日の主と月の従者
早暁はいくらか涼しかったが、完全に陽が昇ると一気に気温は上がり、真夏の陽射しで焼け付くようだった。それでも快進撃を続ける龍堂高時の率いる軍勢には昂揚した気分で満たされていた。
高時が天下を狙うと宣言してから一年弱。
駿河一国の若き領主は、多くの国を支配下に収め、周囲の国と同盟を結び、背後の心配を最小限に減らし、今は京へ向けて軍を進めていた。
京におわす天皇と将軍への謁見を目的としながらも、途中の近江一帯を仕切る深見弾正を攻め立てていた。
深見家は代々続く由緒ある家柄で、数年前に起きた将軍家の内紛では、先の将軍、充義を匿い援護していた。だがその後充義は将軍職から追われ、その弟、充治が着任して以来、勢力を削がれた感がある。
それでも新興勢力の龍堂になど屈しないとばかりに抵抗をして進路を阻む。
だがそれも今日中に決着が付くであろう。
近江各地にある砦や城はほぼ制圧し、あとはこの琵琶湖湖畔で対峙する深見弾正との直接対決を残すのみである。
相手は既に兵二千。対する高時の軍は八千。しかも気力充実した兵ばかりである。
夏の暑気を琵琶湖から吹く風が払う。見上げる空は突き抜ける蒼。それを映す琵琶の水も美しい青に煌めいている。
朝の涼気が晴れると同時に互いに鬨の声を上げて戦闘が開始された。
殺す、殺さないではなかった。
深見の近衛とも言うべき百ほどの家臣以外は、ほとんど戦う気力などないようで、真っ正面から向かってくる大軍勢に、我も我もと逃げ出す者が続出した。
昼前には決着はつき、深見弾正は逃げた先で割腹して果てた。
高時の布陣は鶴翼の陣。
逃げる兵さえも一網打尽に出来る状態であったが、逃げる兵は抵抗せぬ限りは捕らえるだけにせよと指示が出ていた。
「ぬしらは農民か?」
捕らえられ一所に集められた兵が怯えながら汗まみれの顔を上げると、若い男がこちらを見下ろしている。真夏の陽射しにも負けぬ強い存在感が溢れている青年だ。
若さを纏う端正な姿は、空の眩さを背に受けていても圧倒的な存在を主張して光っているようだ。
その男に向けて兵が一斉に頷いた。
彼らは普段は田畑を耕す農民で、いざ戦があれば兵として駆り出される農民兵であった。
高時は兵と農を分離させる政策を行っているが、他の国では兵のほとんどは農民兵である。
「深見弾正殿は自害なされた。これよりこの龍堂高時がこの近江を取り仕切る」
その言葉で捕虜の兵は、今話しかけている青年が敵の大将龍堂高時であることを知り、怯えと動揺が走った。
「そう怯えるな。決してぬしらを殺しはしない。俺は戦は兵が、農民は農を行うべきだと思っている。戦働きで稼ぐ農民も多いだろうが、俺の兵には一切の略奪を禁じている。農をするならば田畑を専らにするべきだ。そうして国の力を高めることが必要だと俺は思っている。ぬしらは農をするか兵になるかを今後選ぶがよい」
それだけを告げると、側にいた少年兵に「放してやれ」と告げてその場を後にした。
捕虜兵の縄を言いつけ通りに切る少年に一人の男が問いかけた。
「あれは本当に龍堂高時公か?」
「そうだ」
ぶっきらぼうに答える少年兵は他の兵と共に無心に縄を切っては男たちを解放していく。先程の男がもう一度問いかける。
「何故、我らをなんの咎めもなく放すのだ?」
「咎め? お前たちはすでにあいつの領民だろう。自国の民になったものを咎めるようなことはしない。あくまでも抵抗すると言うならば、また話は別だがな」
縄を切り終えた少年兵がその男の方へ向き直り、真っ直ぐに見つめてきた。
その瞳があまりにも鋭く獰猛で、そして美し過ぎて、男は思わず息を飲み込んだ。
「農民兵ならば、あの人は無益に殺したりはしない。国をいかに豊かにするかを考えている。あの人についてきて損はさせない。俺はそう信じている」
強い眼差しでそう告げると、男に背を向けて少年は高時の消えた方へと歩いていってしまった。
「……あの少年は……」
男の呟きを聞き止めた他の兵がさも自慢げに答えた。
「姶良朔夜殿だ。未だ十五歳とお若いが高時公の側近で一軍の将だ」
幼いながら誰にも媚びない強さと、それを如実にあらわす瞳。
太陽のような強さを持つ君主に月のような凛とした側近。
その若さと強い姿を思い返すと、その時ようやく「ああ、深見様は負けたのだ」と男はしみじみ実感した。