イルダート39(終)
一章最終話となります。
出立の朝。
月グマ亭のテーブルの上今朝方届いたばかりの硬貨がぎっちり詰まった袋が三つ、どっかり載っかっていた。
それも旅に必要なものを諸々買い揃える金を先んじて受け取っていての、この量だ。
「リサ、これ持って歩くの?」
あからさまに、重そうで嫌だなと、ヴァルの表情が語っている。
「う~ん、女将貰わないか?」
「バカ言ってんじゃないよ。旅人だろう? 自分の尻は自分で拭きな」
手を振って女将は厨房へ消える。
王女だというのに小心なメイリーは勝手に畏れをなして、「お、お部屋の最後の確認をして参りますわ」と大金から逃げ出したために、この場に居ない。
つまるところ、邪魔をする者は一人も居ないわけだ。
ならばと、リザリスは悪い笑みを浮かべ、ことんと首を傾げるヴァルへと向いた。
「ヴァル、実はな――」
天候は良好。
日輪の恵みの光は今日も草へ木へ、生き物へと降り注ぐ。
そして、イルダート月グマ亭前の通りに限れば、もっと直接的に人に恵みが降り注いだ。
「ほ~~ら! こいつが欲しいのだろう? 受けとれーいっ!」
がっと袋に手を突っ込んだリザリスは、溢れるほどの硬貨を握り締め、空高くへ向けてばらまいたのである。
ワァアーー
歓声が湧き、集まった人々は頭上へ手を伸ばす。
「そーれ!」
隣でヴァルが同じように硬貨をばらまくから人々の興奮は途切れる暇がない。
時折「結婚してくれ~~!」なんて叫ぶ者もいるが、例外無く手切れ金だとばかりにこめかみに硬貨がめり込んでいた。
「そーっら!」
残り少なくなった袋の口を広げて中身を一枚と残らず、ばらまいたところであった。
「なーにーをー! してくれていますのよぉーっ!」
月グマ亭から血相かえて飛び出して来たメイリーがリザリスの腕にしがみついたのである。
「む、離せ。わたしはヴァル以外に抱きつかれたくない」
「わたくしだって嫌ですわ! でも貴女がこんなことをしでかすから止めているのでしょう!?」
身振りを交えてキンキン叫ぶメイリーに、リザリスは両耳を手で塞ぎ「相変わらずうるさいやつめ」とぼやいた。
「こんなに金があったって持てないだろう。だから、減らしているだけだ」
「はあぃいい!? 仰っている意味が分かりかねますわ! もっと小さく軽量のものに換えるとか、町に寄付するとか、少しずつお包みするとか、とにかくこんな大騒ぎにしなくてもやりようはあったはずでしょう!?」
剣幕激しいメイリーに、リザリスはふっと笑み、視線を流した。
「……やってみたかったんだ」
「救いようがありませんわっ!」
真っ赤だったメイリーの顔は、叫びすぎて、青くなっていた。
「ああ、もう、うるさいなあおまえは! 配ってるし寄付しているようなものだろう!」
「ぜんぜん違いますわよっ! だいたい全部ばらまいてしまって、わたくし達の旅費はどうするおつもりですか!?」
「ふん、抜かり無い、その分はちゃんと後ろに……」
振り返ったリザリスは「むむ?」と、首を傾げた。
「ど、どうしましたの?」
まさかと、冷や汗混じりにメイリーが問いかける。
左右を眺め回したリザリスは、「あっ」と一点に目を留めた。
「あそこだな」
指差した先には袋を片手に硬貨を振り撒くヴァル。
度の足元にはペタンコになった見覚えのある袋。
「ヴァアアルゥウウーー!!」
再びメイリーの悲鳴が上がる。
電光石火で、ヴァルのもとへ走り、袋を取り上げた。
「うっわあ、どうしたの? メイリー」
「こんなに、減ってしまって……」
ぎっちりだった中身はみるかげもない。
残っていたのは本来のソードドック討伐依頼の達成報酬に色をつけた程度の金額だった。
「えっと、おせわになったらお金をばらまくのがこにへんの決まりってリサが、……ダメだったの?」
「いえ、……ええ、ヴァルは悪くはありませんわ。悪いのは……」
ぎろり、メイリーが睨んだ先はリザリス。
「うっ」と若干怯んだリザリスは、ピンと人差し指を立てた。
「そう言うこともある」
「ありませんわよっ!」
メイリーの糾弾が再熱するかに思われたそのときであった。
「あんたら、なあに人の店の前で大騒ぎしてくれてんだい!」
恰幅のいい女将が腰に手を当てて店から出てきたのだ。
「はわっ! お、女将! ヴァル、撤退だ!」
「うわあ!」
言うが早いか、リザリスはヴァルの手を引き、もう片方の手には荷を掴んで馬車の出る広場へ向けて走り出した。
「じゃあ女将、主人にもよろしく頼んだ」
「ばいばーい!」
「ああ、もう! 元気にやんな!」
最後まで慌ただしい挨拶に、女将もやけくそで返したのである。
「まったく……」
やれやれと言いたげに、だけどどこか機嫌良さげに女将は呟いた。
「お騒がせしましたわ、二人にはわたしから言って聞かせます。特にリザリスさんにはよーく、ですわ」
声を鋭くしてメイリーは言ったのである。
そんなメイリーを、女将は「あっはっは」と笑い飛ばした。
「あんたも苦労性だねえ」
「まったくですわよ」
つんっと言葉尻を上げたメイリーは、その後「でも……」と、続けた。
「わたくしは、あの二人と往きます。『仲間』ですもの」
少女のその姿に、女将は暫し目を大きくした。
店にフラリと現れてなにやら話し込んでいたかと思えば、翌日には働かせて欲しいと依頼書を持ってきた三人。
その中でも特に一生懸命で、危なっかしかったのがこの栗毛の少女だった。
しっかりしていそうで、だけど、追い立てられるように張り詰めていた。
だからこそ、女将は三人の中でも一番気にかけてしまったし、落ち込んでいるときに、リザリスに『少しだけ見てやって欲しい』と頼まれれば、「そんなのは頼まれることじゃないよ」と、急ぎ足で向かってしまった。
そんな、まだまだ小さい子共と思っていた少女が、どうだろう。
しっかり進む道を見据えて、柔らかく微笑んでいるではないか。
「まったく、ちょっと目を離した間にすぐ大きくなっちまうんだから」
誇らしくいのに、少くない寂寥に女将は包まれた。
「――? なんですの?」
見下ろしす女将に首を傾げたメイリー。
その栗毛を、女将は「なんでもないんだよ」と撫でてやった。
「いつだって帰ってきな」
陽だまりのようなじんわりした暖かさで、
ここに、ちゃんと居場所があるからね、と。
「ありがと、……ございます、わ」
大人になっちまったと思ったのに、今度はせっかくの綺麗な顔ををくしゃくしゃにして泣き出したメイリーの顔を、女将は優しく布巾で拭ってやる。
「「メーイリー!」」
通りの向こうから、誰かが少女を呼ぶ。
「メイリー! ばしゃが来るよー!」
「早くこーいメイリー! おまえが来ないとたぶん要らないと思うけど何となく買ってしまったからメイリーの背負い袋に入れておいたもろもろが取り出せないだろー!?」
一人は無邪気に、一人はちょっと意地悪に、銀色の髪の二人が、メイリーの『仲間』が呼んでいる。
「もう、なんですのよ」
だからは、涙は拭って、
「ただいままいりますわよおー!」
大きな声で返したのだ。
そうしてから、布巾ごと女将の手をぎゅうと握った。
「行ってきますわ! 女将さん!」
少し赤くなった目元など、気にならない綻ぶ笑顔だった。
「ああ、行っておいで」
後ろから現れた主人が抱えて来た背負い袋を、女将はメイリーに背負わせてやってから、最後にばんっと、後ろから叩いたのである。
「元気にやんなっ!」
「あわぁ」と、つんのめったメイリーは踏みとどまり、くるりと振り返って「はいっ!」と元気に返した。
それから頭を下げて、メイリーは女将に背を向けて走り出す。
もう、振り返りはしなかった。
「まったく、騒がしい子達だったよ」
通りの向こうでまたしても口論を始めたらしい三人の姿が見えなくなるまで見送ってから、女将は店に戻り始めた。
周囲にはまだまばらに残っていたリザリスが最後にやらかした『祭り』の参加者が、生暖かい目で女将を見てる。
いまだけは、そいつらに睨み返してやることも出来そうない。
すれ違い様、主人が差し出した布巾を乱暴気味に受け取って、顔に押し付けた。
「いい子達だったじゃないか」
「……あ、たりまえ、だよ」
ごしごし、顔を拭う女将の背中を主人が支えながら、月グマ亭の老夫婦は、以前にも増して広く感じる店の中へと消えた。
木板に黄色い文字で書いた表に掛かった看板が、きいぃ、きぃいと風に揺れていた。
おしまい
これにて一章完結となります。
拙文をお読みくださった方、ほんとうにありがとうございます。
次話にキャラクターメモを置いてあります。
お話が完結を迎えたわけではないので『連載中』表示のままにしておきますが、おそらく続きを書くことはないと思います。
それでは、失礼します。