イルダート20
こんにちは。
誤字脱字、ある程度は推敲してみたつもりですが、また見つけたときは、ご指摘いただければ、助かります。
リザリスたちがソードドック討伐のために森へ踏み入る前日。
三人は街の各所を回った。
いく先々で『危険だ』と心配され、月グマ亭の夫婦のように引き留められ困った三人だが、この街の人から『心配してもらえる存在』になっていたのだと思えば、そう悪い気持ちにはならなかった。
一部、『だったらうちの子になりなさい!』と言い出した奥方とリザリスがヴァルの取り合いを始めたり、『金が必要なら養うから俺のものになってくれ!』と、しつこく言い寄る青年に『リサはだれにもあげないよ!』と、ヴァルが怒ったことに有頂天になったリザリスが、調子にのって数人を熨したりしたが、ソードドックの危険性についてはどこに行っても口を酸っぱくして、忠告されたため、充分な情報を得ることができた。
実は、メイリーが寝ているうちに依頼を受ける旨を役人に報告にいった際、ソードドックの特性や対処法についての説明をリザリスとヴァルは聞いていた。
メイリーは自分のせいで『月グマ亭』の客足が遠退き、臨時休業になったと考えていたが、真実は少しだけ違う。
確かに宿泊客は早朝にチェックアウトして別の宿に行ってしまった。
だが、店の常連客をはじめとした街の人間たちはメイリーが襲われたと聞いて仕事もほっぽりだして押し掛けてきたのだ。
これでは街は立ち行かないし、メイリーの睡眠も妨げる。 これからのことだってあるのにろくに話もできやしない。
そのために女将が押し掛ける男どものケツを文字通り蹴飛ばして、『働きな!』と店を閉めたのだ。
この『情報収集』は、そんな街の人たちにメイリーが元気でいること見せるための『顔見せ』で、同時に近々に街を出ることの『挨拶回り』の意味合いが強かった。
本来、流浪の人間が律儀にこんなことをするのかと言うのなら、まずしないだろう。
関わる人間の移り変わりの激しい生活をしていると、個人への愛着や気持ちを察することに鈍くなってしまう。
リザリスがこの『挨拶回り』をするべきだと考えたのは、付き合いこそ客と給仕だったが、それだけで終わらせない、確かなものを、イルダートの人達がリザリスの内に芽生えさせたからだろう。
そして夜。
危険性を考慮し、リザリスは戦えないメイリーに宿で待機し、お世話になった女将に奉公しろと命じたのだが、メイリーはそれを、「リザリスさん達が戦っているときに、わたくしだけが待機などありえませんわ!」と、拒否した。
守りきる自信も腕も、確かにリザリスにはあった。
しかし、連れて来ない方が安全なのだからリザリスの指示の方が適切なはずだ。
加えて、イルダートには襲撃の件がすでに広まっている。
そんな状況では追っ手も『月グマ亭』に近づくのは難しいはず、街が混乱に陥ればメイリーを取り逃がす可能性が高くなるからである。
リザリスは、もし敵が強引を承知してもメイリーをどうにかするつもりだとしたら、街を離れた馬車での移動中だと睨んでいた。
そこまで考えての待機指示であった。
両者一歩も引かない真っ向からの口論に発展したのだが、結局、折れたのはリザリスだった。
『仲間だから特別扱いはしないとおっしゃったのは、リザリスさんではありませんの!』
自分の言葉を盾にされて怯み、そこから畳み掛けるように、
『戦えなくても荷物持ちは出来ます! それに次に襲撃を受けたとき、二人を盾に立ち尽くすようなことになるのは、わたくし、我慢なりませんわ』と。
駐屯地で襲撃を受けたとき、せめて自分が意識をしっかり持っていたのなら、あの若い兵は残らなくて済んだかもしれない。
そんな後悔がメイリーにはあった。
理屈が通っていても、ときにはそれをねじ曲げることが求められることがある。
それは、人がどうしようもなく『感情』を前提に成立してしまう意識を持つからだろう。
リザリスにも経験があった。
『あの月夜の選択』こそは、まさしくそれだった。
だからリザリスにはもう、『勝手にしろ!』とふて寝をする他の選択肢がなかったのだ。
実際、メイリー自身の安全性を無視すればメイリーの同行はそう悪いものではない。
狩をすれば荷が増える。
荷が増えればそれだけ一人は鈍くなる。
もう一人が警戒をすればいいが、前後左右を常に一人で警戒し続けるのはなかなかに精神を消耗させるものだ。
突発的な事態を想定すれば、多少移動のペースを落としても荷物持ちの存在はありがたい。
苦肉の最後の策として弄した、夜も明けきらないうちにヴァルを担いで、メイリーを置き去りにする作戦も、もともと早起きなうえ、午前までたっぷり睡眠をとったメイリーには通じなかった。
開いた薄目に、三人分の荷を確認して着替え始めたメイリーを見つけ、リザリスは嘆息を漏らして明けまでふて寝したのである。
イルダート後半は前半より作品の趣が違ってくると思います。
それも楽しんでいただければ生み親としては、冥利に尽きると言うものです。