イルダート6
あんまりな理不尽に激情を露にしたメイリーだが、自分はリザリスに頼らざるをえない状況にあることは理解していた。
悔しいが、リザリスは強い。
そして、メイリーは弱い。
その証明がこのぐるぐるに包帯を巻いた片足である。
だから、メイリーは頭を垂れた。
「お二人にお願いを申し上げます。どうかわたくしをロウキュール王都まで護衛願いたいのです」
「そんな義理はな……」
「お願いします。今はお支払い出来ませんが、王都に到着したあかつきには言い値で、いえ、それ以上の額を必ずお支払いする事をお約束いたしますわ。だから、どうぞ、どうぞわたくしをロウキュール王都へ……」
顔を上げないまま言い募る。
目的を達成できるのなら、プライドなど喜んでどぶに捨てられる。例えこの場でリザリスに靴裏を舐めとれと言われてもメイリーはためらわないだろう。
リザリスが顔をしかめたのは、突き立てたフォークが思ったよりも深くまで刺さって抜けなかったからなのか、それともメイリーがあまりにも頑なに、頭頂を晒していたからなのだろうか。
「どうしてだ?」
「……言えません。ですがっ! 報酬については謀っておりません! それは我が家名にかけて必ずと誓いますわ」
いっそ哀れみすら覚えるほどに声は震え、それだけに栗毛の少女の現状が逼迫したものであることを窺わせた。
「家名、かっ!」
やっとのことでテーブルからフォークを引き抜いたリザリスが、残り少なくなったジョッキの中身でフォークから木片を灌ぎつつ、どうでもよさげに、だからこそ辛辣に聞こえるトーンで述べていく。
「まず、きさまはその肝心な家名を名乗っていない。だから『家名にかけて』なんて言われても信用ならない。次、きさまはあまりにも不審だ。理由は分かるな?」
「……はい」
つらつらとならべられる言葉に、消え入りそうな声で返事をするメイリー。
「わざわざ護衛を依頼するんだ。きさまを狙う人間はわたしが始末したあの二人だけではないのだろう。そして、武装を見るにあの二人は素人じゃなかった。そんな連中から狙われるお前は家名も名乗らず、目的も語らないでただ王都へ連れていけと、おまけに報酬は後払いで、ときた。これほど嘗めきった話は稀にも聞かないぞ?」
ロウキュール王国とアンクール皇国が講和を結び周囲の小国も大人しい今、世界は最も安定している時代だ。
だが、小競り合いや賊の類いまでは無くならない。
リザリス達のように国を渡り歩く者に求められるのは危険を回避する能力だ。
メイリーは明らかな『地雷』だ。回避は当然だろう。
リザリスはメイリーの不審さを理由に態度を変えているわけではない。だが、それはメイリーというリスクを抱え込む理由にはならない。
「それは、重々に承知しております。ですが、わたくしは王都へ行かなくてはならないのです、それも、許す限り早く!」
「……」
これが享楽の類いであったのなら、ここまで必死な懇願は出来なかっただろう。
「ねえ、リサ……」
心を動かされたヴァルだが、リザリスの一瞥により、口を閉ざす。
ヴァルを溺愛しているリザリスだが、やはり肝心の決定権はリザリスが握っている。旅の指針を決めるのもリザリスの領分だ。
これ以上を続ける言葉をメイリーは持たなかった。
顔を伏せて、泣くまいと小刻みに肩を震わせるしかなかった。
「そう、ですか。大変な、ご迷惑を、おかけしましたわ」
言葉を絞りだし、メイリーは席を立った。
心労のためか、足の痛みがぶり返してきたような気がして、顔をしかめるが、出口へ向かう足は止めない。
ここを出たら、どうにか王都へ向かう旅人を捕まえ、交渉を持ちかけよう。
怪しい思われても、目的地が同じならば引き受けてもらえるかもしれない。
卑怯だろうが、追っ手の件は伏せて交渉することなるだろう。
メイリーのような子どもが素性のしれない大人相手に交渉など、それだけで危険なことは承知していた。
それでもメイリーは立ち止まれなかった。
立ち止まる訳にはいかなかった。
このまま立ち往生する事は許されなかった。
ずきりと疼く痛みを噛み殺しながら、扉に手を掛けたところであった。
「リサッ!」
少年の悲鳴に振り向けば、先まですまし顔だったリザリスが美貌を歪めて、額をおさえていたのだ。
「いったい何が……、まさか、食事に……」
慌てて踵を返したメイリーが、リザリスの具合を見ようと手を伸ばせば、ぱしりっ、届くより先にその手を掴んだリザリスが、呻くように言った。
「……おまえ、なのか?」
顔を伏せたままのリザリスにそう問われて、メイリーは全力で首を横に振った。
「わ、わたくしはなにもしてませんわっ!」
心外とばかりにメイリーが声を張る。
感情が爆発して怒鳴りあったとはいえ、リザリスが恩人であることを忘れたわけではない。毒など盛るはずがない。所持すらしていない。
潔白を主張しようと、正面から面を上げたリザリスを見つめるが、容疑をかけらえていると思うだけで、血の気が引くのがわかった。
そんなメイリーに「いや、そうではなく……」と言いかけ、リザリスはすっと、メイリーの腕を放した。
そのあと、「はあ」と、ため息を落としたときには、元通りのすまし顔だった。
「おい」
「ひゃ、ひゃいっ」
ぴんと背筋を伸ばすメイリーに、リザリスはフォークで対面の空席を指して『座れ』と身ぶりで示す。
そうして、指示通りにそわそわしながらも座ったメイリーに、まるで苦手な食べ物を無理やり飲み込むような渋面で、吐き出すように言ったのだ。
「事情が、変わった」
「ふえ? その、つまりはわたくしの護衛を引き受けてくださいますの?」
「それは嫌だ!」
「どっちなんですのっ!?」
まさか、さっきのイジワルの続きをするつもりかと身構えるメイリー。
「わたしはヴァルだけをなにがあっても守り通すと決めている。だから他のやつの護衛は出来ない」
護衛依頼は何が起きても依頼主の安全を優先する事が大前提だ、それが出来ないのだから、リザリスは明らかに不適格者だ。
「ただ、」と、リザリスは続けた。
「ただ、仲間として連れていくのなら考えなくもない」
「……それは、どういう意味ですの?」
輝きを取り戻したメイリーの瞳がリザリスに注がれる。
「護衛も特別扱いもしない、ということだ。わたしたちの目的もロウキュール王都だ。だから、伴って行くことくらいなら承諾する」
「まあ、わたしと行くことでどんな目にあっても責任は持たないが」と、小さく呟いた言葉は、あいにく、言われた言葉を反芻していたメイリーには届いていなかった。
はじめはリザリスが知らない言葉を使ったように感じた。
だが、どんな皮肉屋だって、これは一つしか解釈のしようがない。
『一緒に連れて行ってくれる』と、そう言われたのだ。
「あ、ありがとうございますわっ!! わたくし、がんばります!」
顔をぱあっと綻ばせて両拳を握るメイリー。
素性も明かさない自分を受け入れてくれたのだ。
おそらくは、人生で一番誰かに感謝の気持ちを抱いた瞬間だった。
ただ、リザリスは、そんなものに見向きもしていなかった。
「さすがリサッ!」
「ん、そうか? うん、そうだろうそうだろうヴァル!!」
パチパチと手を打つヴァルに抱きつき再び頬擦りを堪能するリザリス。
「あ、そうだ。おまえ、仲間とはいえ、もし私のヴァルに不埒なことをしでかしてみろ。そのときはそのモップヘッドをてっぺんだけ残して刈り上げてやるからな」
ビシッと頭頂部を指差され、メイリーは思わず両手で頭をかばう。
「い、いっそ一思いに全部刈り上げてくださいましっ! そんな奇抜なスタイルではなくっ!! あと、モップヘッドってなんですの!?」
「「……」」
きょとんとしたヴァルとリザリスは、揃ってメイリーの栗毛を指差したのだ。
「って、ヴァル! 貴方まで!?」
「だって、メイリーが足をみてもらってるときにリサが『ああいう頭をモップヘッドって言うんだぞ』って……」
「嘘ですわっ! 信じないでくださいましっ! それから貴女も平気で嘘を吹き込まないでくださいな!!」
「リサ、うそなの?」
「わたしが嘘なんて言うはずないだろう。ああそうそう、ああやってきゃんきゃんわめく女は、『駄女』と言うんだぞ?」
「また見ているそばからっ! って、あら? 以外と嘘では無いのかしら?」
字面的に否定して良いのか微妙なところだ。
考え込んでしまうところにメイリーの生真面目さがうかがえる。
そんなかしましい三人を遠巻きに見守っていた『月グマ亭』の客と女将は、どうやら丸くおさまったようだと、相好を崩したのだ。
「それで出発はいつになりますの?」
「ああ、すぐには無理だな」
口にフォークを運びながら当然のようにリザリスは、そう答えた。
「ど、どうしてですの!?」
席を立つメイリー。
そういえば、メイリーは急いでるんだっけ、とヴァルが思い出している横で、リザリスは革袋をひっくり返したのだ。
ころりと転がったのは銅貨がたったの二枚だけ。
「金が無いんだ。ここの宿と飯の代金で全部消えた」
「はいあーん」と、とろけるような笑みでヴァルの口へかいがいしく料理を運んでやるリザリス。
いくらぽかんと口を開けていてもメイリーの口へ料理を届けてくれるものは現れなかった。