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小さな旋風


 獣の瞳が、すっと細められる。


 思わず息を呑む。

 いつになく緊張を感じる。


 張り詰めた空気が二人の間に流れるのを、鶯の飛び立つ羽音が破った。

「……どうした、朔夜」

 我に返って問いかけた高時を、それでも真っ直ぐに見据えたままで朔夜が告げた。

「高時……。俺は今日を限りでお前のところを離れる」

「……なに?」

 何を言い出したのか見当が付かなくて、首を傾げて訝しげに朔夜を見下ろした。

 そんな高時の表情をじっと見つめて、再度言い含めるようにゆっくりと告げた。


「これから俺はお前の元を離れる。今まで世話になった」


「なっ……!」

 目を剥いて絶句する高時に変わって友三郎が悲鳴に近い声で叫びながら草履のまま縁に駆け上がり朔夜に取りすがった。

「朔夜! 何を言っているんだよ? 意味が分からない! 離れるって何!? 何を言っているの?」

「済まない、友。高時も力をつけた。京での地盤も落ち着いた。そろそろ俺の種としての役割は終わりだ。ここで、別れだ」

「嫌だ、いやだ、いやだ! 種って何なんだよ! 別れなんて言うなっ!」


 涙ながらに取りすがる友三郎の手を上からそっと押さえる。

 瞳が、済まないと詫びている。友三郎はがえんぜない子供のように首を横に振り続けている。

 その様を呆然として見ている高時にもう一度顔を向けると、静かに瞳を伏せた。

「別れは喜島城に行く時に済ましている。……それでは、これにて」


 深々と頭を下げて平伏する。

 ここまで朔夜が深く頭を下げるのを見たことは今までなかった。


「そ……」


 そんな馬鹿な、と言いたいのに何一つ言葉を紡ぎ出せない。ただ見開いたまなこでまだ頭を下げ続ける朔夜を見つめるしか出来なかった。


 ぬるま湯のような暖かさの庭に、小さな旋風つむじかぜが起きる。


 ゆるりと顔を上げた朔夜は、言葉を失って立ちつくす高時に一瞬瞳を揺らしたが、取りすがって啜り上げている友三郎の手をそっと剥がすと、音を立てぬように静かに立ち上がる。

 力が抜けてしまったのか膝を着いたまま涙を流して見上げてくる友三郎に向けて、柔らかな笑みを落とし、僅かに苦しげに眉を寄せたあと、きびすを返して背を向けて歩き始めた。


「……っ、待て! 朔夜!」


 呼び止めたが、いつもの大音声は出ずに声は喉の奥に引っかかり震えた。その声に振り返らずに、その背は邸の奥へと消えて行ってしまった。


 何が起きたのか、理解することを頭が、体が、心が拒否している。

 全身が震える。暑い程の陽射しが降り注ぐのに寒くて震える。


 周囲から全ての色が失われ、闇の中に放り込まれた。

 今、そこに朔夜が座っていなかっただろうか。

 俺に何を告げた?

 俺のもとを離れる?

 どういう意味だ?

 別れ? それは何だ?


 鼓動が早鐘を打つ。いや、止まりそうなのだろうか。

 息が出来ない。

 ここはどこだ?


 ぐらり、と目眩めまいがしてその場に膝をついた。

 慌てて友三郎が駆けつけるが、その手にも力はなく、顔には拭いもしない涙が流れている。

「たか……とき……さま」

 切れ切れに聞こえる友三郎の声が意識を引き戻す。


 陽射しに透ける茶色がかった柔らかな髪と、色素の薄い瞳が柔らかく俺を見つめていたのはいつだったか。

 あれは丹羽小次郎の件の報告を受けた日のことか。

 ここが好きだと告げた時、確かに朔夜はその言葉を理解して受け取ってくれた。


 一緒に生きて欲しいと願った。どこまでも強い魂で導いてくれると信じていた。


 いつからだ。いつから心が読めなくなってしまっていたのだ。

 朔夜はいつも俺の考えを理解してくれていたはずだ。なぜ朔夜は俺の気持ちを汲めなくなっていったのだ。

 それとも……。


 ――俺の方なのか?


 俺が朔夜を深く理解しようとしなかったのか? 


「……誰か……。誰か……」

 これが夢ならば、誰か俺を目覚めさせてくれ! 誰でもいい。早く、早く!

 震えるばかりで声は掠れる。

 誰か、誰かいないのか!

 意味の分からないこの夢を目覚めさせる者はいないのか!


 あの強い光を放つ瞳を、あの存在を。

「……手放せと?」


 愕然として、友三郎と抱き合うようにただその場に縫い止められていた。


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