スポンジって一体どんな味?
夜。
外は黒いペンキで塗りたくったように暗くなっている。
俺と少女は、ある古びたビルの一室にいた。床は若干斜めっている。物体を置けば、徐々に滑っていってしまうほどだ。
周りを囲うようにある壁は、ボロくて黒い。無骨な、鉄筋とコンクリートが無様にもむき出しになっている。
室内は元々暗かったが、少女の使っている魔封石により明るくなっている。
ホコリが宙に浮いていた。
廃墟となった町を歩いている最中、昼も明け暗くなってきたので、今日俺たちはこの一室で夜を明かすことになったのだ。
少女の提案だった。
俺も、野宿よりもは室内で寝る方が断然いいので、もろ手を挙げて即座に賛成していた。ただこの空間は、空気が鬱陶しくなるほど非常に汚い。
おかげ目が痒くなったり、鼻がむずむずしたりする……。俺、ハウスアレルギー持ちだからさ。
治せるなら治したい。
切実に思っていると、
ガサゴソガサゴソガサゴソ。
一言も喋らずに少女が、自分のポーチの中を探り始めた。探し物か? 思いながら俺がその光景をなんともなしに見つめていると、探し物が見つかったのだろう、少女がある物を取り出した。
見た事も触ったこともない缶詰だった。
ラベルには魚の絵が描かれている。そのラベルの上には、掠れた文字で表記があった。解読は不能。
缶詰めの大きさは野球ボールぐらいだろうか?
よくある缶詰と、そこまで大きさは変わらない。
少女はそれを開けようとする。
と同時に、
「ちょ、ちょっとまった」
俺は声を挟んだ。
「……なに?」
少女は不思議そうに首を傾げる。
「お、俺の分はないのか?」
恐らくあの缶詰は、夕食だったりするのだろう。この世界は混沌としているから、普通の料理は残念ながら作れない。
そして、俺は悲しいことに缶詰さえも持っていない。当たり前だ。1秒の準備期間さえ与えられずに、この世界に飛ばされてきたのだから。普段から身に付けているものしか、この世界に持ってこれていない。
今になって悔やむが、普段から、缶詰を持ち歩く癖は俺にはなかった。非常食だって、むろんのことながら持ち歩いていない。
ゆえに、俺は食料というものを1つも持っていなかった。銃の弾丸や、ナイフを食べるわけにもいかないし……。
等々の理由から、俺は少女に乞食をしてみたのだが、
「……なんで?」
と少女の反応は冷たいものだった。
だが――、うん、まだ希望が潰えたわけではない。
少女は「なんで?」と理由を聞いてきただけであり、「ダメ」と断定しているわけではないのだ。
まだ希望はある。
俺は自分を奮い起こしながら、さきほど考えていたことを少女に言った。
10分間ぐらい時間を掛けて、説得力を持たせるように。じっくりと、じっくりと……。
それを聞いた少女は、
「……じゃあ、良いものをあげる」
と、シニカルな笑み、意地悪そうな笑み、悪いことを企んでいるような笑み、それらが混ざったような表情を浮かべた。
俺は良くない予感を感じ取った。が、背に腹は変えられない、「くれ」と率直に言った。
「……わかった。じゃあ、あげる。――でもちょっと準備するから、わたしから少し離れてて」
「おっけ」
少女はなにをするんだろうと怪訝に思いながらも、俺は素直に少女から距離を取った。後ろに大またで3歩ぐらい。
元は2メートルほどあった距離が、一気に5メートルぐらいまで広がる。
少女は、その細腕を前に突き出した。続いて、ゆっくりと瞼も下ろされていく。
ん……
この構えには、すごくすごく見覚えがあった。
(少女が魔法を使うときにするかまえではなかったか!?)
間違いない。
(でもいきなり魔法なんて使ってどうするんだ?)
まさか……
俺はイヤでも思い当たってしまう。
魔法で、食料を作りだそうとしているわけではないだろうな……? もしそうなら、ちょっと、いや逃げ出したいぐらいにはイヤなんだが……。
だって――魔法で作った食料ってなんだよ!? 元はなに!? 未知の物質!? それ毒ない!? 食べて大丈夫なの!? ってな感じになるだろ……。
はっきり言って、魔法で作られた食料なんて口にしたくねぇよ。
と心の内で毒づいていたら、少女の口からは不思議な言葉が紡がれた。
にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく にく
……なにこれ洗脳?
俺は本気でそう思った。
それに、
なんで俺の傷を癒してくれたときの言葉は格好良かったのに、今度の言葉は、『にく にく にく――以下略』なんだよ。
ださすぎだろ!
とも思った。
ドスン、という重厚な音が響いたのはそのときだ。
まるで空から、コンテナのような大きな物が落ちてきたかのよう音。
見てみると、あら不思議、さっきまで何も無かった場所に、大きな肉の塊が鎮座していた。
……え?
俺は目を疑った。
予想外にも、少女の魔法で召還された食料が、なんだかおいしそうだったからだ。
ダンボールぐらいの大きさの大きな肉。
表面は綺麗にこんがりと焼けていて、網で焼いた時にできる網目も出来ている。うまそう……。
立ち上る湯気は更に俺の食欲をそそってくれる。
じゅるり。
「お、おまえ、これ、本当にいいのか……?」
抑えがたい食欲を必死に抑えながら、俺は少女に聞いてみた。
「……うん」
少女はこちらを見ながら頷いた。
つまりそれは――
食べて良いということだ!
思ったが吉日、俺は猛然とダッシュ。
こんがりとやけた肉の前に着くなり、がぶりと獣の如く噛みついた。
途端に広がる肉の味。
肉はジューシーでありながら柔らかく、堪らない肉汁が口いっぱいに広がった。芳醇の香りも鼻腔を突き抜けて、うまい。うますぎる! こんなにおいしい物がこの世にあったのか!
うまさのあまり、俺はほろりと涙した。
――なんてことはなかった。
実際の肉の味は、その真逆さえも超越したかのような真逆。
誇張とか一切なしに食べた肉は、マズすぎた。噛めば、まるでスポンジでも噛んでいるかのような感触が返ってくる。口の中に広がる味はゲ○。この世では考えられないほどのまずさ。
俺は気持ち悪さに耐え切れず吐きそうになったが、踏ん張って耐えて飲み下した。さすがに女の子のいる前では、嘔吐してはいけないと思ったのだ。もしすれば、自分がキライになる。一生残る、トラウマにもなったりするだろう。
俺は憤懣やるかたない思いで、
「おま、よくも俺にこんなまずい物食わせてくれたな!」
少女に文句を言ってやった。
口の中ではまだあのバカマズイ肉の味が残っている。水ですすぎたいぐらいだが、ここは荒廃した世界、水道なんてどこにも見つからなかった。
ちっ。
俺は舌打ち。
少女はパチン、と指パッチンで大きな肉を消してから、
「……だって貴殿が、あまりにも乞食の目をしてたから」
「だからってな……」
と俺は続けて文句の一つや二つ言ってやろうと思ったのだが、再考してやめた。少女だって、俺のためを思って魔法を使ってくれたのである。(多分……)それなのに文句を付けるのは、鬼畜野朗というものだろう、と思ったからだ。
ちょびっとだけ反省。
少女は、そんな俺を見つめながら、
「……しょうがない。このまま貴殿に恨まれるのもイヤだから、ちょっとだけ、わたしの缶詰を分けてあげる」
「え、ほんと?」
意外な少女の優しさに触れて俺は驚きを隠せない。
「……わたしは嘘をつかない」
そう言って少女は、缶詰のプルたぶに手を掛けた。そのまま引く。しかし開かない。何度も挑戦していたが開く気配は微塵もない。
本当に非力な女の子である。
しょうがないので、
「開かないなら、俺が開けてやるよ」と俺は言った。
だが少女は、
「……もうちょっとやらせて」
と、缶詰を譲るつもりはないようだった。どうも、何としてでも、缶詰との戦いに勝ちたいようだ。まあその気持ちわからなくもない。俺も缶詰が開かなかったり、瓶が開かなかったり、ペットボトルが開かなかったりしたときは、自分で開けたくなってしまう性だ。なんででかというと、少女はどうかわからないが、俺の場合は、開けた奴に、良い顔をされたくないからだ。
大体の奴は他人が開けられなかった蓋を自分が開けると、どやぁ、みたいな顔をするからな。
どうにもあの表情はイラッとする。特に男がやると。
などと黙考している間にも、少女は缶詰と奮闘している。
がんばれ~、と俺は心の内で応援していたのだが、
「もうむり……」
少女は万策尽きたようであり、へな~、とまるで萎れたナスのようになってしまった。
「大丈夫か……?」
俺は心配になって声を掛ける。
「だいじょうぶじゃない……。だから代わりに、これを」
心底疲れきった様子の少女。その手には1つの缶詰。俺の前に、まるで意志を継がせるかのように差し出してきている。
俺は、優しく両手包み込むかのようにそれを受け取った。
少女を破った缶詰。
なんとしてでも開けてやる。
(仇はなんとしてでも討つぞ……!!)
俺は自分を叱咤激励するように胸の内で叫び、ゆっくりと、金属質のプルタブに手を掛けた。
そして――力強く引っ張る。
と――
スポン。
快音を部屋中に響かせて、蓋は、いとも容易くまるで赤子の手を捻るかのように開いた。
……あ?