楽園の亡者
「俺、鬼だけどさ。何か見つけたらどうすればいい?」
震える声で、梶田くんが尋ねる。酸素を取り込んでいるのか怪しいほど、彼の顔は真っ青だった。
「全員見つけさえしなきゃいいだろ。相手が鬼になっても困る」
「子どもと遊んであげる気持ちで居れば、上手くいくんじゃないかな。手加減してあげたほうが喜ぶかも」
私の意見を、梶田くんは神妙に受け止めた。
「……努力はするよ」
「じゃあ、行くぞ」
俊明が先陣を切り、その横を梶田君、後ろを私と愛咲が並び、殿には佐々木君。
「……やべぇよ、めっちゃ見られてるよ」
鬼の動向を伺う視線。背後で何かが動き回る足音。かすかに聞こえる笑い声。トイレから聞こえる水滴の垂れる音。そのどれもが、先ほどの私の言葉が与えた希望を容易く打ち砕いていく。
やはり、怖い。理解できない存在と言うのは、怖い。
愛咲が再び私の浴衣を掴む。肉体が此処にあることを確かめるように。
職員室を出て、右に。今来た道のりを戻る。反対側の通路奥のトイレ、そして体育館からは多数の気配がする。あそこに行っては駄目だと、皆感じていた。トイレにも決して用は無い。あそこに行くのなら、皆、粗相をすることを選ぶだろう。
下りの階段が見える。あの部屋、靴がある場所まで数十メートルしかないのに、遥かに長い距離に感じた。
ゆっくりと階段を下りる。
体育館でボールが跳ねる音がし、皆の緊張が高まる。
「……こ、こっちから見ようかなー」
梶田くんがわざとらしい声で言うと、階段を下りた先から無数の気配がする。その言いようも無い不気味さに、産毛が立った。
「ヤバくね?」
「やばくても、行くしかない」
皆で覚悟を決めて、三叉路までたどり着く。
「……扉、閉めてないよな」
私たちが来た部屋は左の部屋。正面の部屋も右の部屋もそうだが、扉を閉めてなんていない。
その閉められた扉が月明かりを遮断し、この狭い通路は実に暗い。
「紗子の手の込んだ悪戯だったら?」
震えた声で佐々木君が言う。
先頭を進むのもあれだが、一番後ろも怖い。蠢く気配に振り返るかどうかの決断は、私と愛咲には下せないかもしれない。
「流石に笑えない」
その可能性を愛咲が一蹴した。まだ、怖くて逃げたと言われたほうが許容できるような気がするのは確かだった。
目的地の左の部屋に向かうと、正面の部屋の内側から、ノックをする音が聞こえる。
「なんだよ……」
梶田くんが身を強張らせる。
「見つけて欲しいんじゃない?」
扉を極力見ないようにして答える。どこか一点を凝視すると、何かと眼が合ってしまいそうだ。
「まあ、見つからないかくれんぼは面白くないしな」
子どもの頃の思い出を語る余裕は、皆ない。
「開けるぞ」
俊明がドアを開ける。
軋むような音が、やけに軽く響いた。
「さーて、どこにいるのかなぁー……」
そんな言葉をかける梶田くん。気が気ではないだろう。見つけたくないものを探すのだから。
しかし、その心配は杞憂だった。
いる。
隅に置かれた机の下。上下に重ねて置かれた椅子のバリケードの奥。彼らにはあるように見えるのか、窓際のカーテンがある場所。
彼らの記憶にある風景ではきちんと隠れているのだろうが、今は丸見えだ。
白い靄のような、そんなものが人の形を象って不自然にそこにある。顔には眼と口が窪んでいる様に見えて、その光の無い眼に睨まれたら立ちすくんでしまいそうだ。
愛咲が私を掴む力が強くなり、梶田くんは余りの衝撃に口をパクパクと開けたまま。
後ろの佐々木くんも、空気を呼んで気配を出来る限り消していた。
俊明が、瞳だけで合図を送り、部屋の中に進入する。
「紗子……」
俊明が呟く。グラウンドに出る扉のその手前で、紗子が倒れていた。
――クスクス、クスクス――。
彼らを見つけられない私たちをからかうような、小さな笑い声が満ちる。それだけで気が狂いそうだ。
「さ、さーて、探すぞー」
様子を見て来い、という梶田くんの合図に、佐々木君が動く。
紗子の元に駆けつけ、その様態を調べる。
「気絶してるだけだ。おぶるぞ、手伝え」
俊明が手伝い、佐々木くんが紗子をおぶる。
「雨深、早く」
私たちはその間、サンダルを履く。震えた足の指が、うまく入らない。
「お、おい!やばいぞ!」
梶田くんが声を上げる。見ると、他の部屋からも白い靄のような、いや、彼らが集まってきていた。かくれんぼをする気がないと見抜かれたのか、それとも見つからないから自ら出てきたのか。どちらでもいいが、見るからに良くない状況だった。
――先生、先生、どうしたの?遊ぼう。遊ぼう。
それは、皆が声を合わせているかのような不協和音。
「こ、この先生の体調が悪いみたいだから、お医者さんに見せに行かなくちゃ行けないんだよ」
佐々木君の震える声。
「じゃ、じゃあ、先生は急ぐから――」
有無を言わさず佐々木君は振り返る。
私が外へと繋がる扉に手をかけ、それを引く。
「――!?」
が、開かない。
「何やって――」
その声も途切れ、そして横には私を見上げるぽっかりと開いた瞳。
魂が吸い込まれそうな感覚。
「開けろ!」
俊明が私と変わるも、ドアはピクリとも動かない。
「なんでっ!」
その声に答える様に声がする。
――外は駄目。良い子は中に居なさいって、先生が言った。そう、先生が。だから中で遊ぶ。外は駄目。中で遊ぶ。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと――。
そうして、彼らは笑った。とても無邪気な笑顔で、それが心底恐ろしかった。
「く、来るなっ!」
そして、彼らは私たちに縋り付くように群がり始めた。それを避けることも、どうすることも適わない。
彼らに触れられるたび、意識が遠のいていくのが分かる。
「愛咲……」
彼女は、立ったまま気絶しているのか、眼を開けない。
佐々木君が倒れる音が聞こえた。俊明が最後まで抵抗する声がする。梶田君の姿は、もう真っ白で何も見えない。
何がいけなかったのだろう。最後にそう考える。
しかし、やはりここに立ち入ったことが、もう既にいけなかった。
人は、人の世の物とだけ、繋がっているべきなのだ。
ここは、私の、人の世界ではない。私たちは、そこに不用意に立ち入った。その報いなのかもしれない。
私の意識も、悲しいのか、怖いのか、よく分からないまま、途絶えた。