イルダート30
傭兵団の一行は『魔窟の大森林』を大きく迂回するルートを休み無く進んでいた。
メイリーは縛られもしない理由を、侮られているからだと考えていたが、そうではない。
ロンドガルはもはやメイリーのことをただの小娘だとは考えてはいなかった。
ロンドガル自身の運の無さゆえに手こずったのではなく、『てこずらされた』のだと、明確に認識していた。
いまだって、夜道を急いで走っている馬車から飛び降りるなど、まともな神経ならまず実行できないだろうことを警戒して、馬車の周囲を傭兵たちで固めて警戒している。
縛らないのは、それだけロンドガルに余裕が無いからだ。
夜の行路、それも人目を避けて悪路を進んでいるのだ。
せっかく生け捕りにしたのに、もし、馬車の中で荷が倒れるようなことが起きて、潰れて死なれては困る。
では、荷が崩れない速度で走れば良いかというと、そうもいかない。
あの地を揺るがす大声を轟かせた『獣王』が、イルダートではなく、ロンドガルを追ってきていることも十分あり得るからだ。
もしも、ロンドガルが《アーツ》を自在に扱えるのならば、状況はここまで逼迫していなかったが、そう上手くはいかない。
ズキリと、神経が死んだ頭皮の奥から刺してくる痛みに、ロンドガルは「っくしょおよお」と悪態をつく。
強力無比な《アーツ》という兵器だが、その制御には尋常ならざる精神力を使う。
部下や捕虜のメイリー達の手前、面には出さなかったが、気を抜けばロンドガルの自我は瞬く間に蝕まれるだろう。
(使い手を喰らうたあ、ほんとにとんでもねえなあ、おい)
ますます、人のための兵器とは言えないわけだ。
くっくと、ロンドガルは忍び笑う。
そうでなくては、それくらいでなければ、あの戦場で焼かれながら焦がれた熱望は嘘だろう。
兎にも角にも、《アーツ》での対抗が難しい以上、ロンドガルには逃げの一手しかない。
国境さえ抜けられれば安全と見ていいだろう。
そしたら近くの街で新しく馬車を用立て、捕虜はそこに縛って幽閉する。
《ウェポンズ》の身柄を抑えておけば下手なことはできまい。
後はゆるりと凱旋してビールをかっ喰らう。
そんな、ロンドガルの頭の中で展開していた算段は、しかし、出鼻で挫かれることとなった。
坂道に差し掛かり、馬車の勢いが落ちたときだった。
突然、馬車の前輪が駆動を止め、急停止したのだ。
「なんだあ! なんでえとまったあ!」
手綱を引いて馬の首をまわし、馬車を操っている傭兵に詰め寄るが、その傭兵はロンドガルが見ている前で、でろんと車体から転がって落ちた。
「っ!? こいつぁ……」
地面に横たわる死体の額、そこから突起物が生えていた。
ソードドックの角であった。
目を凝らせば馬車の前輪にシャフト部にも角が突きたっており、他のパーツ動きを阻害している。
見張るべきはその切り口だ。
刃物に加工されるほどの硬度を持つはずのソードドックの角。
それが、まるで包丁で根菜でもきったかのように、すっぱりとした綺麗な断面をしていた。
どんな業物を使えばこんな斬り方になるのか。
あるいは、どんな『使い手』なら、こんな斬り方ができるのか。
『あいて、すぐにしてもらえるよ』
過ったのは《ウェポンズ》の少年の言葉。
つーっと、背筋を刃先で撫でられたかのような悪寒を覚える。
(そんな、はずは無ぇ)
否定する。
ソードドックの角に、卓越した使い手。
その二つが目の前に並んだのは、ただの偶然でしかない。
「か、かしらあ、かしらあ!」
部下の小便漏らす寸前のガキみたいな声に、ロンドガルは前方の坂の頂上を仰いだ。
見えたのは、金色の灯火が二つ。
夜の帳に張り付く蛍の光は雲が覆っているせいで、姿はシルエットしか分からなかった。
立ち上がった人の形をした、影姿。
『リサはくる。すぐに、そしてこんどはぜったいに負けない』
また過った。
「はっは、あり得ねえだろうよお、そいつぁよお」
もしも、だ。
あの少女がいまここににいるというのならば、あの『王獣』を退けたということになる。
それだけじゃない、もしも、あの川辺からロンドガル達の先に回ろうとすれば、そのルートは一つしかない。
そんなことが可能だというのならば、そんな存在がもしも、本当に在ると言うのならば――。
否定して、否定したロンドガルだが、本心では分かっていた。
直感だ。
戦場で何度もあった、虫の知らせ。
往々にして感じたそれらが正しかったように、今回もまた、その直感が正しかったことを知る。
雲は流れた。
月天は、地上の悉くを暴いた。
「はっは、ははは……」
ロンドガルがからからの声で笑う。
頂上より金色の瞳で睥睨するその者は紅かった。
血、血、血。
全身が赤黒く染め上がり、僅かに覗く白銀は血肉の合間に覗く白骨のように際立って見える。
蒼窮を思わせる碧眼だった相眸は、金色に輝き、幾何学の円陣を刻まれていた。
さながら、戦鬼のごとき相する全てを慄然とさせる御姿だった。
「あの、女だ……」
自分の声だったのか、それとも引寄せられたかのように、周囲に集まっていた部下達の声だったのかのか、ロンドガルは判別できなかった。
判っていたには一つだけ。
目前の『アレ』は、自分たちを狩り殺しにきたのだということ。
皿の上に並んだ料理を見るように、傭兵団を見て、戦鬼は地面に突き刺した剣を引き抜いた。
左手の剣は短剣よりは長く、長剣には及ばない程度の剣身。
右手のそれに至っては、刀身が半ばでぽっきり折れて、どんな激戦を潜り抜けてきたのか、残った刀身も刃こぼれが目立つ。
これで十分だと、金色を燃やす少女は気迫で語っていた。
傭兵団も誰一人それを、嘲笑することをしなかった。
前のめりに倒れるように、上体を傾いだ鬼と化した少女が、
――地を蹴って、坂道を駆け降りる。
「おらあ、射たねえと死ぬぜえ?」
号令とは呼べないロンドガルの呟きだったが、傭兵達を動かすには足りた。
慌てた動作で弩に矢をつがえ、傭兵達が次々と引き金を引く。
彼らとて、傭兵だ。
怖じけていても、びいんと揺れた弦に弾かれた矢は、精確に的に向けてひた疾っていく。
スラロームで道の端まで走ったリザリスは、そのまま雑木に飛び込み、木の幹を盾に傭兵団と距離を縮めていく。
「なんであったんねえだっ!」
毒吐いた傭兵の一人が矢を再装填しようと視線を一度下げる。
彼が一人目であった。
狙いをつけるために視線を上げたところで、違和感に気付く。
構えたはずの弩が無かった。
「ああ?」
弩はすぐに見つかった、足元に落っこちていた。
いくらなんでも得物を落とすなんて緊張のしすぎだと、自嘲し、二つ目の違和感にも気付く。
「腕がねえじゃねえか?」
肘から先が、消えていた。
赤い骨と白い骨の断面が、ピクリピクリと動いてじわあと血を滲ませていた。
うわんうわんと周囲で仲間が喚き散らしていたが、彼にはもう、聞こえていなかった。
その首は星夜にくるくると、舞っていた。
既に傭兵たちの只中に突き込んでいたリザリスは、すれ違いに二腕を落とし、後方から、うなじを斬り飛ばしたのである。
刃こぼれした剣で人体をやすやすと切り裂くような芸当が出来たのは、刃を当てると同じくして、凄まじい速度で柄を引き、生じた摩擦熱で焼き斬っているからだと、混乱に陥った傭兵たちに分かるはずもなかった。
「かしらあ! かしら、近づかれた、どうしたらいいだよぉっ!」
大の男が半べそかきながらロンドガルに泣きつく、肩から包帯を巻いているその男は、ヴァルに短刀を投げつけられ、その腹いせに、リザリスを下品なジョークで謗った傭兵だった。
「かしらあ!」
「ああ、そうだなあ……」
夢遊病者みたいな半開きの瞳で、減っていく仲間と、その間を翻って鮮烈な太刀筋を刻む少女を、ロンドガルは眺めていた。
「かしらあ! ……くっしょおっ!」
イカれちまったらしい団長に傭兵はしびれをきらし、弩を投げ捨てた。
やけくそとばかり、こちらに背を向けるリザリスへと、剣を抜いて飛びかかる。
死角、真後ろからの襲撃だった。
しかしだ、その斬撃は、まるで見ていたと言わんばかりに後ろ手に突き出された剣が受け止めていた。
ただし、打ち合ってはいない。
受け止めた左手の剣の上を、勢いは殺さず、傭兵の刃を滑らせたのだ。
刃はそのまま柄部分を覆う流線型の盾を流れて男の体勢を崩す。
マインゴーシ――それが、ヴァルがリザリスへ渡した、いま、リザリスが左手に握る剣だった。
それほど長くはない刀身に、柄が金属で覆われているこの剣の特徴は、『いなす』、『受け止める』と言った『防御に主体をおいた剣』であるということ。
隙を晒した傭兵の末路はわかりきっていた。
振り向き様に、喉笛が切り裂かれる。
「か、かっはあ、あ」
いくら空気を求めて口をばくばく開けても、器官が裂けている以上もはや呼吸は不可能だ。
また一人仲間が死んでも、ロンドガルは動かなかった。
微睡むような目で回顧していたのは、剣一本だけを引っ提げて戦場に飛び込むバカをやっていた頃だった。
たまたま同席した先達が、赤ら顔で語ったお伽噺。
『戦場で金色の瞳を見たら気を付けろ』
『それが、女だったら近づくな』
『そんでそいつが血濡れなら、尻捲って逃げだせ』
当時のロンドガルはその傭兵をさんざんにこけ下ろした。
『戦場で逃げ出せ? 女相手に?』バカを言うなと、酒の勢いもあって、啖呵をきった。
先達の傭兵は生意気な血気盛んな若い傭兵の嘯きを笑って聞き届けぐいっと酒をあおって言った。
『ただの一度でもそいつを見たことがあるなら、同じことは言うまいよ、どうやったって、そいつには勝てねえからなあ』
なんたって、そいつは――
「――『ヴァルキュリア』」
口に出したのは、どこにいっても囁かれる女神の名。
一般には、成功への祈願として唱えられる女神だが、それが、戦場で商売する者達の間になると、少し意味が異なってくる。
かの女神は、死した戦士をその御名と剣の祝福で眠りの地へ誘うとされ、故に、戦場では、黙祷の意味で唱えらるのだ。
(ははっ、なかなか死なねえから、手づからご足労くださってえのかよお)
あるものには勝利を、あるものには死を。
「くわっはっは、おもしれえよお」
戦いを司る女神を前に、ロンドガルは嗤った。
「ああいいぜえ、連れてってくれよお、眠りの地とやらによお」
できるものなら、と。
一人の戦士として、ロンドガルは柄に手をかけた。