イルダート28
傭兵たちに詰め込まれた箱の乗り心地は最悪だった。
がったっがった揺れ動く、粗末な馬車の中で、ヴァルとメイリーは身を寄せあって座っていた。
回りでは、同居人の剣やら矢やら鎧やらが、がっちゃんがっちゃんと騒がしい。
縄で縛りもしないどころか、手の届く場所に武器を置いて置くのだから、少なくとも戦闘面では、傭兵達が二人を侮っていることが窺われた。
《アーツ》という圧倒的な力持っているのだから、それも当然のことだろう。
「いっつ……」
またがったんと馬車が跳ね、浮いたメイリーの尻が板張りに打ち付けられる。
全身が絶えず揺さぶられて、間接を始めとした至る箇所が悲鳴を上げていた。
尻に至っては赤く擦りきれているだろう。
窓が無いため外は窺えないが、粗末な作り方したがために出来た隙間から注いだ青白い月光が、閨に入る時刻であることを報せていた。
「メイリー、だいじょうぶ?」
ヴァルが心配そうに尋ねる。
「あ、はい、その大丈夫ですわ」
後ろめたいメイリーは歯切れが悪い。
「その、勝手に決めてしまって申し訳ありませんでしたわ」
メイリーは自分が生きるために、傭兵との交渉の場をヴァルに相談もなく独断で進めた。
ヴァルはメイリーを盾にされたから攻撃の手を止めてくれたと言うのにだ。
生きることは全てに置いて優先するべきだと、メイリーは考えない。死すべき場所では死すべきであると、メイリーは了承している。そうでなければ、世界は回らない。
生きろとほざいた口で、敵前に突撃と言うなんて、ちゃんちゃらおかしい話だろう。
あの場がヴァルにとっての死すべき場所であったのならば、 メイリーのやったことは、出歯亀以外の何でもない。
「どうして、ごめんねなの?」
ヴァルは心底分からないというように眉を寄せていた。
「ありがとうね、メイリー。メイリーのおかげでリサを待っていられるから」
「ヴァル……」
かわいそうだ。
ヴァルはリザリスの生存をひと欠片だって疑っていない。
それどころか自分を助けにくるとまで思っている。
穴に落ちただけならば、メイリーももしかしたらと考えていた。だが、あの『声』を聞いてしまったときに『だめだ』と思った。
あれは、《アーツ》と同じ、人の及ぶ限りを遥かに超越した『それ』なのだ。
リザリスが生きているのならば、見逃してもらえるととは到底思えない。
胸が締め付けられる。
ヴァルからリザリスを奪ったのはメイリーだ。
メイリーと関わってしまったから、対人ならば遅れをとらないはずのリザリスはあの恐ろしい力、《アーツ》と対することになった。
「ヴァル、ごめんなさい」
続けて謝られて、ヴァルは困った顔で頬を掻いたのだ。
ヴァルが落ち着いているのは、リザリスを待っているからだ。
ヴァルの純真さは、メイリーには美しくすら感じた。
だが、今だけは、メイリーはその純真さを許すわけにはいかなかった。
『逃げるとき』に、ヴァルの足を止める可能性があるからだ。
傭兵たちと交わした交渉の内容を、メイリーは当然のように守るつもりはない。
あの場でメイリーがヴァルの意見を無視しても『両名』の命を保証させたのは、ヴァルが必要だったからだ。
(ごめんなさい、ヴァル。申し訳ありませんが、あなたにはここから逃げて頂かなくてはなりませんの)
メイリーはメイリーの都合でヴァルを生かした。
だから、ヴァルが例えリザリスと同じ土に眠ることを望み、あの場所こそが少年の死すべき場所だったとしても、メイリーはそれを聞き入れるわけにはいかなかった。
リザリスは月グマ亭で襲撃を受けた夜に『メイリーではここまでが限界』だと言った。
メイリーもそれを否定できなかった。
だったら、別の者に託せばいい。
『指輪』と『密約書』の二つを、信頼できる者に託し、自分はできるだけ追っ手の気を引いて逃げ、最後には崖にでも身を投じよう。
幸い、傭兵たちが油断してくれたおかげで、『二つ』は手元にある。そして、
メイリーはじっと、暗がりに光るヴァルの紅の瞳を見る。
あまりにも純粋で、人を騙す事など考えたことすらないだろう彼。
次いで言えば、彼は《ウェポンズ》だ、うまくいけば保護され、ロウキュール王の元に召還されるかもしれない。
そのためには機会を待ち、時が来たならば速やかに逃げ出さなければならない。そして、ヴァルにはメイリーに代わり、一人でロウキュール王都を目指してもらう。
『指輪と密約書』という、『メイリーの責任』を背負って。
「わたくし、最低ですわ」
自分の視線だけでも、少年を汚してしまう気がして、メイリーは顔を背けた。
今だけは、リザリスがあれほどヴァルの周囲を警戒してメイリーを寄せ付けようとしなかったのか、分かるような気がした。
メイリーとヴァルの二人が別々に逃げれば、まず傭兵はメイリーを追うだろう。
これ見よがしに鞄に『密約書』をしまって見せておいたのだ。
逃げる時は、『密約書』を開いてヴァルの腹か、太ももにでも巻いて、見せかけは手ぶらに見せかければ余計にそうなるはずだ。
だけど、もしメイリーが密約書を持っていないことが知れれば、傭兵たちはこぞって血眼になり、ヴァルを捜しだそうとするはずだ。
メイリーはあの孤独な逃亡を、今度は道ずれになっただけのヴァルにやらせようとしている。
(わたくしは、リザリスさんの命まで奪っておいて、まだ飽きたらずに、ヴァルを利用しようしていますのね)
辟易した。
リザリスが警戒した通り、メイリーはまさしく毒婦だろう。
自己嫌悪をならべて、それでも、『そのとき』が来ればヴァルに託そうとしている思いに何の躊躇いも覚えない事に、ほとほあきれた。
ぬめりとした舌触り。
ロンドガルにリザリスを貶されたときに噛みきってしまった唇の傷口が開いてしまっていた。
ちっちと、痛みは脈動に乗ってメイリーを刺す。
この程度の痛みでは、贖罪にはならないと分かっていながら、メイリーは口の中の血を舌で集めて、飲み下した。
「本当に、ごめんなさい」
三度目の陳謝。
震えた声は、許しを乞うているわけではない。
許されてはいけない。
ならば、この謝罪の意味は……。
メイリーは浮かんだ疑問を、首を振って否定した。
意味があるかどうかなど、考えることがそもそもおかしい。
メイリーには謝罪以外にどうすればいいか分からなかった。それだけのことだった。