イルダート17
裏庭の中央、片手に錆びで劣化した剣を構えた主人が、ヴァルとリザリスの前に仁王立ちしていた。
血糊のついたまま放置し、日を浴びせることすら無かったのだろう。
刃こぼれしている刀身が、埃できらきら光っている。
「俺のこの足は、魔獣にやられたものだ」
引きずっていた足を擦る主人。
「魔獣に手負わされた俺すら納得させられんのなら、行っても死ぬだけだろう」
腰を落とした主人は、ぎんっとヴァルとリザリスを睨む。
正眼に構えた型は堂に入ったもので、生兵法ではなく、きちんと長い訓練を積んだことを窺わせた。
「まさか、ご主人と戦えと言いますの!?」
メイリーがはっとして主人に尋ねれば、主人は、構えた剣で返答する。
「そんな、いけませんわ! 力を試したいというのなら他にいくらでもやりようがありますわよ!」
声を大にして制止を試みるが、主人はおろか、ヴァルとリザリスまでもが、戦いの直前に流れるぴりりとした緊張感を漂わせていた。
両者に止まる気配が無いと思いしると、メイリーは最後の頼みとばかりに女将を見上げるが、いつもの覇気をを失った女将は、「あんた……」と主人を心配そうに見守るだけだった。
この立ち合いを受ける『道理』があるかないかで問われれば、無いだろう。
それこそメイリーが言ったように他にやりようがある。
それでも、リザリスに申し出を断るつもりは微塵もなかった。
自分たちを想って向けられた剣を、どうして避けようなどと思えるだろう。
この戦いに『道理』は無くとも、『義理』ならばあるのだ。
「それで主人が納得するというのなら」
そう告げたリザリスだが、次にはまるで検討違いなことを言い出したのだ。
とんっと、ヴァルの肩を叩き、片足を患っているとは言え、大人でしかも、がっしりとした体型である主人の前に、一人で出したのである。
「ヴァル。では先に頼むぞ?」
「うん、まかせて!」
「ちょ、ちょっとお待ちなさい! 主人と戦うのだってとんでもないことなのに、ヴァル一人で戦わせますの!? いつもは、ヴァルヴァルと過保護なくせして、見損ないましたわよ! リザリスさんっ!」
ヴァルが当然のように一人で戦おうとするのをみて、慌ててメイリーがリザリスに詰め寄った。
そんなメイリーの言葉に、むっとするリザリス。
「力を試したいと言うのなら、一対一でなければ見えるものも見えんだろう。わたしは後だ。あとお前に見損なわれるのはどうでもいいが、わたしだって主人がほんの少しでも害意のある人間だったらヴァル一人を戦わせない。その前に殺している」
そして最後に、「もう一つ、わたしはヴァルが好きで好きでだ~い好きでたまらないだけで別に過保護じゃない」と、付け加えたのである。
「貴女は犯罪すれすれの過保護ですわっ! って、そうではなくてっ! ヴァルが万が一大ケガを負ったらどういたしますの?」
まるでさっきまでの女将のようなことを言うメイリー。
主人とヴァルではあまりに体格が違う。
体格はリーチであり、そのまま武器の重さになる。
主人にヴァルを殺めるつもりが無くとも、何事にも絶対はない。
何かの弾みで、ヴァルの小さな体に、主人の攻撃が当たるようなことがあれば、ひとたまりも無いだろう。
それでもリザリスは断言する。
「『万が一』は起こらない。主人がヴァルに一撃でも入れることは、絶対に無い」
『絶対』をリザリスは、確信していた。
リザリスから『魔獣』を倒した経験があると聞いても主人には年端もいかない少女の言葉を信じることは出来ないでいた。
こればかりは感情なのだ。
街の小僧が友達に自慢したくて、成し遂げたことを尊大に誇張するのを微笑ましく見てしまう年齢になると、どうにも若者の言葉を素直に受けとることが難しくなるものである。
だから、主人もはじめは二人を相手取るつもりでいたが、侮りの窺えない自信の笑みを前にしては、頷く他無かった。
「好きにするといい」
「そんな……」
心配そうに眉を寄せるメイリー。
ヴァルは、そんなメイリーとは裏腹に、気負うことなく「うーん」と上体を反らしていた。
「ヴァル!」
「まかせて! ねっ、メイリー」
そう言って進み出たヴァルは、小さく、唱えた。
「≪マテライズ≫」
十指の先から紡がれる青い光の糸が、それぞれの爪の先に、小さな円陣を描きだす。
それこそは、ヴァルがただの少年ではない証であった。
人には無い、≪ウェポンズ≫という存在に宿る神秘の力であった。
不可解な光を灯すヴァルの姿に、主人がピクリと動くが、構えは崩さない。
だから、ヴァルがぐっと踏み込んだことも捉えていた。
(来る!)
予感は現実に、ヴァルが勢いよく地を蹴った。
その姿に、なるほどと、主人は心中で頷く。
新兵がまず行う基礎的な訓練のなかに、ひたすら棒を持った相手に攻撃されるというものがある。
この訓練の目的は武器を持った相手を畏れず、きちんと対処できるようになることだ。
剣の筋や、体術の前に、ここでふるいにかけられるものも多い。
実際、兵役時代の主人の同僚にも、素振りや、型の筋はいいのに、いざ武器を持った相手の前に出るとてんでダメになる者がいた。
その点、ヴァルは目にも体にも淀みはない。
視線も上がって相手の姿をしっかり目に収めている。
しかし、
(愚直にすぎる!)
フットワークも、誘導もない。
ただでさえリーチの分は主人の側にあるのだ。
これでは容易に叩くことができる。
牽制のために、主人が大きく剣を、振りかぶる。
動きが見えているのなら、ここで距離を取るか、横に逃れようとするだろう。
そこで、ヴァルが採った選択は、
(なんだ、それは)
動揺が振り上げた剣の先に出て、ぶれる。
ヴァルは、構えをとっていた。
だがそれは、無手のはずヴァルがとる構えでは無かった。
腰を上げないまま、右足だけで踏ん張り、両手は斜め下に、まるで、『見えない得物』がそこにあって、振り上げようとしているかのようであった。
そこに、確かに『得物はあった』のだ。
より正確に言えば、『現れた』。
十指に宿った幾何学の陣の一つが大きく展開し、そこから現れた『棍』を、引き抜いたのである。
「なにっ!?」
「はあっ!」
ヴァルが棍を振り上げ、目を剥いた主人が遅れて剣を、降りおろす。
ガンッ、かち合った二つの得物。
弾かれたのは主人の側であった。
腕力ならば、主人が勝るだろう。
だが、ヴァルの奇策に我を忘れ、本来、型によって整えられる力の伝達が未達なままの攻撃では、力を生かしきれなかったのだ。
「ぬあああっ!」
このままでは終わらなかった。
構えを崩すなと兵役時代繰り返し言われ続けたことが活きる。
ぎぎぎと、肩の軋む音を聞きながら、主人が剣を、弾かれた腕を引き戻す。
体に合わない得物を使ったせいで無防備になっているであろう脇腹に剣幅をくれてやろうとしたところで、止まる。
少年の手から棍は消えていた。
新たに、少年は手の先に円陣を展開させていた。
ヴァルの両手は、、肩に担ぐように、そして、円陣の向こうより現れたは、――『両手斧』。
主人はすぐさま衝撃を受け流すために、剣を斜めに倒す防御の型をとった。
ぐわああん
ぴききと、ボロの剣が悲鳴を上げ、手の痺れに主人の顔が歪む。
ヴァルの攻勢は続く。
本来ヴァルが扱うには体に合わない武器を、たった一撃に使用しては、光に還し、体に力のみなぎる最高点を見計らい次の武器を召喚して振りおろす。
繰り返し、繰り返し、怒涛のように、苛烈に。
「う、ぬぅ」
完全に攻撃を受ける側に回った主人。
反撃はままならず、一撃を防ぐごとに、一歩を退くごとに、患った片足から体力が奪われていく。
じり貧だった。
足が耐えかねて崩れるのは時間の問題だった。
だからこそ、主人は『いま』、全てを出しきることを決断した。
「ぬうぁああアアアッ!」
患った足で、踏み込んだ。
頭のなかがまっ白くなるような痛みを、奥歯をぎりりと鳴らして耐えた。
ヴァルもリザリスもたまたまこの街に来て、『月グマ亭』に居着いただけで、いつか出ていくのは当然のことだ。
それは仕方がない。
二人も、それから栗毛のあの泣き虫にも譲れないなにかがあることを、女将だけじゃなく、主人だって察していた。
ごねて引き留めるようなことはしてはいけない。
だが、『魔獣』は駄目だ。
あれは主人と女将から子供を奪ったのだ。
リザリスとヴァルにそれを打倒する力があったとしても、どうしてそこに、この子達をやることができるというのだ。
だから、主人は勝たねばならなかった。
あの時自分の子供を守ってやれなかったこの剣で勝って、金を渡してやるのだ。
こんどこそ、この背中から温もりを奪わせはしない。
勝って、金を渡してやって、『子供』が生意気に遠慮なんかするんじゃないと、言ってやらねばならないのだ。
「ぐおおおぉォオオッ!!」
腹の底を揺らすような雄叫びだった。
ヴァルの得物を弾き飛ばさんと、足の負担を懸念して出来なかった全霊の踏み込みを乗せ、横から剣を振り抜く。
ガカアアンッ
互いの得物から火花を爆ぜさせ、主人の剣は確かにヴァルの得物を裏庭の隅まで弾き飛ばした。
なのに、
「な、に……」
驚愕で顔を染めた。
ヴァルは、主人の目の前で紅眼を輝かせ、笑んでいたのである。
主人が弾いたヴァルの得物。
ヴァルはそれを『握っていなかった』。
ヴァルは主人の呵成を聞きながら武器は握らず、脱力したのだ。
そして、いま、頭上で起こった金属の衝突で撒き散ったつんざきを聞いていたヴァルは、主人の懐に踏みいる。
主人の形勢逆転の可能性を秘めた一撃は、主人から体の自由を奪っていた。
剣を振り切ってしまう頃には、ヴァルは主人の喉元に短刀を突きつけていたのである。
「えへへ、ぼくの勝ち!」
決着はそんな無邪気な笑顔で、迎えられた。