壊れてしまったもの、そこにあるもの
9回の裏、1対0で迎えた最後の回、この試合は絶対に勝つといきごんで来ただけあって
守備側のピッチャーである小森颯は相手にまだ一度もホームを踏ませていない。
高校三年の最後の夏、中堅の高校であった小森の通っている学校は危ない試合もあったものの
甲子園出場をかけた決勝戦まで勝ち上がり、一点リードしたまま最終回に突入した
「頑張れ小森、後1人だ!!」
ベンチから大声で何時もと同じ声援がマウンドに向かって飛んでくる
―だから、もう頑張ってるって言い返すのも慣れてきたな...
小森は先発であるにも関わらず、ほぼ毎試合で最終回まで投球を続けていたので
この声援ももう何度も聞いていた
小森の在籍する学校は大した取り柄もない平凡な高校で、中堅の高校とはいえ部員は
余り在籍していないので、純粋なピッチャーは小森だけだった
それ以外にもピッチャー経験のある人はいたが、やはり小森に頼る事が多く
結果的に小森が一試合登板し続けることが多かった、
そうこうしている間に二本のヒットを打たれ、小森も負けじとツーアウトを取り返す
ツーアウト二三塁、攻撃側の次の打者は2番の選手で力は無いが足が速い選手だった
一球目、小森の投げる球は外角ギリギリに突き刺さり相手はボールと読み間違える
二球目、小森の投げた球は大きく変化しボールゾーンに入るものの打者がバットをふり
ツーストライク
三球目、小森は内角低めに全力のストレートを投げる...いや、投げたつもりだった
小森がストレートを投げる時に手元が汗で狂い、球がすっぽぬける
緩い軌道を描くすっぽぬけた球は当然二番の選手が捉え、鋭い角度で打ち返される
絶対に勝つ、そう意気込んできた小森は咄嗟の反応で利き腕の右手でボールに手を伸ばしてしまう
それは小森にとっての正解かどうかは分からない、小森は伸ばした右手でボールを上に跳ね上げた
ひとえに小森の勝ちたいと言う執念に近い思いが届いたのか、跳ね上がったボールは
センターのミットのなかに収まる、その代償に小森の今までの試合で投げ続けた事で
疲れもあった右手を痛めてしまい右手を押さえながら小森は担架で医務室に運ばれて行く
そして、その後の表彰式に小森の姿は見えなかった
「これは、疲労骨折に成りかねない状態だった上に
強い負荷が急にかかって骨格が変形してますね。」
夢にまで見た甲子園出場、その権利を掴みとった代償が自身の右手
この話を聞いた時点で小森は医者が最後に言う言葉が何なのか分かっていた
―お願いします、もうなにも言わないで下さい
「その上で手首の筋も痛めてしまっているので、」
―その次の言葉を言わないで下さい、それを聞いてしまったら俺は...
「もうあなたは今までと同じように野球をする事は出来ないでしょう。」
小森はそう医者にはっきりと断言されると目の中の光を無くし、今にも死にそうな
雰囲気で病院を出て家に帰り始める
しかし、いざ家の前に来ると何時ものように体を動かすことが出来なかった
思い出されるのは3つ下の妹との約束だった
「おにーちゃん、怪我に気をつけて今日の試合も頑張ってきてね。」
うちの家は家計が厳しく、俺と妹は今から6年前に親戚に預けられて生活をしているので
親戚からはいい目で見られていない
そもそも、甲子園出場を目指したのは妹が野球選手のことを格好いいと言っていたので
少しでも妹を元気付けたくて、野球選手になるために甲子園で活躍したかったからだ
しかし、怪我をしてしまえば妹との約束も、甲子園で活躍する事も出来やしない
妹は恐らく俺を心配してくれるだろう、それでも家に入る決心はつかない
自分自身どうしようもないやつだなと分かってはいるものの、それでも体は動かない
仕方無く近くの公園に出掛け時間を潰そうとするものの、なにぶんやることがない
来る日も来る日も、野球や家事をし続けていたけど野球はできない、家には行けないで
ベンチで座っていることしかできなかった
そんなとき、近所に住む中学生の姉弟が公園に入ってくるのが見えた
どうやらこちらには気がついていないみたいだが、姉弟の手には野球道具が見えた
―こんな時間に野球?あの家は仲が良くていい家族だと思っていたけどどうしたんだろう
既に9時を過ぎ、だんだんと辺りが暗くなっていくが特に気にする様子もなく、
姉弟はこちらには気づかないままキャッチボールを始める
この姉弟のキャッチボールは何度も見たことがあるが、
きょうは弟の動きに何か違和感を感じた
姉弟は何を言っているのかは分からないものの二人は、大声で何かを話しながら
手慣れた様子でキャッチボールを続ける
それを眺めているうちに、姉が投げ損ねたボールがこちらに転がってきた
弟がそれをこちらに取りにきて、弟と目があってしまった
弟は軽くこちらに会釈すると、ボールを取って左手で姉のほうに投げる
―違和感の正体は弟が左手で投げていた事だったのか...
姉弟のキャッチボールをもう一度見ると、あることに気がついた
迷惑だとは思うがその事を確かめに二人に近づいて話しかける
「ゴメン、ちょっと聞きたいことがあるんだけど言いかな?」
俺が気づいたこと、それは弟が左手で投げている時にフォームに右投げの時の
オーバースローではなく、サイドスローで投げていることだった
それを弟に聞いて見ると、弟は少し驚きながらこう答えた
「俺は右利きだから、左投げでやるには普通じゃあ役に立たないんです。
俺は野球が上手いわけじゃないから、少しでも工夫をしてやってみてるんです。」
二人がキャッチボールを終えて家に帰った後も小森は公園に残って考え事をしていた
―今日、俺は右投げの投手としての選手生命は断たれた...おれにいま残っているのは...
必死になって考えるが、それの答えはもう既に自分の中で決まっていた
しかし、それに一歩踏み出す勇気が出てこない、いつの間にかそれなりの時間が経った
のか、腕時計は深夜12時に近づいていた
「俺はどうすればいいのか、わかってはいるんだけどな。」
しかし、考え事に集中し過ぎて後ろから話しかけられるまでそこに妹がいたことに
気がつかず、妹は不意討ちと言わんばかりの勢いで後ろから飛び付き、話しかけてくる
「それはね、おにーちゃんのやりたいようにやればいいんだよ。」
妹は心配して探しに来てくれたようで、小森は妹と二人で家に帰り始める
―自分のやりたいように...か
今、自分が本当にやりたいこと...それは
甲子園第一回戦、小森はグローブを右手にはめストレッチを始めるが
横からは心配性な監督が右手は何があっても使うなと言ってくるのが何回目になるのか
分からないほど念入りに言い聞かせてくる
ベンチからでてマウンドに向かうとき、妹の姿が目に写る
一度は見失いかけたもの、今は見えているもの、壊れてしまったもの、そこにあるもの
俺がやりたかったこと、それは―
長かった夏が終わり、運命のドラフトの日
テレビを見て喜んでいる二人の兄妹がそこにいた、ドラフト5位
1位に比べれば大したことのないことなのかもしれない
それでも入団できることには代わりはない、彼がやりたかったことは達成できるはずだ
彼がやりたかったこと、それは妹を元気付けて家族全員で暮らすことなのだから
短編小説を書いてみました
初めて短編小説をかいたので上手くいかなかったところも多いですが、
ここまで読んでいただきありがとうございました
時間が開いたら話の前後や別の視点からも書いてみようと思いますので、
この話を気に入って頂けたらちょくちょく探して頂けると嬉しいです