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戒めの狂刀


 過ぎた威圧は反感を買う。


 朔夜は大きく溜息を吐く。不気味な程に静かな夜だった。


 喜島城を起った足で千原の城である神原城かんばらじょうへと戻った。

 昨晩千原を連れて出る前にこの城を己がものにしていた高時だ。主なる家臣団はとりあえず捕らえられ、義信の連れてきた五百の兵が占領していた。

 その庭の一角にあるやぐらの上から下を見下ろす。

 堀が巡らされた城の周囲は不気味なほど静かだった。いわゆる平城だ。国境だが砦よりも領地の統治の為の城のようだ。


 美濃のやりようは確かに卑怯だ。

 怯えきった千原があれやこれやを問われもせぬのにベラベラと喋ったことにると、どうやら弘龍が高時の懐に入ってきたのも元々宝山の画策であったようだ。

 まだ世継ぎのいない高時を上手く懐柔して、美濃の言いなりになるようにしようと画策していた。


 以前の高時なら、威圧だけでなく強い魅力で敵将でさえ惹きつけて降伏させる力を持っていた。久能城の家臣も、甲斐の家臣もそうだった。

 今回だとて非は美濃方にあるのだから、以前のように正々堂々と自分の信じるところを述べてやれば、宝山はともかく、高時に心開く家臣が出てくるはずだ。そうなれば無駄な戦は回避できるかもしれない。たとえ戦になっても敵方の内部から崩すこともできよう。


 この戦は、正面衝突になる。敵味方を問わずきっと多くの命が失われることだろう。その命の全てが高時の肩に掛かっている事を忘れて欲しくない。己の引き起こす戦の結果に恐れていて欲しかった。


「俺が、望み過ぎているのだろうか……」

 呟きが闇に溶けていく。


 変わらぬままでいて欲しいと望むのは我が儘なのかもしれない。

 高時は今や大きな責任を背負っている。望むと望むまいと変わらざるを得ないことも多い。それをいつまでも無垢なままでいて欲しいと願うのは、高時に苦痛を与えているだけなのかもしれない。共に有りたいと願った高時のままではいられなくなっているのだ。


「俺が留まっているだけか……」


 確かに心地良かった。

 身も心もすさんだ日々、ただ生きるだけの日々。それに比べれば今は過ぎた場所だった。


 高時がいて、友三郎がいて、志岐がいる。そして自分を信頼して付いてきてくれる者が大勢いる。

 人から信頼され、頼られることがこんなにも自分を充実させるとは驚いたものだ。これが満足だと、それを初めて知った。


 満足するとは腹が満たされることでもなく、暖かな衣服を得ることでもなく、実は自分の心が満たされることなのだと気がついた。

 いくら満腹になろうと己がそれを望んでいたのでなければ満足ではない。暖かな居場所を与えられても己が望む場所でなければ満足はしない。

 自分が望むこと、それが満たされる。そうして初めて満足するのだ。


 腹一杯食べられることを望んでいた。折檻されぬ所で一人きりで生きていくことを望んでいた。寒い夜にこもを巻いて凍えながら眠らずにいられる場所を求めていた。

 だが本当の満足を感じたのは、そのどれでもなかった。


 ただ信頼され、自分を認めてもらい、人と分かり合える。それが心を満たした。だからずっとその場に留まっていたかったのかもしれない。


 ――高時は変わる。俺も変わる時機ときが来たのだろうか……


 櫓の上で刀を引き抜く。高時の愛刀だ。

 確かによく切れるが斬った時に酷く罪悪感を覚えた。まるで高時に人を斬らせたような錯覚をした。

「……霧雨」

 あの狂刀を早くこの手にしたい。

 霧雨に意識を奪われて惨殺した命の重み。それが自分だ。その罪が自分だ。

 高時にだけ理想を求めてはいけないのだ。霧雨は戒めだ。自分の醜さを忘れないための戒めだ。

 肩の火傷の痛みは最後の一粒だった薬を飲んだ今は感じない。風が湿り気を帯びている。明日は雨になりそうだと空を見上げた。


「このような場所で何をしている!」


 下から声を掛けられて見下ろすと、野間義信が周囲をきょろきょろと伺いながら立っている。どうやら朔夜を探していたようだ。

 櫓を下りて義信の前に立つが、どうにも義信は落ち着かない風情だ。

「お前、こんな夜更けにうろつくものではないぞ」

 いつもの甘い声が僅かに揺れている。その時になってようやく思い出した。義信は幽霊だの怪異などに滅法弱いのだった。

「お前がおらぬようだと高時様が心配されていたぞ。以前も無断で城を空けたことがあるそうだな。それで気にされていたぞ」

「そうか、済まない」

 さっさと引き上げようとする朔夜に義信が慌てて付いてくる。一人は怖いと言わんばかりに。

 いつもの冷静な姿とは掛け離れた様子に、思わず朔夜の口元がほころぶ。歩きながら振り返り義信を見て朔夜が何の含みもなくさらりと言った。


「手間を掛けて済まなかった。お前は本当に高時の頼りになる側近だ」



 思わず、義信は立ち止まった。

 驚いたのだ。

 義信にしてみれば高時側近の座を得体の知れぬ子供に奪われかねないと躍起になっているのに、朔夜の方は一向に気に掛ける様子もない。しかし、それ以上に驚いたのは、朔夜が僅かに笑みを浮かべていたからだ。

 朔夜の笑みを見たのは初めてだった。

 何もかも見透かしたような鋭い目で大人びた表情をしている事の多い朔夜だ。こんな素直な表情は初めてで虚を突かれた。


 気がつくと朔夜が背中を向けて離れていく。離されぬように急いでその後を追った。


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