ゾンビ
ドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタ――
まるで大人数で押し掛けるような、そんな重厚な足音が聞こえてきた。洞窟の入り口の方からだった。
音は、洞窟中に反響している。
その音にビックリしてしまったのだろうか、コウモリがキィキィと鳴き始める。不快な鳴き声だ。
うるさいし、できるならば今すぐやめて欲しい。
隣に立つ少女は深刻そうな顔していた。
その顔のまま、洞窟に入るときみたいに俺の服を掴み――
「……まずいことになった」
「ん?」
俺は少女の方を見る。
もしかしてさっきのドタドタという音が、なにかまずかったりするのだろうか? 少女の追っ手とか……。
「いいから、はやく逃げる……!!」
「お、おう」
俺は言いながら頷く。
そんな俺の服を掴みながら、少女は物言わず走り出す。つられて俺も一緒に走り出す。
後ろからはドタドタという音。
ひっきりなしに続いていて、俺達の方へ近づいてきているようである。足元からは、しっかりとした振動が伝わってくる。足元が覚束なくなるほどではないが、感じ取れるほどでではある。
追っ手の数は中々に多いようだった。
頭上で飛ぶコウモリ共は、まだ飽きることなく鳴いている。その鳴き声も、段々と大きくなっているようだった。
(頼むからフンだけは落とさないでくれよ……)
鳴き止めと念じることは諦めて、俺はそれだけを、テレパシーでも送るようにコウモリに念じる。
肝心のコウモリたちに伝わっているかは、甚だ疑問ではあるが。
一心に走り続ける少女は、気付いているのかいないのか、まだ俺の服の袖を掴んでいた。シワができてしまうほどにキツク。
服なんて掴まない方が、よっぽど早く走れると思うのに。それは俺も同様で、少女にも当てはまることだろう。
少女は俺の服を掴んでいるがために、俺を引っ張るような格好になっている。明らかに、離した方が速く走れるはずである。
一方服を掴まれている俺は、こう言っては難なのだが、服を掴まれない方が速く走れる。服を掴まれていれば、少女のペースに合わせなければいけないのだが、服を離してくれれば、自分のペースで走れるからだ。
(あ……)
なんとなく考えていたら、俺は発想の才能があるのだろうか、良い方法が閃いた。
それは――
「いくぞ!」
自分からから前へ進み出て、少女を引っ張っていく方法である。これなら、俺が少女の歩みに合わせる必要もない。
むしろ自分より遅い少女を、自分から引っ張っていくことができる。まさに一石二鳥。最高の方法だった。
俺は、こんなすごい方法を考えた自分を誇りに思う。
少女は、「ええ!?」という困惑の声を上げていたが、気に留める必要もないと思ったので、これを無視。
俺は「もっとスピード上げるぜ!」とか叫びながら、とにかく前へ進もうと、走る、走る。ひたすらに走る。
すると道が右へ折れていた。
他に進める道もなかったので、素直に右へ進路変更。
無骨な岩肌に、ゴツゴツとした道。
右へ曲がったものの、その外見は、真っ直ぐ続いていた道と変わっていなかった。
絶え間なく続いている足音は、ちょっとだけ遠のいてきた気がする。
俺が少女と引っ張る役を変わって、追っ手と差を付けてしまったからだろう。このまま行けば、追っ手からもうまく逃げられそうだ。
内心でガッツポーズを作る。
頭上で響くキィキィという鳴き声は、鳴り止むことなく続いていたが……。もういい加減にやめて欲しい。俺の堪忍袋の尾も切れそうだ。
もし銃弾の弾が無限にあったら、撃ち落してしまいたいぐらいである。俺の手腕ならば、一匹も残らず撃ち落すことができるだろう。文字通りの全滅だ。
ということを黙考していたら、ある事柄にはたと気づいた。
それは重大な事柄。
今まで気づけなかったのが恐ろしくなるくらいに、重大すぎる事柄である。
俺はいつもの声で、
「そういえば、今おまえは追っ手から逃げているんだろうが、その追っ手っていうのは一体なんなんだ? 人か、獣か、魔物か?」
「ゾンビ……」
「ゾンビ?」
ゾンビ、それは聞いたことのない名だった。図鑑ですら見たことがない。きっと、俺の時代にはいなかったものなのだろう。2031年~2080年のどこかで生まれた何か。
『ゾンビ』という名自体からは良くない印象を受けるが、さて、真相はどうなのだろうか。その答えを期待するかのように、俺は少女の顔をチラッとみた。
少女はそれに応えてくれようしてくれたようで、事実、唇が動いていた。
だが――
その口から、言葉が出ることはなかった。
突然、地面が、爆発したように崩れ始めたからである。本当に突然だった。
前兆なんてものはちっともなかった。
俺がカーブしようとした次の瞬間、何の前触れもなく、地面はガタガタという音と共に瓦解した。
俺と少女は、重力に逆らえずに落下した。周りにある石、小さな岩も、一緒になって落下した。
臓腑が浮き出るような感覚と共に、俺は空気の抵抗を感じていた。決して風が吹いているわけではないのに、後ろから風が吹いている気がする。
地面はどんどん遠ざかっていく。
(これはまずい……)
心の中で数えているわけでもないが、体感的には、落下が始まってから8秒ぐらいは経っている。
8秒で、人がどれほどの距離を落下するかは知らないが、間違いなく、即死に値する距離にはなっているだろう。地面と落ちた瞬間が最後、俺は途轍もない衝撃によって、骨が折れたり内臓が飛び出したりする。頭だって破裂するかもしれない。血管はズダズタ。さっきは即死に値する距離だと言ったが、もし即死じゃなかったら……?
考えるだけでもゾッとする。身も凍る。
って、
俺はアホか……。
アホ極まりない。
落下したという事実に取り乱してしまい、ガラにもなく、死ぬ前提の考えをしてしまった。どうすれば楽に逝けるのか、そんなことも考えていた。生きることに諦観の念を抱いていた。
本当にアホだ。
だって俺はまだ死にたくないのだ。なんとしてでも生きたい。しかも、今は少女だって近くにいるのだ。彼女も、絶対に死なせたくはない。まだ、数時間も話していないような仲だが、どうしてだろう、情が湧いていた。
それにこの少女は、他に類を見ないほどに可愛い。こんなところで死なせては、勿体ないにもほどがある。
俺のためにも、この少女には生きてもらわないと。
そのためには、なにをどうすればいい……?
生きるためにはどうすれば。
この状況を一撃で玉砕するような、そんな最高の策を考えろ。なんでもいい。プライドをかなぐり捨てたような策だろうと、自分が赤っ恥をかくような策だろうと、自分の装備品全てを失うような策、この際だ、どれだろうと構わない。
考えろ。
思いつけ、閃け。
自分言い聞かせたそのときだ。
身体全体が冷たいものに包まれて、ひりひりするような刺激が襲ってきたのは。