イルダート11
月グマ亭での日々は、メイリーには心地が良すぎた。
年配の常連はメイリーに我が子のように声をかけてくれるし、困った酔っぱらいからは、女将が目ざとく気づいて守ってくれる。
いい意味でも悪い意味でもリザリスに馴れてきた若い衆は、その美貌に酔って口説き始めるが、みんな酷薄な冷笑に腰を上げられなくなるのが、ここ最近の風物詩である。
ヴァルもヴァルで、近所の女性の井戸端会議で持ち上げられたり、注目に事欠かない。
まるで、『あの頃』のように、メイリーは自然な振る舞いをすることが増えていた。
心のどこかできっと、ここにずっといられたらなんて、メイリーは願ってしまった。
メイリーは忘れていたのだ。
あるいは、日々に溺れることを選んでしまった。
自分が、どれほど危うい立場にあるのか。
何を為さなくてはならないのか。
その全て、自らに課された責任から、目をそらしてしまっていたのである。
だから、『その夜』は、きっと、報いだったのだ。
森林の中の拓いた夜営地。
大火を囲んだ男たちが、カードをしながら、怒声を、あるいは歓声を上げて、ゲラゲラ笑っていた。
「ははあ! また『かしら』がケツだあ!」
「あーっくしょお! てめえらあ、そろってイカサマあしてんじゃねえだろうなあ?」
独特なイントネーションの間延びした声だった。
「そうじゃあねえんだよなあ。かしらが弱すぎなんだ」
「あんだとお!」
「けっ」と、男が蹴飛ばした横に倒した丸太が焚き火に突っ込み、炭を割って火花を散らした。
ごおう、踊る火が映した男の影は、歪だった。
皮膚の下に虫でも巣くっているかのように、頭の部分がぐねぐねとうねっていたのだ。
裸身に革鎧を直接着た、野蛮人のような出で立ちの男は、全身いたるところに火傷のあとが見られた。
特に酷いのが頭だ。
醜く爛れ、皮がくっついて盛り上がっている。
耳なんかはもう、頭と引っ付いてしまっていた。
毛穴も焼けて塞がってしまい、髪が生えることはもうあるまい。
そんな亡者のような男を、カードを囲んでいた男の部下たちがゲラゲラ嗤う。
「かしらー、癇癪持ちはモテないぜー? そんなんじゃ『金色の瞳の女神』様もそっぽを向いちまうってもんだ」
「ああん? 『金色の瞳の女神』だあ?」
座っていた丸太を自分で蹴飛ばしてしまったものだから、火傷の男はその場でどっかりあぐらをかいた。
「ああそうだなあ、オラあ女神様に嫌われているよお。こおんな大ケガしたってえのによお。『戦士の眠る地』にゃあ、連れてってもらえなかったんだからあよお! だがよお、そいつはあ、ここにいるみぃいんなだあ。なあ、そうだろうよお!」
「ちっげえねえっ!」
みんなしてゲラゲラ嗤い転げる。
まるで、しゃれこうべが歯を鳴らしているようだった。
まるで、地の底で皮を剥がされた人間が狂って声を上げているようだった。
「はっはあ! だからオレたちはあよお、そうなんだろお?『亡霊の牙』なんてえ、陰気臭え名を使ってんだあろうよお!」
自分達の傭兵団の団長が、団名を『陰気臭い』なんて言うものだから、もう周囲の男たちは、息するのも絶え絶えに腹を抱えて嗤い転げたのだ。
それを見て気分がよくなったのか、満足そうな顔をする火傷の男背後から、全身を黒でつつんだ影のような男が声を掛けた。
「団長、回収、行って、きます」
「おうおう! いっちまえよお、ヤハル!」
しっしと軽い調子で手を払う。
手下の二人がおっ死んでるを見つけてから数日。踏み込んではならない『魔窟の大森林』を除き、周囲はとことん散策した。
それでも『目標』も『対象』も見つからなかったことから、イルダートに旅人に扮した手下を向かわせてみれば案の定だった。
むしろ拍子抜けするほどあっさり『対象』は見つかった。
(まったくよお、のんきなあもんだよなあ)
ここまで追跡は、いつもあと一歩を逃してしまってきたが、自国の町に入って気でも緩んだのか、それとも、森で男の手下を殺した『護衛』によっぽどの自信があるのか。
どちらにしろ居るとわかった以上は手を出す。
プレッシャーは与えれば与えるほど、獲物はボロを出すことを男は知っていた。
(特に油断しているときの一発はよお、きっくんだよなあ)
襲撃予定時刻に合わせてイルダートへ向かう、団の中でも貴重な隠密能力に秀でている部下の背中に向けて、火傷の男はいやらしい笑みを浮かべたのである。
「『金色の瞳の女神』に愛されますようにいぃ!!」
夜営地にいまいちど、わっと爆笑が巻き起こった。