イルダート26
メイリーがロンドガルと話し、すべてを決めてしまうまで、ヴァルは黙って聞きに徹していた。
自分では『できない』と判断し、メイリーを『たよった』。
だから今度は自分が『できること』をする番だろう。
ロンドガルの合図で対岸からぞろぞろと連れ立ってきた傭兵たちに周囲を囲まれ、ヴァルはメイリーを庇うように短槍を掲げた。
「勇ましいじゃあねえかあ。坊主ぅ」
正面で挑発するように、見下してくるロンドガルに、ヴァルの紅眼は尖る。
この男が、ヴァルの目の前でリザリスを奈落へ突き落としたのだ。
「ヴァル」
メイリーだった。
「この場は納めます。すでに決めました。抗うときはその槍をわたくしの顔に突き立てなさい」
ヴァルを宥める体裁をとった、その言葉の本質はロンドガルへの威嚇だった。
あまり刺激すれば、どうなるかわからないぞ、と。
「食えねえなあ、お姫様」
手のひらを向けるロンドガル。
「かしらあ!」
不満そうに声をあげたのは、さっきのヴァルの強襲で矢を射掛け、逆に短刀を肩に貰った傭兵。
「ああん? おまえその肩どうしたってえ、そういやあ、やられてたなあ」
「だっせえなあ」とロンドガルが嗤えば、他の傭兵たちも次々に囃し立てた。
「ッるっせぇ!」と四方にがなり立てた傭兵が耳まで赤くして、最後ににらんだ先は短槍を構える少年だった。
「かしらあ、このクソガキ殺させろお!」
血走っためで短剣を抜いた傭兵。
無言で鞄の中に手を伸ばすメイリーを煩わしげに見ながら、ロンドガルは面倒くさげに「だめだあ、土産にすんだからなあ」と傭兵を止める。
なおも食い下がろうとした傭兵だが、「踏まれた馬糞が、みっともなく靴底に引っ付いてんぞ!」と仲間に指差され、すぐにまた、唾を撒き散らして怒鳴り始めた。
どう鬱憤を晴らしたものか、考えあぐねた傭兵が思い付いたのは、あの白銀の髪の少女を引き合いに出すことだった。
「おい、ガキぃ。あの穴に落っこちたマヌケはてめえの姉ちゃんかあ? 死んだぞ? おっちんじまったんだよ! てめえを残してなあ!」
ぴくりと、ヴァルの肩が跳ねる。
動揺したことに気をよくしたか、傭兵は捲し立てた。
「穴っくらの底で今頃どんな顔してんだろうなあ? あの綺麗な顔はどうせもう見れちゃもんじゃあねえだろうなあ。だが、安心しろよ。きっとあの世じゃあ大人気だろうぜ? ぶっこまれまくって、『どハマリ』だ!」
「穴だけになあ!」と、傭兵がケラケラ嗤えば、それに一緒になって周囲も湧いた。
メイリーはぎりりと、唇を噛んだ。
鉄錆びを舌で転がし、憎悪の炉にくべた。
意地悪だったかもしれない。
破天荒で、破茶滅茶で、メイリーの言葉なんて聞きやしない。
だけど、優しかった。
気づいていないはずが無い。
『不器用』だなんて、とっくに知っていた。
素直に認めて上げられなかったのは、メイリーが意地っ張りだったからだ。
誰よりも強い信念を貫徹する心と力に、優しさまで加わってしまったら、もう、メイリーにはどうやったって勝ち目が無いではないか。
口になんて決してできない。
だけれど本当は気付いている。
メイリーはリザリスに憧れていた。
その姿に、その心に、その背中に、メイリーはいつの間にか手を伸ばすようになっていた。
それを、どうして。
リザリスを、大切な『仲間』をここまでこけ下ろしにされなくてはならないのか。
「そいつぁ御機嫌じゃあねえかよお! オレぇも逝っちまったらよお、相手してもらおうじゃあねえかあ!」
ロンドガルが大口を開けたとき、ついにメイリーは、ぶちり、唇を噛みちぎっていた。
「おだまりな……」
震え混じりの低い声を、
「あいて、すぐにしてもらえるよ」
あどけない声が、遮った。
「ああ?」
傭兵たちの注目のなか、ヴァルは緋色に輝く相眸に、ロンドガルを映した。
「リサはくる。すぐに、そしてこんどはぜったいに負けない」
確信めいた予言だった。
傭兵たちの下品な嗤いなどまるきり呑み込んでしまうほどの断言だった。
「おんもしれえこと言うじゃあねえかあ、坊主ぅ」
始めに口を開いたのはロンドガル。
倣うように、傭兵たちも笑うが、ぎこちない。
「オレぁよお、慈悲深いもんでえなあ。殺るときゃさくっとやることにしてんだよなあ」
命も、希望も。
「だからあよお、本当ならこの穴をよお、埋めちまってえ地獄から、あのおおっかねえ別嬪さんが戻ってこれねえよおにしてやりてえがあ、オレぇもこいつは不馴れでなあ」
緑光を微かに光らせる、元の形に戻った腕輪を、ロンドガルは撫でた。
「だからあよお――」
ロンドガルが引いたのは、傍らの傭兵が持っていたソードドックを繋ぐ鎖だった。
「――こうするってわけだあ!」
振り上げた剣を、浅く動くソードドックの横腹に、ロンドガルは突き刺した。
ギャンッ、ぐったりしていた獣が跳ねる。
「おらあ、哭けよお、犬っころお」
ぐりりと、えぐり込むように握っている柄を回す。
「哭いてみろよお、好きなんだろお? きゃんきゃん哭いてお友達をよお、喚ぶのがよお!」
のたうつ獣の体躯を踏みつけて抑え、ざっくざっくと、ロンドガルは浅突きを繰り返した。
「哭けよお! 犬っころ!」
その瞬間、死に霞むソードドックの瞳に最期の灯火が燃え上がった。
くうぅぉおおおおおおおんッッ
一啼き。
残っていた全てを搾りきったのだろう、獣は今度こそくたりと横たわり、脈動を止めた。
くぅああぉおおおおおんっ
森の奥より、声は返った。
一つではない、二つ三つ、重奏して、まるでこれから始まる戦いへの『マーチ』のように。
そして、
グウラアアォオオオオオオッッ!!
「ッ! こいつぁ……」
他とは画していた。
木々は怯えるように震動し、川面は波紋を広げる。
一斉に翔んだ鳥影の群衆は、終焉を告げる暗雲の如く広がり、ばったばったと、ぶつかり合って気絶した鳥の雨を落とす。
『魔窟の大森林』より激震した咆哮は、触れてはならぬ『本物の化け物』の怒りを触れて回ったのだ。
「くはっ、くあっはっはっは!」
ロンドガルは嗤う。
森に討伐に来ていた三人の若者は下手を打って、ソードドックの集団と交戦、死亡。
これがイルダートの人間の目を欺くためにロンドガルの用意していた筋書きだった。
だが、いざ舞台の幕が上がってみればとんでもない大物演者からのアドリブが入ったときたものだ。
(こいつぁガキ三人の行方なんて気にしちゃあられん大惨事になるかもなあ)
怒り狂った、ソードドックの『王』は、イルダートへ向けて、暴虐を振る舞いにいくかもしれない。
(まあ、知ったこっちゃあねえけどなあ)
どちらにしろ未来で戦う相手国なのだ、依頼主にも黙っておけばとやかく言われることもあるまい。
無責任で結構、傭兵家業など、そんなものだ。
「おうらあ、ずらかるぞお、いそげよお!」
ソードドックの骸は穴に蹴り入れ号令を出す。
もしも、あのとんでもなく強かった白銀の少女が穴の底からよじ登って来ていたとして、地表に出られたとしても、今度こそもう、どうやっても助かるまい。
魔獣の血をひっかぶった彼女を、ソードドックの『王』が逃すことはあり得ないのだから。
「お姫様達もよお、素直に急いだ方が身のためだあぜ? じゃないとよお、みんな仲良く犬の糞だ」
その冗談を、この状況で嗤えるほど豪胆なものは、さしもの傭兵団にも居なかった。