イルダート 15
メイリーは自分の身に起こった全てを語り終えると、ベッドから立ち上がり、おもむろに床に膝をついた。
そんなメイリーを、リザリスはただ険しい目で見下ろす。
メイリーが次に何をするつもりなのか、すでに検討をつけているのだろう。
呑み込まれそうな碧眼を、メイリーは真正面から受けてたち、決意を燃やして『お願い』を口にしたのだ。
「今日まで三人で貯めていた旅費、その全てをわたくしにお与えください!」
栗毛を床に垂らすその姿は――土下座であった。
三人で旅を続けるのはまだ難しい。
しかしだ、一人ならばどうだ。
十全ではないにしろ、不可能ではないはずだ。
あまりにも傲慢な申し出であることはメイリーもよく理解していた。
しかし、メイリーにはもうこの手段しか思い付かなかった。
今までと同じように、今度はこの二人を王都への踏み台にする。
それが、メイリーの決意だった。
この土下座は、そのための手段だ。
メイリーがただの小娘だったのなら、こんなものは情に訴えるだけのポーズにしかならない。
だが、メイリーは二人にロウキュールの王族のであることを既に明かしている。その身の価値を示している。
その上で、ただの旅人でしかないリザリスの前で地に身を投げて頭を垂れているのである。
これは、『お願い』の体裁をとった『脅迫』であった。
ロウキュールの地を歩きながら国主の血を蔑ろにするなど到底許されない。
もしメイリーが、懇願を無下にされたことを公にすれば、リザリスは二度とロウキュール王国の地を踏むことを許されなくなるだろう。
それが、王政を敷く国というものだ。
すーっと、リザリスが眼を細める。
「本気なのか?」
「……お願い申し上げます」
顔を上げないまま、メイリーは繰り返した。
この言葉と気持ちに、偽りはない。
ヴァルとリザリスは既に巻き込まれている。
メイリーにお金を渡してしまえば二人はそれだけの長くイルダートに留まることになるだろう。
危険な敵がいつ襲ってくるやもしれないこの土地にである。
仮にメイリーの懇願を無視して、敵に引き渡せばメイリーの脅迫も裏目に出たということなろうが、それはないだろう。
それはリザリスとヴァルの人間性を信頼しているからでもあるが、もっと単純に、二人は既に追っ手を三人殺しているからだ。
そう、メイリーは二人をとっくに巻き込んでいるのだ。
にも関わらず、巻き込んだ張本人であるメイリーが一人で先に旅立とうというのである。
だからこそ、メイリーは心から謝罪を込めて頭を下げ続けた。
「はあ……」
頭上から聞こえたリザリスのため息には、呆れよりも怒りが強く滲んでいた。
「お願い申し上げます」
「軽率だな」
「お願い申し上げます」
「まったく考えなしだ」
「お願い、申し上げます」
「お前はなんにもわかっちゃいない」
「お願い、もうし、あげま……」
呪詛ようにその言葉を繰り返そうとした時だった。
「ふわあっ!?」
ぐいっと二の腕を掴まれ強引に立たされる。
そのまま体幹のままならないメイリーは、後ろのベッドに投げ飛ばされた。
「い、一体何をなさ……」
「ヴァル!」
「はーい!」
抗議の言葉さえ許されず、ヴァルが上からシーツを被せた。
もがき出そうとするメイリーに、布越しにリザリスは言った。
「お前は何にも分かっちゃいないんだ。頭を冷やせ。金があれば旅を続けられる? 一人ではイルダートにも入れなかったお前がか? 確かにここまでお前はよくやった。運だけではないことは認めてやる。だがな、『ここまで』なんだ。いいか? お前はここで死んでるんだ。無一文になった上、戦う力も持たず、抵抗もできなかったお前一人では『ここまで』が限界なんだ」
敵は、メイリーの所在を既に把握してしまっている。
今夜の敵は撃退したとはいえ、メイリーが街を出るのを見落とすはずがない。
そして、ロウキュール王国領土に入ってしまったいる以上、敵はその時、確実に仕留めようとしてくるはずだ。
《アーツ》を持つ敵出向いて来れば、メイリーが一人きりでは抵抗すらできまい。
「お前は弱い。あっけなく死んでしまうほどにな」
リザリスは残酷なまでに、メイリーの無力を言い聞かせた。
「それは……」
そんなことは言われるまでもない。
誰よりもメイリーが一番よく知っている。
王の落とし胤であったって、学をかじったって、王族のらしく振る舞おうとしたって、メイリーは結局王都の片隅にあった飲食店の娘に他ならないのだから。
それでも、
「――それでもわたくしは、メイリー・ロウキュールなのです。だから、進まなくてはなりませんのっ!!」
シーツのなかで、少女は喚いた。
涙を流して、わなわなと唇を震わせて、誰も見ていない薄布の中で、メイリーは滂沱を落とした。
例え、不可能に近いとしても、それでも、メイリーは託されたのだ。
メイリー・ロウキュールだから、生かされ、背中を押されたのだ。
だから、立ち止まることは許されないのだ。
そんな少女の頭から、シーツを引いて、「だがな、」とリザリスは言った。
「だが、わたしは強い」
「えっ?」
「そして、ヴァルもいる」
リザリスに優しい目つきで頭を撫でられ、ヴァルが「えへへ」と無邪気に笑う。
再びメイリーに向き直ったリザリスは、強く断言したのである。
「だから、最強だ」
なんの根拠もないのに、メイリーはその言葉になんの疑問も抱かなかった。
そのまま、言葉を無くしたメイリーに、リザリスは腕を組んで尊大に言ったのだ。
「次にイルダートから出る乗り合い馬車は5日後だ。それまでに金を揃えて準備を終わらせ、イルダートを出る。だから今は寝ろ。お前が倒れると予定に支障が出る」
「メイリー、まかせて! リサはうそつかないんだよ。だから、だいじょうぶ!」
ふん、と鼻を鳴らすヴァルは、どうしてなのか少しだけ頼もしく見えた。
「追っ手は、とても危険ですのよ?」
「だからどうした。わたしとヴァルが負けることはありえないぞ?」
不適に笑うリザリス。
「わたくしは、貴女たちを切り捨てて一人で進もうとしましたのよ?」
「いっしょに行くって言ったんだもん。一人で行っちゃうなんてダメなんだよ」
頬を膨らませて、「ずるい」と唇を尖らせるヴァル。
「まだ、わたくしと、こんな、わたくしと、一緒に、いて、くれますの?」
しゃくり上げながらメイリーがそう言えば、「ふんっ」とそっぽを向いたリザリスが、メイリーの乗る寝台に腰掛け、ヴァルは頬杖をついて「えへへ」と笑う。
「う、んく、……よろしくお願い、申し上げますわっ!」
涙を拭い、メイリーは改めて、そう『お願い』したのである。
長い夜は太陽に追われ、茂った木々は朝露に葉を濡らしていた。
朝の森の、濃い青臭さを嗅ぎ、夜営地の真ん中でとっくに消えた焚き火の上げる弱々しい白い糸を眺めていた男は立ち上がった。
「くああ~あ」と体を伸ばし、地面を蹴り上げて焚き火に砂をひっかければ、白煙はじゅわっと音を弾いて消えた。
男の体は全身が爛れていた。
地獄で火炙りにあったのだと言われても信じてしまいそうなほどえ、酷い火傷跡だった。
革の鎧を直に着込む無頼漢な見せかけのために、唯一の装飾品である腕輪が際立ってみえる。
その腕輪をお気に入りのオモチャだと言わんばかりにニンマリ眺め、男は一晩待ち続けた部下を思う。
「ヤハルは帰っちゃあこなかったなあ」
夜の内に仕事のかたはつくはずだった。
それが、帰ってこない。仕事が無理なら情報を持ち帰るのがあの男の仕事だ。
つまり、あの男が撤退も出来ない状態になっているということだろう。
「クックッ、まあさかよお。ホントに、『祝福』されちまあったのかよお」
嗤いが込み上げてくる。
相手は恐らく『目標』の護衛を受け持ったやつだ。
「んじゃあよお、オレにも『祝福』を、くれるのかよお」
男の右腕に巻いた腕輪が、男の機嫌に同調するように淡く緑光を放つ。
せっかく密約を交わしたと思えば、小娘一人のために、計画がご破算になるかもしれないと聞いたときには呆れ返って、密約も切ってやろうかと考えたが、尻拭いに代わりに渡された『これ』を思えば、むしろラッキーだとすら思ったものだ。
《アーツ》、男がずっと畏れ、同時に欲し続けた『力』がいま、この手中にある。
昂る気持ちを胸に、この『オモチャ』を振るう時を心待ちに、火傷の男――ロンドガルはイルダートの方角を愉しそうに眺めていた。