イルダート5
「一つ、はっきりさせておこう……」
突き立てたフォークの柄を節が白くなるほど強く握り、リザリスは厳粛な空気を纏って言い放った。
気圧されたメイリーが、ゴクリと、のどを鳴らしたのを聞いてか、リザリスはがばっと両手を広げて、身を乗り出すと、ヴァルに抱きついたのだ。
「ヴァルはわたしだけの者だ! きさまなんぞには髪一本、爪の一欠片とてやらんからなっ!! そこのところ、よ~くよ~~く理解しておけっ! 分かったなっ!」
まるで親の膝丈ほどしかない子どものように、赤い舌を「んべ~」と突きだしてくるものだから、メイリーは唖然とする他なかった。
その後、咀嚼して、腑に落とすように言われたことを理解して、
「――もしかして、初対面からわたくしに敵意を剥き出しにしていたのは、わたくしがヴァルにちょっかいを出すと思ったからだとか……」
「うん? それ以外に何があるんだ? こ~んなにもあいらしいヴァルだぞ? わたしがきちん目を光らせていなければきさまのような節操のない女がこぞってちょっかいをだそうとするだろう」
「あうあう」と困った声のヴァルに、ぐりぐりマーキングするようにほおずりするリザリス。
これまでのあんまりな態度の数々。
その理由に『訳有り』であることが明白なメイリーの境遇は、まるで関与していないということであり……。
これまでの不躾極まりないアレソレは、全てこの女の明後日にぶっ飛んだ思考回路こそが原因であって……。
つまるところ、これまでこんな自分の話を聞いていただけるだけでもありがたいことなのだと、堪え忍んできたメイリーの忍耐は全て、全て――
「な、なななな」
「ん?」
わなわな全身を痙攣させたメイリーは、ばんっ勢いよく両手をテーブルに叩きつけたのだ。
「だーれが節操のない女ですのだれがっ!! どうしてわたくしが貴女の偏見でそこまでの悪態を許さなくてはなりませんのっ! そもそも節操なしは貴女の方でしょ!? こんな公衆の面前で子ども相手とはいえべたべたべたべたと、そもそも貴女方いったいどのようなご関係ですのっ!?」
「「かんけい?」」
きょとんとして、声を重ねた二人は、
「森のなかでリサとであって……」
「可愛かったから連れてきたっ!」
「人さらいですわーーーっ!!」
親指を立てて自慢げにふんぞり返るリザリスに、メイリーが悲鳴を上げたのだ。
「む、人聞きの悪いことを言うな。初対面でも気持ちが通じあったんだから問題ない!」
「身勝手な犯罪者は口をそろえて同じこと言いますわ! と、また言ってるそばからべたべたと、恥を覚えなさいなっ!」
栗毛を怒らせて指指すが、小動物っぽさが抜けないメイリー。
もちろんリザリスも黙ってはいない。
受けて立つ言わんばかりに、片手ではヴァルを抱いたまま指を突き合わせる。
「はじぃ? だれに恥じらうことがあるもんか! わたしはだれよりもなによりも強く深くヴァルを愛している。だからヴァルを全霊で守っている。その結果ヴァルに触れる場面が多くなっているのだ。だから、嬉しさで鼻息が荒くなったって体温が上がってしまったって仕方がない。そう、仕方がないないんだっ!!」
「へ、変態、ですわ!」
「変態じゃない。愛情表現が豊かなだけだ!」
「過度な愛情表現なんてただの変態行為とおんなじですわよっ!」
熱気に包まれる机上。
そこに、横やりに入った。
「リサ~、いたいよお」
荒くなる鼻息と比例するように、ヴァルを抱く力が入っていたことに今さらに気付く。
「ヴァル~~~!!」
蒼白になったリザリスが悲鳴を上げた。
「すまないっ、大丈夫か? ごめんな? ……、くっ、きさまのせいだっ!!」
「どこがですのっ!? どう考えても貴女の失態ですわっ! それに『きさま』ではありません。わたくしには『メイリー』という母からいただいた名がありますっ!」
「そうかそうか、とりあえず『き・さ・ま』はヴァルに詫びろ。床にそのむだにふわふわした頭をモップのごとく擦り付けてヴァルに詫びるついでにこの店の清掃に貢献しろっ!!」
「メイリーと言っていますのに~」
「きさまなどモップで十分だ~」
親のかたきとばかりに火花を散らす二人の間に、友情の類いが芽生えることは無さそうである。
「ねえ、リサ。リサはどうして『ケンカ』しているの?」
リザリスの腕のなかには悲しそうに瞳をうるませる少年がいた。
「うっ」とたじろぐのは、後ろめたい二人。
「リサは、『ケンカをとめる』はずじゃないの?」
「いや、あの、それはだな……」
言い淀み、それでもこちらをじっと見つめてくるヴァルに根負けしたか、ぽんっと、ヴァルの頭に手を置いたリザリスは、諦念のため息を落とした。
「……悪かったな」
「……わたくしもみっともありませんでした、わんっ!」
頭を冷やしたメイリーも椅子に腰を落ち着けようとして、跳ね上がる。
ヴァルの目が及ばない机の下でリザリスがメイリーの爪先を踏んづけていたのだ。それも、ぐりぐりと、床に同化しろと言わんばかりであった。
メイリーのこめかみに再びシワが寄る。
「どうした、座らないのか?」
にいっ、イジワルく口角をつり上げてしらじらしく尋ねてくるリザリス。
それに、「ふ、ふふ」と、含んだ笑みを返すメイリー。
「いいえ、もちろん、座らせていただきますわっ、よ!」
践まれていない足は捻挫した方だ。
だから素早く踏まれている足を引き抜き、意趣返しに脛を蹴りあげてやろうとしたのだが、
「ふわあっ!」
盛大に空振り。
上体が大きくぶれて青天しそうになるのを、机にしがみついて堪えた。
「どうしたの? メイリー」
「さあ、どうしたんだろうなあ?」
目の前でとぼけた顔をする女狐に、メイリーは歯をくいしばって「なんでもありませんわ」と答ながら、胸のうちではこの女とは絶対に相入れないと結論を出したのである。