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ひとときの眠り

 朝靄の中に二人の姿がある。

 少し離れた森の中に馬は繋いできたから、二人は徒歩で山を登っていた。

 下草が深くて足元はすっかり濡れそぼっているが目立つ道を歩くわけにはいかない。靄の中、木々をかき分けて上を目指す。


「思ったより早く着いちまったな。偵察し終えたら夜まで結構待つな。どうする?」

「どこかで一眠りしないと。夜通し馬の上だったからな」

「朔夜、薬は飲んだか?」

「いや、限りがあるから、夜になってから飲む」

「無理すんなよ」

 本当はすごく心配しているのだろうが、志岐は軽く言う。

 それでもさりげなく朔夜の前を歩いて下草を踏み倒して歩きやすくしてくれる。朔夜も気が付いているが改めて礼などは言わない。下草を踏みしめ飛び出た枝を落としながら、志岐は何気なく尋ねた。

「なあ、なんでお前さ、高時様に向かって済まないって言ったんだ?」

 済まないと言わなければいけないのは、高時の方ではないのか。

 こんな火傷を負わせて、その上無理をさせその事に気が付いてさえいない。志岐の口調がそう言っている。だが朔夜はふう、と小さく息を吐き出して覆いかぶさる木々の空を見上げた。


「……俺は……高時に無理を強いていたのだ。変わらざるを得ない高時を、何とか変わらないでいさせようと、あいつを苦しめたはずだ。きっとそんな俺を憎んだ。……変わるべき時の潮時を見誤ったのは俺だ」

「朔夜、お前……」

 驚いて志岐が振り返った。

 払おうとしていた枝が跳ねかえって志岐の手の甲にぴしゃりと当たる。

「お前……まさか高時様を……」

「今は宝山のことだけ考えるぞ」

 言いかけた志岐の言葉を遮った。



 城の中の図は頭に叩き込んでいるが、戦支度で警護はさぞかし厳しくなっているはずだ。まず忍び込むことと脱出することが最大の懸案だが、城内とておびただしい数の兵で溢れているだろう。


 靄が晴れる。

 さらに慎重に進まなければならない。


 二人は気を引き締めて目前に迫る山城を見上げた。

 二日前に高時が蹴飛ばすように後にしてきた城だ。

 城の周囲を用心深く窺って朔夜の元に戻ってきた志岐が作戦を立てる。

「あの石垣は俺たちなら簡単に登れそうだな。侵入はここ、二の丸の裏だ。つまり奥方たちの住まう場所からになる。今は一番警戒の目が行き届いていない。他はがっつり見張られている」

「分かった。全てお前に一任する。後は宝山公がどこにいるかだな。二の丸か、本丸か。戦前だから本丸に移っている可能性が高いな」

「そうだな。その辺りも俺に任せてくれ。調べてやるさ。それよりも夜までは一休みだ。この辺りに休めそうな家などはないが、少し先に大木の根が張った所があった。そこで仮眠だな」


 雨上がりの陽射しは弱々しく、辺りの空気はひやりと冷たかった。

 まるでうねる波のようにもりあがった大木の根に座り、太い幹に凭れると僅かな暖かさを感じる。思わず朔夜の口端に笑みが浮かんだ。

「なんだよ、なんか面白いのか?」

 隣に座る志岐が笑う朔夜にすぐに気が付いた。

「いや、お前も木のそばで寝るんだなと思ってな」

「ああ、岩屋とかは夏はいいけどさ冬はいけない。あれは冷たくて人の温もりを吸い取るだけだ。だが木は暖かいさ。こんな風に根があれば濡れないしもたれれば背中も冷たくない。雨もしのげる。移動中なんか重宝するさ」

「俺も昔はよく木のそばで眠ったもんだ。凍てつく夜もこも一枚に身をくるんで、板塀の横やら土の上やら、色々試して結局木のそばが一番ましだって分かってからは、木が俺の夜具代わりだったな」

 手を伸ばした志岐が、朔夜の肩を引き寄せると自分の方へともたせ掛ける。

「今はもう一人じゃないんだぜ。こうしてりゃ、もっと暖かいだろ? ちったぁ休め。お前はいつも無理し過ぎだ。俺も休むから眠れよ」


 背の高い志岐にすっぽりと包まれるとひどく心地良い。人の温もりが暖かい。

 朔夜は何一つ抗うことなく力を抜くと、遠慮なく志岐に体重を預けた。


(……また聞こえる)


 とくん、とくん、と規則正しい鼓動。

 懐かしい温もりが蘇る。誰かの暖かい手の幻が脳裏に浮かぶ。優しく暖かく満たされた気持ちが。

 緩やかに意識が眠りへと落ちて行く。無理をさせた体が眠りを欲しているのだろうか。

 人の近くでは眠れぬくせに、今は意識が勝手に深みに落ち込んで何も考えられなくなり、その泥のようなぬかるみに身を任せてしまった。



 穏やかな寝息をたて始めた朔夜を志岐は身動ぎもせずに見つめた。


(――いつだってそんなに張り詰めて、一人で立とうとする。そのくせ人を大事にしようとするから苦しむんだ。いつかお前が壊れてしまいそうで、俺は怖い……)


 まだ幼く見える。だが強い。だからこそ痛ましい。

 年相応の扱いを誰もしない。


 幻想や感傷とは無縁に生きてきた。

 自分には親がいなかったが、父と呼べる人がいた。だが十三の歳に自分の目の前で命を落とし、その時はとても深く傷ついた。さらにそれに追い打ちをかけるような凌辱を受けて、心はボロ布のように擦り切れた。

 その後、頭領が引き取ってくれたが、夢や希望や感傷、そんなものとは無縁の心の死んだ子供になっていて、ただ現実に生きるだけだった。


 その場その場だけの快楽を求める。

 人を殺めるのだって、拷問にかけるのだって、心に苦痛を感じるよりも楽しんでやることに決めた。

 女を抱くのもその場限りだ。泣いてすがって来られても何も感じない。

 そうやって感情を捨てると、あらゆることが明晰に分析出来た。

 そしてまんべんなく適当に笑って何となく誰とでも上辺だけの付き合いをしていた。

 人がどれほど『情』という厄介なものに縛られているかを知り、それを捨てれば楽になれた。


 朔夜の存在も面白そうだったから近づいただけだったのに。

 それなのに思わぬ力で魅了されてしまった。魅了されてしまうと離れられなくなっていた。


 この男の持つ真っ直ぐで綺麗な魂の光が志岐を人に戻す。

 何かをしてやりたい、力になってやりたい。

 すっかり忘れていた、いや封印していた『情』が湧く。


(お前を死なせはしない。必ず生きて戻ろう、な、朔夜)


 手のひらに力を込めると、一層包み込むように肩を引き寄せた。


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