一筋の銃弾
それは冷たい水だった。ゴミも漂っているには漂っているが、先が見えるぐらいには透明だ。
周りには幾つもの気泡。
凄まじく運が良いことに、俺たちは水の中に落下したようだった。水面に触れる瞬間は顔をしかめるほどに痛かったが、命を救われたのだ、水に文句を言うわけにはいかないだろう。
むしろ水には感謝すべきだ。
だが――安心するのはまだ早かった。
次なる試練。
一難去ってまた一難、俺たちに近づいてくる影があった。その数は2体ほど。ワニのような形をしている。
口は、人を一飲みにできるぐらいには大きい。歯茎には鋭利な歯がびっしりと並んでいた。それは、凶暴さをありありと醸し出している。噛まれでもしたらひとたまりもないだろう。即死か激痛だ。
そんな奴がライフル弾の如く突っ込んでくる。
胴体にはびっしりと黒い鱗が付いていた。生半可な攻撃は、とても効きそうにない。
それにここは水中。パンチなんかしたあかつきには、自分の腕が痛くなってしまうことだろう。近距離から放たれる銃弾も、同じようなものだ。水の抵抗によって著しく威力が低下して、鱗に阻まれてしまうことだろう。
俺はひたと向かってくる怪物を見据えた。
近距離からの銃弾が効かなければ、零距離から銃弾を叩き込んでやればいい、そう心の内で思いながら。
ワ二型の怪物を睨めつける。
(さよならだ)
俺は格好良くつぶやいて、右手でレッドファイアをドローした。左手でも、格好良くリュティノスFEをドローしようとしたのだが――
(ちょ、おまえ!)
左手には、ぎゅっと少女がしがみついていた。おかげ腕が重くなり、リュティノスFEをドローすることができない。ここは水中だから、口頭で「放してくれ!」と言うこともできない。言おうとしたところで、自分の喉に水が入り込んでくるのが関の山である。だからと言って、暴力的手段で引き剥がそうとすることもできない。いや、できるにはできるのだが、俺がそんなことしたくない。やった瞬間に、自分が自分のことを嫌いになる。
「ちっ」
ワニ型の怪物に首筋を噛まれる寸前、頭の中で思考しながらも、俺はレッドファイアのトリガーを絞った。ワニ型の怪物に、銃口を密着させての発砲だった。
零距離射撃は無事に成功した。
ワニ型の怪物は大量の気泡を吐き、目の前で、血を引きながら湖の底に落ちていく。
その末路を見届けることない。無視して、俺は眼前に目を据える。
目と鼻の先に怪物。
圧倒的至近距離。
だが、大丈夫だ、まだ間に合う。
本当はリュティノスFEで焦ることなく仕留めたかったのだが、少女が腕を掴んでいるために、リュティノスFEは引き抜けない。だから仕方ないけれど、レッドファイアで仕留めよう。
当初は2丁使わないと間に合わないと思っていたが、予想に反して怪物が時間差で来てくれたため、間一髪で間に合いそうだ。
ラッキーとしかいいようがない。
怪物の額に標準を定め、俺はそのままトリガーを引こうとしたのだが、
(え……)
俺がトリガーを引く寸前、唐突に、ワニ型の怪物が息絶えた。その証拠に、レッドファイアからは一発の薬莢も出されていない。俺の腕には振動だって伝わってこなかった。
謎の死を遂げた怪物は、先にやられた仲間を追うように、湖の底に沈んでいく。その身体からは、一滴の血も流れていない。それどころか、肉体自体が破壊されていないようだった。
心臓発作でも起こしたのか?
考えてよくわかりそうになかったので、とりあえず、俺は水中から浮上することにした。すでに水中には30秒ほどいるので、そろそろ我慢の限界だった。左腕の方を見ると、少女だって死にそうな顔をしていたし。
俺は水中を必死に掻いて、1秒でも早く水面を目指した。
「ぷはぁ!」
ようやく水面から顔を出す。
肺にはほとんど空気が残っていなかったので、深呼吸をするように肺へ空気を送り込む。すぅーはー、すぅーはー。いつも何気なく吸っている空気だが、今回の空気は特別においしかった。
今の俺に取っては、最高級の料理以上だ。
しばらく経って空気の補充が完了すると、現状を確かめるため、俺は辺りを見回した。
まずは一番重要な頭上。
見てみると、地面が瓦解したことにより、今や吹き抜けのようになっている。さっきまで俺達がいた場所からここまでの距離は、目測りで200メートルほどありそうだ。跳躍なりジャンプして、人間が届けるような距離ではない。付近には梯子のようなものだってないし、残念だが、すぐに地上へ出ることは無理だろう。
他の場所を探すしかない。
と思った俺は、今度は、周囲に首を巡らせてみた。
洞窟があった。
驚くべきことに、俺たちが入ってきた洞窟は、地下にも洞窟を備えているようだった。しかも1つではない。
1、2、3……湖を囲うようにある洞窟は、ざっと7つの数がある。
少女の魔封石はまだ輝いていたが、その洞窟の先はよく見えなかった。
まあ、どこに進むかは後々考えよう。
俺は問題の先送りをして、ぷかぷかと浮かぶ少女に、「とりあえず、この湖の中から出ようぜ」と、言った。
それに少女は頷いた。
俺たちはバタ足をして泳ぎ、一緒に湖から脱出した。
服はずぶ濡れになって重くなっていた。ベトベトと肌に張り付いていて、今すぐ脱ぎたくなるぐらいに気持ち悪い。そう、今すぐに脱ぎたかったのだが、女の子がいるのでやめておく。
男だけなら脱いでもよかったのだが……、女の子がいる前では、マナー違反というものだろう。
(うお……)
俺は思わず仰け反った。
俺と同じく少女の身体も濡れそぼっていたのだが……なんというか、その姿が目に毒なほど扇情的だったのだ。
濡れて肌に張り付いた髪。
服は濡れたことによって透けており、上の下着が薄く見えていた。清楚な白だった。綺麗なレースもあしらってあった。悔しいことに……じゃなくて、幸い下の方は見えなかったが……。
俺は気まずくなって視線を逸らす。その視線の先には、1個の岩が鎮座していた。ぐにゃぐにゃと曲がったりして、斬新奇抜な岩だった。不可思議なオーラも放っている。鉱物マニアにでも売りつければ、高く買い取ってもらえそうだ。
その岩を見つめながら、俺は少女に向かって言った。
「さっきのはおまえがやったんだろ?」
「……さっきの?」
「ああ、さっきのだよ」
俺は確信しているのだ。
さっきのワニ型の怪物を倒したのが、少女であることに。やったのが、彼女以外には考えられないのだ。
さっきの俺は、「心臓発作でも起こしたのか?」などと読んでしまったが、どう考えても違うだろう。なんせ、心臓発作はそう簡単には起こらないものなのだ。それがあんなタイミングで起こるとは、少々考えずらかった。それに、あのワニ型の怪物はそこまで老いているようにも見えなかった。
若者……行っていてもおじさんぐらいに見えた。心臓発作を起こすには、まだ早すぎる年というものだ。
という理由から、さきほどの現象は少女が起こしたものだと俺は思っている。どんなことをしたのかはまだわからないが、なにか、ネタがあったりするのだろう。たとえば、極小の銃を急所に向かって撃ったとか……、透明な糸を使っただとか……。
だが俺のそんな予想は、呆気なく裏切られることとなる。
少女が、「さっき使ったのは魔法……」と言ったからだ。
気付くと俺は、「は……?」というような声を漏らしていた。当たり前だ。
だって、魔法だぞ魔法。
ありえないだろう。
俺はある程度のオカルトは信じているが、冗談抜きで、魔法だけは信じていない。なにもない空間から炎を出すとか、氷を出すとか、非現実的にもほどがある。岩も出すとか、風を出すとか、雷を生み出すなども同様だ。全てありえない。刀で銃弾を切る、拳で銃弾を弾く、20メートルの距離を跳躍する、それらのほうがまだ現実味があるというものだ。――とにかく、魔法なんてものは存在しないのだ。物理法則を無視してしまう力なんて、邪道も程ほどにしろと言いたいぐらいだ。
言いたいぐらいなのだが、目の前の少女の表情は切実。どうにも、嘘を言っているようには見えなかった。
少女は言葉を紡ぐ。
「ちなみにさっきわたしが使った魔法は、第11級即死魔法の〈デス・ポイント〉。詠唱に時間が掛かってしまうのが難点だけれど、あまり大きくない生物なら、一撃で仕留めることができる。けっこう便利な魔法」
「な、なるほど……」
俺の思考など露知らずに喋りまくる少女に対して、俺は相槌を打っておいた。といっても、まだ俺は魔法を信じているわけではない。この件はとりあえず、ここで保留にしておこうと思ったのだ。
早く、この洞窟からだって脱出したいし。それに、もし少女が魔法を使えるのならば、また使うときが来るだろう。そのときに、真偽を確かめればいいと思ったのだ。
目下、一通り喋り終わっていた少女。だが更に喋り続けようとしていたので、俺はそれを遮って言った。
憮然としている少女に対して、
「まあ、それよりも、今からどの洞窟に入るか決めようぜ」
「洞窟?」
言って、少女は不思議そうに小首を傾げた。考えられないことに、少女は、ここに幾つもの洞窟があることを知らなかったようである。魔法の解説なんかしていないで、もっと辺りに気を配って欲しい。
俺が心より願っていると、少女は視線を巡らせ始めた。右へ、左へ……身体を動かして、更に右へ、左へ。
全ての洞窟を確認し終えると、
「……洞窟は、8つある」
「え?」
予想外の言葉を聞かされて、俺は情けないような声を出してしまう。
洞窟は7つしかないと思っていたのに、実は8つあった。それつまり、俺が間違っていたということだ。そう認識した瞬間、急に恥ずかしさだって込み上げてきた。
偉そうに、「もっと辺りに気を配って欲しい」などとほざいていた自分が、思い出されてきたのだ。
穴があったら入りたい。
でも――待てよ。
可能性としては低いかもしれないが、少女が、数え間違えた可能性もあるのではないか? 誰にも、ないとは言いきれないだろう。
一縷の望みを胸に秘め、俺は洞窟を再度数え直してみたのだが……
(だよな……)
慈悲なき事に、洞窟はしっかりと8つ存在した。7つではなかった。
俺は悄然としながら、
「で、結局、どの洞窟に入ることにする?」
「……どこでもいい」と少女。
「どこでもいい、か……」
そう言われても困ってしまう。
前々からなのだが、俺は判断力の無さで定評がある。ゲームショップに行ったりしたら、余裕で、1時間は悶々と悩んでしまう。大型の書店に行った場合は、もっとひどい。店内中をうろついて、2時間ぐらいは悩んでいる。きっと監視カメラには、俺が怪しげな人として映っていることだろう。
8つある洞窟の中から1つ選べ、そんなこと、今の俺にできるわけがなかった。ゆえに、この役割は、適任かどうかは知らないが、少女にやってもらう事にしよう。
俺は勝手に結論付けて、懇願するような口調で言った。
「どこでもいいと言っても、どこにすれば良いのか、俺にはさっぱりわからない。なので、頼む、ここはお前が決めてくれ」
俺の懇願を聞いた少女は、
「じゃあ、そこの洞窟……」
一番近くにある洞窟を、細くて白い指で示してみせた。