幽霊の、正体見たり枯れ尾花
あれ、もしかしてヤバイ?
そう感じ、思い切り良く後ろを振り返る。
「キャ!?何よ雨深、急にこっち向かないでよ」
そこには、愛咲が私の後ろをついてきていた。私は大袈裟に息を吐いた。
「驚いたのは私のほうだよ……。何か変なのに後付けられてると思った。今は一人だし、男でも幽霊も同じくらいやばいでしょ」
そういうと、愛咲は笑う。
「そうね。幽霊より、不審者のほうが現実的に怖いかもね」
「私たちはか弱い女子なんだしさ。こんな夜更けに、浴衣でいたら危ないじゃん?」
そう言葉にすると、愛咲は心底可笑しそうに笑って、私の隣に並ぶ。
「そうね。更に言えば私って可愛いし」
「うわ。自分で言う?」
「いや、どこからどうみても可愛いでしょ、私は」
「はいはい、そうですね」
「全く、私より心霊スポット優先なんて、あの三人も見る目無いね」
私たちは笑いながら、祭りの会場を後にした。二人で居れば、怖いものなど何も無いような、そんな気分だった。
林から出ると、早速その幼稚園が見える。
歩道に下りると、アスファルトの硬い感覚。
車道を超えたその先には白い柵があり、園児が外に出ないように配慮されている。柵の手前には堀があり、その手前は結構な傾斜がある。
しかし、柵は小学生なら越えられそうな高さ。中には砂場やシーソー、ジャングルジムなど、定番の遊具が佇んでいる。
「なんかあれだね、確かに不気味だけど、周囲に民家もあるんだ」
幼稚園だけみれば、確かに不気味なのだが。隣接しているというわけではないが、すぐ近くに家が複数ある。
「まあ、別に心霊スポットって訳でもないしね。だからさ、騒ぐと苦情とか来るのよ」
月明かりと、周囲の家からは光が漏れている。
周囲に人気があることを知ると、愛咲もどこか落ち着いた様子になる。更に言えば、遠いが祭りの光も微かに見える。
「さて、あの四人はどこへ行ったかな?」
道路上に、あの四人の姿は見えなかった。もう入口に向かったのだろうか。
幼稚園の入口は、旧道から少し横にそれた細道にある。神社までの緩やかな上り坂に沿い、その一番上に幼稚園はあるのだ。
細道はしかし、奥に進めば急な下り坂となっている。その地形を利用して、ロープウェイなどがあったようだ。が、流石にこれは危険だったのか撤去されている。
「しかし、夜の学校もそうだけど、幼稚園ってのも不気味ね」
園児の安全を見守れるよう、幼稚園は何かと外からも内からも見通しが良くなっている。そのおかげで、ガラスの向こう側が見えるのだ。何があるわけでもないが、それがまた恐怖を煽る。
今の幼稚園は不審者対策で砦のよう。時代の流れを感じる。
「流石に中には入れないはずだけどね。正面に回ってみようか」
坂を登り、正面入口に。
幼稚園の正面入口の反対側にはやや高い塀があり、リビングに人がいるのか灯りが漏れている。そのお陰で、恐怖心も薄れる。
しかし、ここにも四人は居らず。
「中に入ったとか?」
「ちょ、ちょっと雨深、大丈夫?」
正面入口は重厚な南京錠がかけれらている以外は、まあ変哲もない普通の扉だ。暗くて中はよくわからないが、多数の靴箱のようなものが見える。
「だいじょぶだいじょぶ。何もないって」
覗き込む私を心配するような言葉。無論、中に四人はいない。
「じゃあ、あの四人はどこに?」
「奥行ってみよっか。変なとこ壊してないといいけど……」」
特にガラスなんて割ったものなら、隣の家の住人に聞こえるだろう。そうなれば全力ダッシュ確定だ。
「うわ、この坂、怖っ」
細道の奥には木々が茂っていて、月明かりも通らず真っ暗闇。さらに急な坂道で、まるで地獄へと続くよう。まあ、それは言い過ぎで、下には水の貼ってある水田と、急カーブが待っている。自転車で下るときに、ここで水田に落ちたという人間が一年に一人はいる。
「お、こっちに行ったのかな?」
建物をたどっていくと、敷地内へと入れる畦道がある。
「全く……さっさと連れ戻して帰りましょ」
「ていうか、完全に不法侵入だし。これが若さって奴なのかな」
私が先を、愛咲が私のすぐ後ろをついてくる。愛咲はだいぶ不安そうだが、心霊スポットのような場所ではないと自分に言い聞かせ、精神を安定させているのだろう。
アスファルトから土の道へと変わる道は起伏が激しく、木々で光も届かないため、気をつけなければ転んでしまいそう。
建物自体坂の途中にあるため、正面玄関から入って、階段で下がった先に教室があるような、珍しい形をした幼稚園なのだ。
視界が開けると、遊具とグラウンドのその先に、神社がある森。左手には古びた小さめの倉庫があり、更に奥にはブランコ、鉄棒。右手には言わずもがな幼稚園の建物がある。
「いないね。帰ったのかな」
私が周囲を見渡しても、人の気配はない。
グラウンドを越えた先の森からはまだ光が溢れている。しかし、左手には木々が伸びていて、こちらは闇が深い。嫌な予感がして、そちらのほうをなるべく視界に入れないようにする。
「……そうね」
不安になったのか、愛咲が私の浴衣を握る。
「可愛いとこあるじゃん」
なんとなく、強がりのような、何かを誤魔化すような言葉。
「私はいつだって可愛いのよ」
愛咲も同じだろう。強張った笑顔がそれを証明していた。
歩みを進める。グラウンドは数十年放置されたとは思えないほど綺麗に整っている。雑草は伸びてこそ居るが、足首を超える高さには無い。遊具も同じだ、多少の錆こそあれ、荒れ果てている、と言うほどのものはない。
「ちょっと、おかしくない?ここ、廃園になってるのよね?」
「うん、そのはずだけど……」
辺りを見渡す。グラウンドには三つの部屋が接している。ここから園児は遊びに出るのだろう。
「しかしあいつら――」
そういって、建物の中をふと除いて、動きが止まる。
「な――」
愛咲もそちらのほうを向いて、小さく息を呑んだ。
建物の中。ガラスにへばりついたようにこちらを見ている、四人の男女。
それはまるで、ここから出してくれと救いを請うような勢いで壁に顔を押し付けている。
映画のような叫び声を上げることは、現実には無いのだと知った。その前に、此処からの離脱を、見てはいけないものを視界に入れないための努力を脳は試みる。
しかし、それは一瞬のことで。
「アハハハハハハ!」
我慢しきれず笑う俊明の声で、皆小さく笑い出す。
そこで、私と愛咲の脳は、恐慌状態から一瞬にして現実に戻ってくるのだ。
ガラスに張り付いて変形していた顔は、元に戻れば探していた四人だった。
「もう、何やってんのよ」
流れる冷や汗を隠し、私は安堵の声を漏らす。
「ごめんごめん。後から二人が来るのが見えたからさ。少し脅かしてやろうと思って」
外への扉を開けて、梶田君が謝罪する。
「趣味ワル」
愛咲は完全に拗ねてしまっている。
「そこ、開いてたの?」
「ああ、一つだけ開いてた。業者が閉め忘れたのかな」
「業者って、何の業者よ」
不思議そうに愛咲が尋ねる。
「言ってなかったっけ?ここ、誰かが管理してるんだよ、ここ。草刈もそうだし、建物の中も綺麗だぜ」
建物の内部は、確かに廃墟と言うには整然としていた。
机や椅子などの物品も何故かそのままで、生々しい跡がそこかしこに残っている。
「まあいいわ。さっさと出なさい。帰るわよ」
愛咲がぶっきらぼうに言い放つ。
「ええー、折角中にまで入れるんだし、少し肝試しでもしていこうよ」
しかし、紗子がそう答える。べったり俊明に身体を寄せている。
「ふざけた事言ってんじゃないの。不法侵入よ?」
更に強い語調で返す。
「大丈夫だって。広い建物じゃないし、ちらっと回ったら帰るって」
佐々木君が、喧嘩になりそうな態度の二人を宥めるかのように言う。
「そうそう。二十分もかからないし。どうせ何もでないからさ。廃墟探索だと思って」
携帯電話のライトが光る。
「……本当に回ったら帰る?」
「雨深!」
私の言葉に、愛咲が反応する。
「帰る帰る。祭りだけだとなんだしさ。これも思い出作りだって」
折角近くまで来たのだから。そんな考え方はわからないわけではないのだが。
「何言ってんの雨深!」
「いや、ごめん。なんていうか、こういう危ないの放っておけないんだよね。愛咲は帰ったほうがいいよ。ここの道路まっすぐ行けば国道だし、タクシーも居るから」
後味が悪い、というのだろうか。なんというか、見捨てた気分になる。集団から離れることを嫌う情操教育の賜物とでも言い換えれば格好はつくが。
「全くもう……。さっさと終わらせるわよ!」
そういうと、愛咲も渋々、建物の中に入ってくる。
「そうこなくっちゃ!あ、土足はやばそうだし、サンダルは脱いでね。大丈夫、床は痛んでないし、埃っぽくもないから」
「……いいの?」
私が尋ねると、愛咲は渋々、という表情を作った。
「別に、心霊スポットな訳じゃないんでしょ?じゃあ、さっさと済ませて帰りましょ。私も後で変な噂を立てられるのは嫌だし」
喜ぶ男子陣と、微妙な反応を返す紗子に一抹の不安を抱きながら、私たちは廃園になった幼稚園の中を進む。
「一応扉は閉めておいてね。祭りの帰りの人が来るかもしれないし」
「ガラス越しに見られたらどうするのよ?」
「直ぐ隠れれば幽霊に見えるじゃん?」
そういって笑い話に、まだできる。
「もしかしたら、幽霊話の原因ってこれだったりしてね」
幽霊の正体見たり枯れ尾花というやつかもしれない。私たち以外にもここを訪れた人間がいるのだろうか。そう思いながらサンダルを脱ぐ。