血の海を舐める炎
翌朝、朔夜の不在に最初に気が付いたのは友三郎であった。それを聞いた高時は眉を顰めた。
「このような早朝に、どこへ?」
「それが、誰も行き先を聞いてはいないようで。もしや高時様のお遣いか何かかと思ったのですが」
「志岐は? 奴はどこだ?」
ただ何となく聞いた。
前回朔夜が帰って来ないと一番に報告に来た志岐なら何か知っているかもしれないと思ったのだ。
「いえ、それが志岐の姿も見当たりません。朔夜についている垂水の者は出払っていますが、志岐は常に朔夜に付いていたようですが」
「志岐もいないのか?」
そこに昨晩から門の警護をしている者が呼び出されて来た。
「姶良殿でしたら夜分にお一人で出られました。御屋形様の急ぎの書状があるとかでしたが」
そんな書状を書いた覚えのない高時である。
(どこへ行ったのだ、朔夜?)
一晩くらいいなくても心配することではないかもしれない。朔夜とて野暮用が無くもないのかもしれない。
だが高時は胸騒ぎが治まらない。何か嫌な予感がする。
(まさか、俺の元から去ったのではないだろうな)
嫌な汗が掌に滲む。
あの時、朔夜は何を聞きたかった?
自分が必要かと問いかけた朔夜は何を言いたかったのだ?
俺を否定するような事を言う朔夜は、俺から離れたかったのか?
高時が考え込んでいる時、一つの報せが舞い込んだ。
垂水の者、志岐の直接の部下の一人が潜入先で正体が露見して捕まったらしいとの報告が入った。
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夜遅くに、そこを探し当てた時には全て終わってしまっていた。
一歩足を踏み込んだ志岐は、濃い血の匂いに思わず呻いた。
そこは惨状だった。
血の海が広くはない板敷の部屋を満たしていた。
黒く見える血の海の中に一人立っている血塗れの男は、呆然と、それはもうただ呆然と刀を握り締めたままで立ち竦んでいた。酷い惨状だった。
志岐の呻き声に反応して、立ち竦む男がゆっくりと視線を向け、志岐の顔を認めると僅かに唇だけを動かした。
「……志岐」
声は無かった。
そのまま、ゆっくり、ゆっくりとその場に倒れ込んだ。刀を手放さず血塗れのままの姿で。
「朔夜!」
倒れている男達を軽く飛び越えながら、血の海を越えて朔夜の元に走った。
「しっかりしろ、朔夜!」
抱え起こして素早く検分するが、血は全て朔夜のものではないようだ。
だが手首には新たな縄目の擦れた痕が痛々しい血を滲ませている。首には強く絞められた赤い痣が見える。着物ははだけ、露わになった肌は血飛沫で真っ赤に染まっていた。
志岐の目が酷薄な程に冷たくつり上がる。
「朔夜、動けるか? すぐにここを離れるぞ」
返事を待たずに志岐は朔夜を抱えると、血の海を抜けて家の外に出てそこで一旦朔夜を木の側にそっと下ろす。
振り返って開け放した部屋を見る。
その目はどこまでも冷たく、大らかな笑顔を見せる志岐とは別人のようだった。
すっと家に近づくと再び中へ入り、火皿の油を撒いて火を付けた。
ゆるゆると火が広がる。もどかしいほどゆっくりと。
やがて男達の骸の上を這い、朔夜が立っていた血を吸いこんだ床板と、柱に燃え移って火は急激に勢いを増す。
それを見届けてから志岐は家に背を向けて、うな垂れたままの座り込む朔夜のそばへ行きしゃがみ込んだ。
「朔夜、俺が分かるか? 俺を見ろ、朔夜」
肩に手を掛けて強く揺さぶると、ようやく朔夜が顔を上げた。だがその目は何も見つめてはいない。
「俺だ、志岐だ。分かるか?」
「……し、き」
唇が僅かに言葉を紡いだ。
ゆっくりと焦点を合わせる。瞳が志岐の顔を映した。
炎に揺れる瞳が煌めく。
その中心に志岐がある。
朔夜の中にある己の顔をしっかりと見つめた志岐がはっきりと告げた。
「朔夜、助けに来たぞ」
「……志岐」
「何があったかは知らない。だがお前を脅かす者がいるなら俺が殺していた。あいつは俺が今、焼き殺した。俺が殺してやった。お前は何も怯えることはない」
いつもの笑顔を浮かべる。
「……ああ」
感極まったように朔夜が声を洩らした。
瞼を閉じて空を仰ぐ朔夜の肩が小さく震えたから、強く強く握った。
この惨状に、怯えることも苦しむこともないのだと、そう手のひらに思いを込めて強く肩を握った。




