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透明なヒビ


 弘龍は高時に請われてしばらく滞在することとなった。


 駿河本城には同盟国から送られた人質が幾人かいる。

 人質は主に領主の二男、三男だから粗略には扱えない。その者との交流にも人当たりの良い弘龍は一役買ってくれた。


 高時の幼き妻、友姫も実の兄がいてくれる事が余程嬉しいようで、毎晩話し相手にと呼びつけていた。

 高時には末っ子の佐和姫だけでなく、母を異にする五人の姉と妹がいる。 二人の姉と妹一人は既に嫁いでいるが、佐和姫ともう一人の妹はまだこの本城におり、友姫の良き話し相手となっていて、彼女達も優しい弘龍を気に入っているようだった。



 この頃、朔夜と高時は時々意見が対立するようになっていた。


 時折見せつけるような威圧をする高時を朔夜が諌める。

 朔夜の言葉は少ないが的確に高時が突いて欲しくない場所を抉るように指摘する。そうなると高時は分かっていながらも苛々として朔夜に声を荒げて追い出してしまうのだ。


「いちいち言わずとも分っておるわ! 自分だけが正論を吐いているような顔をして!」

 追い出した後は自己嫌悪。だがそれを何とか正当化したくて悪態を吐く。


 あの瞳がいけない。

 人を追い詰めるような獣を秘めた瞳が無言で俺を責め立てる。

 あの姿もいけない。

 凛として迷いなく真っ直ぐに伸びたしなやかな肢体。正当性がまるで朔夜一人にあるように錯覚させてしまう。


 そんな時、迷う高時に答えを出してくれるのは弘龍であった。

「高時殿は今のままで良いのですぞ。もう小さな一領主ではありません。多くの民の責任を負うておられる。時には威厳を示し、威圧せねばならぬ時がある。それを避ければ余計な火種を生み民を苦しめるだけになる。それをあの子供は分かっておらぬのです。若いうちはどうしても理想と現実の違いが判然としません。高時殿に潔癖を求めすぎているのです。だがそれは違う。高時殿は民と将を預かる特別なお方なのです。理想だけでは出来ぬ事をよく知っている。あの子供の言葉に心揺らすことなど一切ございません」


 そうだろうとも。理想論だけでは国は治まらぬ。

 どれほど心を砕いているのかを朔夜は知らないのだ。だから簡単に批判する。そう無責任な批判だ。

 理想を俺に押し付けるだけの無知で無責任な傍観者の批判でしかない。上に居続ける者の苦悩を知るのは、同じ立場である弘龍殿だ。彼の言葉は正しい。

 正答はこちらにあるのだ。


 自分の中で答えを導いても、心に小さな棘が刺さったまま抜けきれない。

 どうすればこの棘は抜ける?

 朔夜を追い出せばこの棘は抜けるのか?

 俺に何を求める、朔夜よ。俺はお前を理解したいと常に思っていた。だがお前は結局俺を理解しようとはしてくれないのだな。


 ーー人は醜くて狡くて欺く。

 そう淡々と告げたお前だ。分かりあえることなど無かったのかもしれない。

 お前とならどこまでも行けると思っていたのに、お前の瞳を美しいと思っていたのに。

 ……今はその瞳が憎らしい。

 高時は己の中で爛々と輝く瞳を打ち消すように目を閉じた。


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