イルダート13
襲撃者の魂を浚うように窓から吹いた風が、ベッドのシーツをはらりと捲る。
「だいじょうぶ? メイリー」
へたりこんでリザリスと黒装束の戦闘を眺めていたメイリーの肩を、ヴァルがぽんと叩く。
だれがそんな少年が暗い部屋で、目標も見えない状態で、リザリスの息に合わせる精確無比な投擲能力を持っていると信じるだろう。
「みつ、やくしょ……、『密約書』!」
「うわぁ!」
「おいっ!」
ヴァルの手を振り払い、咎めようとしたリザリスも押し退けて、這って黒装束の骸までたどり着いたメイリーは躊躇いなくその懐に手を突っ込んだ。
「あり、ましたわ」
男から取り上げたのは、『一枚の羊皮紙』。
メイリーはそれを親の形見だと言われても、信じてしまいそうなくらい安堵して抱き締めると、「よかった」とかすれた声で漏らしたのだ。
「なんだいなんだい! いったいどうしたってんだい!」
ほうきを持ったまま部屋に入ってきた女将が、みるみるうちに顔を青くさせる。
「これは、いったい……」
開け放たれた窓、へたりこむメイリー、その前には男の死体。
何か良くないことが起きたことは、すぐに女将も理解できた。
しかしである。
女将は真剣な面持ちになると、騒ぎだした宿泊客をなだめにかかりはじめた。
後ろ手にリザリスたち居る部屋の扉を閉めることも忘れない。
扉越しに平謝りする女将さんの声を聞きながら、メイリーは、ぽつりと、呟く。
「女将さんにも、リザリスさんとヴァルにも、ご迷惑をおかけしてしまいましたわね」
わたしのせいで、と、声にこそしないが、唇が動いていた。
「……」
何かを言おうとして、結局なにも言わずため息を落としたリザリスは、窓を閉め、シーツを引っ張って男に被せた。
それから布団の上に腰かけて、ベッドサイドのランプに火を灯したのだ。
「……それで、どうなんだ?」
やっと口を開いたかと思えば、ぶっきらぼうにそう尋ねる。
「どうと言われましてもって、誤魔化せるわけありませんわね。……ええ、全て告白いたしますわ」
リザリスの不機嫌そうな声も、こうなった以上、当然のことであると考え、自嘲するようにそう言うメイリー。
「そうではなくて……」というリザリスの小さな呟きは聞こえていなかった。
「う~、ヴァルぅ」
リザリスは唇を尖らせたかと思うと、もぞもぞ体を揺らし、最終的には隣に腰かけたヴァルに抱きついた。
「もう、リサってば、しょうがないなあ」
ヴァルは分かってるよと言いたげな、大人ぶった表情で、よしよしとリザリスの白銀の髪を撫でたのだ。
「メイリー、ケガはない?」
「ケガ、ですの? 頭はなんともありませんし、首の傷も浅かったのでもう血が固まってなんともありません、わね」
すっかりこんなことになった経緯を問いつめられるものと考えていたメイリーは、ヴァルの口から自分の心配がでてきたことに、困惑しながら答える。
「そう、よかったね」
ヴァルはなぜか、それをメイリーとリザリスの両方へ向けて、顔を動かしながら言った。
その言葉にリザリスは「むう」と頬を膨らませ、じっとメイリーを睨んだかと思うと、次にはすりすりとヴァルに頭を擦り付け始める。
「リサあ、くすぐったいよお」と無邪気に笑うヴァルの姿に、つい頬を弛めてしまう。
「ヴァルもリザリスさんも、まるで緊張感がないですわ」
襲撃者一人返り討ちした程度では、この二人は揺らいだりしないのだろうか。
少しだけいつものような呆れた顔を見せたメイリーは「わたくしも座っても?」と尋ね、二人が頷くと、対面になるように腰かけた。
「まずはわたくしの身の上を明かさせていただきます」
沈痛な面持ちで話を切り出し、メイリーは顎を引いて首に通していた鎖の留め具を外すと、そこから指輪を自分の手のひらへ落とした。
手紙の封蝋に用いる物であろう。
メイリーはそのシグネットリングに刻まれた紋章が見えるように動かし、ランプの灯りにかざした。
その紋章はあまりにも見覚えのある紋章であった。
この時代、それもこの地にすまうものならば嫌でも見たことのある紋章。
『高く飛翔する鷲と日輪』。
偉大なる大国ロウキュール王国の国紋がその紋章指輪には刻まれていたのだ。
「わたくしは、メイリー・ロウキュール。ロウキュール王国の第三位王位継承権を頂戴する者ですわ」
厳粛な風格さえ漂わせ、栗毛の少女は王族の身分であることを明かしたのである。
「とは申しましても、五年前に市井から拾い上げられた落とし胤、所詮は『張りぼて王女』ですけれど」
何かを押し固めるように瞳を閉ざし、そう付け加えるメイリー。
「おおじょ? お姫さま? そうなんだ、メイリーすごいね!」
「なんだと!? だったらわたしもお姫さまだー!」
瞳をまるくしてそれこそ単純にすごいものと認識していないであろうヴァルの無邪気な声。
なぜか張り合いだすリザリス。
「リサもなの? すごーい」「すごいか? すごいだろう!」二人が、メイリーの身分に狼狽えるどころか、そっちのけにするものだから、勇気を振り絞ったメイリーは、拍子抜けのあまり、肩の力が抜けた。
「お二人とも……」
(なんなんですのよ、もう……)
そして、自然に、くすりと口元が綻んで、
「あはははっ!」
まるでヴァルのような無邪気さで、眉尻に涙さえ浮かべて大笑いしだしたのである。
きっと、どこかで恐れていたのだ。
身分を明かせば、あのリザリスと言えども畏まって、謝罪をするのではないかと。
それもそれで見てみたい気もするが、その時、きっと、メイリーは再び『一人きり』になる。
『仲間』でいられなくなる。
五年前、母が倒れ、小さな飲食店の娘でしかなかった少女の周囲にいた人間がそうであったように。
昨日まで市場を一緒に駆け回った彼がそうであったように。
店によく来てくれて頭を下げれば撫でてくれた人がそうであったように。
一生顔を合わせることはあり得ないと思っていたような人達がそうであったように。
いつの間にか『責任』を忘れてしまうくらい心地よかったこの場所が、取り返しがつかなくなることが、メイリーには恐くて仕方がなかったのだ。
なのにこの二人は、変わらなかった。
形式を何よりも尊重して止まない大臣が見ていれば、唾を散らして怒鳴りそうな態度を平気でとってみせる。
固くなっていた自分がバカみたいではないか。
「もう、真面目な話をしていますのに、茶化さないでくださいまし」
涙を人差し指で拭いながら、メイリーも『いつものように』二人を諌めれば、いつの間にか口をつぐんでいた二人が眉を寄せていた。
「リサ、メイリーがわらったよ?」
「そうだな、笑ってたな」
まるで、ワンと鳴く猫でもみたとでも言い出しそうな顔だった。
「な、なんですのよ!」
「む、しかめ面大魔人のお前が突然笑うなんて珍妙なことをするからだろう」
至極真面目な顔でリザリスが言えば、ヴァルまでもが「うんうん」と頷く。
「メイリーはお客さんに、いらっしゃいませーって言ってないときは、ずっとむっすうて、してたもんね」
「なっ、そんな事……」
頬を染めて言い返そうとし、自分の行いを振り返るが、押し黙ってしまう。
こんなふうに、全てさらけ出したようにはしたなく笑えたことがはたして、この五年の間に本当にあっただろうか。
身寄りの無かったメイリーの淑女教育ためについた侍女は大変厳しい人だった。
それまで作法を学ぶ機会が無かったという言い訳は、『だから学んでいただいているのです』で切って捨て、一日中メイリーの影法師のように張り付き、言葉遣いはもちろん、寝返りの一つでも小言を言ってきた。
恨んでいないというのは嘘だろう、必要、不必要は、感情には関与しないものだ。それが、子供ならばなおさらである。
そんな侍女がメイリーが追われる立場になった際、真っ先に庇ってくれたことは、メイリーにとっては複雑なものだった。
心労の耐えない逃亡を続けてたどりついた、この『月グマ亭』での日々も、隠し事をする罪悪感までは拭うことはできなかった。
今このときでも、自分が王女で無くなったわけでもなければ、危険から逃れることが出来たわけでもない。
それでも笑ってしまったのは、きっとこの二人だからだ。
二人が『仲間』でいてくれることが、心強くて、それだけで心が安らいでしまえるからだ。
だから、もう、誤魔化せない。
きちんと全てを話す、この温い優しさに甘え続けようと考えればメイリーは『決意』を実行できなくなってしまう。
息を一つ大きく吐き、メイリーは『決意』――『二人との決別』を胸に、自分が追われる立場になったその理由を語りはじめた。