イルダート3
あまりにも目まぐるしい出来事だった。
少女は足の痛みも忘れて狐につままれたような顔をしていた。
そんな彼女には目もくれず、瞬く間に二人の男を切り捨ててしまった白銀の髪の少女は、ペタペタと『ヴァル』と呼んだ少年の体をさわり始めたのである。
「おおよしよし、ケガはないか? 痛いところは? あったらすぐに言うんだぞヴァル。わたしが名医をしょっぴいてでも連れてきて治してやるからな?」
「ん、ううん、だいじょうぶだよリサ。ボクよりもほらあっち」
なにやら名医に、はた迷惑なことを言う白銀の髪の少女が、くすぐったそうに身をよじる少年の指差す先へ目を向ける。
その碧眼を前に、栗毛の少女は「わあ」と感嘆を漏らした。
流水のようななめらかさで腰にまで伸びる髪の美しさは言わずもがな、氷雪を思わせる無垢な白肌とまゆじりの尖った相貌は見るものを萎縮させるほどだった。
首に巻きつく透き通る黄色の宝石はトパーズだろうか。少女の持つ権威を示すかのように金細工であつらえた台座の中央で慇懃に鎮座していた。
その蒼穹のごとき碧眼に射ぬかれ、たじろぎそうになる栗毛の少女だが、意を決して拳をにぎると、ぐいっといずまいを正し、胸を張ったのだ。
「この度は危ないところをご助力いただき感謝をもうし――」
「さあ行こうかヴァル。もうすぐイルダートだぞっ!」
「話を聞いてくださいましっ!!」
口上の途中で身を翻して少年の背中を押し始めた白銀の髪の少女に向かって、とっさに大声をあげる。
「リサ、ああ言ってるよ?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。あれはこの辺りの方言でな、『見せもんじゃねえぞ!! とっとと行けっ!』と言ってるんだ」
「そうなの?」
「うんそうだ。ヴァルはあんな乱暴な口ををきくようになってはいけないぞ?」
眉尻を下げ、可愛くてしょうがないと言った様子で頭をよしよしとされ、少年のほうも「うん、分かった!」と満面の笑みで返事をする。
「そんな方言があってたまりますか!! 当人の見ている前で堂々と評価を貶めるのはやめてくださいましっ!」
「……リサ?」
「だいじょーぶだいじょーぶ、あれも方言だから」
困惑気味の少年へひらひらと手を振る白銀の少女はまるであくびれない。
そんな明らかなぞんざいな態度を取る少女が少女なら、またしても「そうなんだ」と頷いてしまう少年も少年である。
「だあかあらあ!!」
栗毛の少女がますます声を荒げた。
「なんなのですの? 貴女なんなのですの? わたくし貴女に何かいたしまして? 初対面ですわよねわたくしたち。そもそもそちらの貴方もどうしてそんな嘘を信じてしまいますのっ……いつッ!」
熱くなりすぎて前のめりになったのがいけなかった。
忘れていた足の痛みが電流のようにズキリとはしる。
「ケガしてるの?」
たったったと少年が駆けて来て、「見せて」と一言、膝上までスカートをまくり、靴をぬがせる。
疲労が溜まっていた上、悪いひねり方をしたらしい、うっ血し、細い足が青黒く腫れ上がっていた。
「なっ、ちょっ、ああ、あなたっ――!」
よく熟れたトマトのように真っ赤になった少女は、栗毛の髪の先を小刻みに震えさせる。
思わず手をあげそうになるのをぎりぎりでこらえられたのは、少年が邪な感情が一欠片も見えない真剣な顔をしていたことと、自分よりも幼い、あどけなさが覗けたからだった。
とくんっと鳴った鼓動は、恐らく異性に触れられたからに違いない。
所在なさげに瞳をあっちこっちへ回す栗毛の少女。
その頭上で「ちっ」と舌を打つと、片手に鞄を引っ提げた白銀の髪の少女が、少年との間に割り込むように座った。
「あ、あの……」
「だまっていろ。ったく、ヴァルの純粋な気持ちに邪な感情を抱くとは、これだからまったくっ!」
鞄の中から革の水筒を取りだし、患部に惜しげもなく中身をぶちまける。
よく冷えていた、というわけにはいかないが疲労で熱をためた足には染み渡るようだった。同時に鈍くなっていた痛覚も戻ってきて、奥歯をきゅっと噛む。
それはそれとしてである。
「わたしの可愛くて愛しくてあいらしすぎるヴァルがせっかく博愛の心で助けてやったんだ。もっとひれ伏して然るべきだろう。それをこの女は、このっ、このっ」
「わたくし、どうしてこんなにトゲだらけの言葉を浴びせかけられなくてはならないのかしら……」
ほろりとこぼれそうになる涙をよそに、白銀の髪の少女は手際よく手当てを進めていく。
「あと、なにか添え木になりそうなものは……」
「リサ、これは?」
少年が手の平を広げると、指先から流れ出た青みを帯びた光がくるりくるりと、手のひらの上に幾何学模様の円陣を描く。
「それって……」
栗毛の少女が目を丸くして見ていると、少年は円陣から何かを引き抜いた。
およそ二十センチにも満たない両端が鋭利に尖ったそれは、『千本』と呼ばれる暗具だった。
「おお! さすがだヴァル! よく気がつくいい子だぞ」
デレッとだらしなく頬をゆるめた顔は、まるで辛辣に悪言を吐いていた人物だとは思えない。
褒められて「えへへ」と無邪気に笑う少年の手から千本を受けとると、両先端に入念にぐるぐる布を巻き、それを患部に当て、その上からさらにぐるぐると布を巻いていく。
「……うっ」
うめき声に碧眼がちらりとだけ顔色を窺ったものの、手は止まらない。
固定が完了すると「終わったぞ」と白銀の髪の少女は告げた。
「ありがとうございましたわ。つ、つきましては――」
「よし、行こうヴァル!」
「ですから話を聞いて……、いえ、何でもありませんわ」
言葉を呑み込んで、栗毛の少女はうつむいた。
そうだ、当たり前なのだ。
少年も白銀の髪の少女もただ通りすがっただけだ。
武器をもった男に追われるような面倒を抱えた者とかかわり合いになるなど、ごめん被るに決まっている。
こうして手当てを施してもらえただけでも恩情だ。
傍に置いてあったほつれのある自分の鞄を首から提げ、体を預けていた木を頼りに立ち上がる。
足は痛む。だが、留まっていれば危険だ。
手当てがしっかりしていたのだろう。少しくらい体重がかかっても耐えられそうだった。
ずるずると片足を引きずり気味におぼつかない足取りの少女、その体からふと、重さが無くなった。
「もう、リサ、イジワルしちゃダメだよ」
「うっ、だがほら、こうして一緒に支えてるわけだから、な?」
右肩を支えながらダメッと頬をふくらませる少年に、どうやら左肩を支える白銀の髪の少女は頭が上がらないらしい。
「どう、して?」
茫然と尋ねれば、少年はにこっとあどけなく笑い、もう片側では憮然と唇を尖らせた少女が答えるのだ。
「もうすぐイルダートだからね、そこまでいっしょに行こうよ」
「ヴァルが言うから仕方なく、だ」
それは危険な旅を、誰にも頼れずに一人で歩んできた少女にとって、懐かしさすら感じる温もりだった。
こみ上げた安堵と感謝の気持ちで、弛みそうになった涙腺をぐっと絞り、少女は小さくお礼を述べたのだ。
「あり、がとう、ございます、わ」
「うん」と頷いた少年と、「ふんっ」とそっぽを向く少女に支えられ、栗毛の少女はイルダートを目指した。