薪の買い取り、子供のお守り、建物の解体作業や飲食店の店員の募集など、多岐にわたる募集内容が記してあった。
「大きなまちは、ちゃんとたてものがあるんだけど、小さいところはこうやって人が集まりやすいばしょに板を置いて、おしごとさせてくれる人が『いらいしょ』をはっていくんだって」
王都に求職者と仕事を依頼する人間の『なかもち』をし、その手数料で運営している施設があることはメイリーも知っていた。
この『掲示板』は、その施設と同じ性質を持っているのだろう。
ただ、街の規模が小さく依頼の絶対数そのものが少ないため、施設として運用すると収支が釣り合わない。
そこで、『かたち』だけは用意するから、個々人で取り決めをしてくれというわけだ。
王都の施設のように上質な斡旋管理は期待できないが、その代わりに手数料を払う必要がない。
中小規模の街ならば、依頼主さえしっかりしていれば通用するだろう。
「なるほど……」
これならば、街の地理に疎い流浪の人間でも仕事を探しやすい。
「では、この掲示板の上の方に彫ってある『金色の瞳の女神の祝福を』という文言は、依頼が成功しますようにという意味なのですわね」
『金色の瞳の女神』は、世界を守護する女神で、勝利をもたらすと伝えられている。それにあやかろうというのだろう。
この女神伝説だが、奇妙なことに国境に関係なくあらゆる国で語り継がれている。
メイリーも、もし金色の瞳の女神から助力を求められる日が来たら、例え親の葬儀を差し置いても応えなければならないと言い聞かされた。
掲示板の仕組みを理解して感心したように頷くメイリーは、後ろでリザリスがむずがゆそうにしているのには気づかなかった。
そうとわかれば少しでも条件が良くて、賃金の多い依頼を見つけてやろうと、メイリーは食らいつかんばかりに掲示板の依頼書をあさりはじめたのだった。