アンキャニィ・タスク
「戦争は変わった」
灼熱の太陽が、乾燥地帯を移動する僕の肌へと容赦なく照りつける。サングラスをしていても、目を焼かれそうなほど眩しい。足元にある精密機器を詰め込んだバックパックが心配になるくらいの悪路を走るトラックは、これから戦場に向かう兵士を輸送しているとは思えないくらい乱暴な運転だ。
幌もかかっていないトラックの荷台で、僕の隣に窮屈そうな姿勢で蹲っている男がタバコに火をつける。
「戦場は変わらないのに、戦争は変わっていく」
ただの独り言だ。
彼も、さらに向かい側に座っている男も、このトラックに乗せられている十人ちょっとの連中はすべて、小一時間もすればきっと死んでしまう。もう少ししたら死んでしまうのだから、みんな、だいたいがよく分からないことをぶつぶつと呟いている。
「隣人を殺すための武器は、隣人が生まれ育つよりも早いペースで進化していく」
この男もきっと、死への恐怖でよく分からないポエムを口走っているのだろう。僕はそんな彼が少しだけ哀れに思えて、ほんの一瞬、サングラス越しに視線をそちらへ向けた。
「なぁ、あんたはずいぶん余裕そうじゃないか?」
僕がわずかに移動させた視線を、彼は目ざとく追いかけてきた。濃緑色のフードを目深に被り、口元は黒い布で覆っている。顔は分からないけれど、その目だけは異様な迫力で僕を捉えている。
黄金に輝いている瞳は、人間ではないという証だ。
「生まれたときからずっと戦争、戦争って、マヒしてんだよ」
答えながら、僕は、濃いサングラスを片手で押さえる。彼からは見えていないはずだ。それでも、不安でサングラスを押さえる指が少し震えた。
僕の瞳はブルー。
アメリカ人であり、人間だ。
僕は、人間。
彼とは違う。
このトラックに乗せられている他のどいつとも違う、ちゃんとした人間だ。
つい半世紀ほど前に生み出された人工生命体、バイオニクス。百パーセント人間の工学技術のみで造られた贋作の生命。本当なら、それは人間の役に立つためのものだった。
最初のバイオニクスが人間を殺したのが、誕生からわずか半年後。人間の行動、思考を完璧にトレースするためのアクティベーションプロトコルが、バイオニクスの機械じかけの脳味噌を狂わせたのだ。
姿形は人間なのに、自分は人間ではない。
そういう矛盾を抱えたバイオニクスが、悩みながら人間を手にかけた。
以来、人間とバイオニクスは殺し合いを続けている。
人間は、生み出したバイオニクスを否定するために。
バイオニクスは、自らを肯定するために。
「ICBMだのIRBMだの、果てはカイネティクスボムだなんだって、金持ちの戦争はやっぱ違うよな」
僕の隣で、年代物の自動小銃を抱えたバイオニクスが笑う。
トラックが走っている中東の砂漠は、世界中が戦場となった現代において、重要度がとても低い末端の戦場だ。バイオニクスが現れてからというもの、人類の歴史から宗教のための戦争なんてものはなくなってしまった。遥か昔なら、ここも民族紛争や独立運動などで世界中から注目されていたはずだ。
けれど、いまは違う。
だからこそ、僕はここにいる。
「そういう高価な兵器は、もっと戦果をあげられるところで使うんだよ」
僕は、正直に答えた。
ICBMもIRBMも、大量破壊兵器としての効果が期待されて運用される。ここ数年で一気に普及したカイネティクスボムなんて、まさに戦場をエリアごと壊滅させるための兵器だ。バイオニクスが根城にしているのは、もっと広く先進的な都市(人間を殺して奪い取ったもの)だから、こんな辺境の地でそれらの大量破壊兵器を使ったところで、彼らに打撃を与えられない。
「生まれたときからずっとだもんな、もう嫌んなっちまうよ」
バイオニクスの疲れた目元に、僕は腹が立った。
「生まれたときから……ね」
機械じかけの人形ごときが、さも自分が生き物であるかのように振る舞う。それを言うなら「出荷されたときから」だろうと、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「君は、戦闘用に造られたの?」
僕があえて機械として尋ねると、彼はいかにも人間らしく眉を顰めて首を振った。
「俺は、もともとは病院の手伝いをするために生まれたんだ」
「修理用なのか」
バイオニクスも、身体が破損すれば修復しなければならない。そのための修理工場もあるし、専門の修理用バイオニクスもいる。
「戦場の手が足りないんだね」
「あぁ、病院から戦場に行かなきゃいけないくらいだ、俺たちは圧されてるんだよ」
頷いて、僕は口元に手を当てた。口の端が持ち上がりそうになって、それを隠すためだ。
たしかに、このあたりの戦場ではほとんど人間の勝利が確定している。
そして、その勝利をより確実にするために、僕はやってきた。
トラックが、目的地へと到着する。
周囲から散発的に銃声が聞こえていて、トラックに乗っていたバイオニクスが統率のとれていない動きで荷台から飛び降りた。
僕はバックパックを背負い、バイオニクスたちの後から荷台を降りる。
「死ぬなよ、あんた」
さっきのバイオニクスが、僕の肩に軽く手を置いてそう言った。
「死なないさ、きっと君も死なない」
僕は彼に手を振る。
僕はもちろん死ぬつもりはない。そして、彼も死ぬことはない。バイオニクスは死んだりしない。破壊されたとしても、それは生命としての死ではない。
バイオニクスたちが銃を手に走っていくのを確認して、僕は彼らとは違う方向へ進む。
僕の任務は、このあたり一帯のバイオニクスをまとめて機能停止に追いやること。
背中のバックパックに詰められている電磁波放射装置が、それを可能にする。
「馬鹿のバイオニクスごときが、人間サマみたいに振る舞おうってのか」
バイオニクスの頭部センサーを破壊する電磁波を広範囲にスムーズに放射するために、なるべく高くて開けた場所を探す。
主戦場から少し離れるだけなのに、僕の任務を邪魔する存在は全くなかった。
「いまに見てろよ、brainlessども」
高さ十メートルほどの、崩れた建物の屋上までやってきて、僕はバックパックをおろした。中に入っていた小型アンテナを展開して、各種ケーブルセンサーを専用のラップトップに接続する。この装置から発信される電波が、バイオニクスの頭部センサーに干渉し、その機能を完全に停止させてしまう。バイオニクスの頭部センサーを破壊する作戦そのものは戦争がはじまった当初から検討されていたが、そのセンサーのみに干渉するというハードルを越えるまでに、長い時間がかかった。
ついに開発された新兵器の、最初の試運転の場として選ばれたのがここで、僕はそれを使ってバイオニクスを破壊する最初の人間だ。
「あぁ、たしかにお前の言うことは正しいよ」
ラップトップの起動パスを入力しながら、僕はトラックで隣に座っていたバイオニクスに語りかける。彼は今頃、スクラップになっているだろうか。
「もう、いちいち銃でやりあうような時代じゃない」
彼の言っていたことは、本当に正しい。
戦場に兵士を集めて銃を撃ち合うような時代は、今日ここで終焉を迎える。
「そうさ、戦争は変わった」
戦争は変わった。
いまこの瞬間に、人間とバイオニクスが戦う戦争は終わりだ。
ラップトップに最後のキーを打つ。
システム起動。
ラップトップに繋がれたアンテナが、バイオニクスの頭部センサーを破壊する電波を発信しはじめる。センサーを破壊されたバイオニクスは、その場で機能を停止させ、遠くから聞こえてくる銃声は一気に少なくなる。
その予定だった。
銃声は減らない。
双眼鏡を取り出して戦場を見てみると、バイオニクスはまだ元気に走り回っている。
「効かないのか?」
ラップトップを見ても、システムは正常に作動しているようだ。
キーボードに手を伸ばそうとして、頭蓋にインプラントした小型通信装置が微かに振動していることに気づく。本部からの無線通信だ。
「システムは作動していますが、バイオニクスはまだ動いています」
僕はアメリカ本土にいる士官へと、新兵器の状況を説明した。
すると、無線の向こうの彼はそれが当たり前であるかのように、落ち着いた声を出す。
「構わない。君は任務を全うした」
「どういうことですか?」
僕の任務は新兵器を起動してバイオニクスを破壊することだ。まだバイオニクスは動いている。
「君はきちんと任務を全うした、そういうことだ。そのあたりのバイオニクスは全滅する」
「ですが、任務は……」
僕が言いかけると、彼は念を押すように、ゆっくりと、言葉をひとつずつ強調するように言った。
「任務は完了だ。こちらが用意した、バイオニクスの殲滅任務はね」
バイオニクスの殲滅。
強調されたその言葉が、僕の胸にずしりと沈む。
「新兵器を運用して、バイオニクスを殲滅するんですよね?」
嫌な予感がして、もう一度、僕の任務を確認する。
「そうだ、我々の新兵器は、今日はじめて実戦に投入される」
「その、新兵器というのは……」
バイオニクスを狂わせる電磁波発信機、そう確認しようとしたのに、彼は僕の聞いていたのとは全く違う単語を口にした。
「カイネティクスボムの新型弾頭。非常に安価でね、今回の作戦がうまくいけば、世界中でバイオニクスを焼き払うことができるだろう」
「そんな……」
カイネティクスボムは、人工衛星から地上へ向けて爆弾を投下する兵器だ。その威力は絶大で、爆弾でなかったとしても、ただ物体を投げ落とすだけであらゆる標的をエリアごと吹き飛ばすことができる。
「威力をこれまでより小さくすることができたから、そのために値段をおさえられたんだ。しかし、威力が下がったとはいえ、バイオニクスが走り回っているエリアは確実に潰すことができるから安心したまえ。まあ、精度には少々不安が残っているが、君のように現地から誘導してくれる勇敢な兵士がいれば、それもクリアできる」
つまり、僕がここで広げているラップトップと小型アンテナは、人工衛星に作戦目標の位置を知らせるためのビーコンだったというわけだ。
「それじゃあ、僕は……」
口に出そうとして、あまりの現実感のなさに声が出なくなる。
僕は、ここでカイネティクスボムに吹き飛ばされる。
そのためにここまでやってきた。
そう理解した瞬間、僕は走り出していた。
壁を蹴り、地面へと転がる。
カイネティクスボムから爆弾が投下されるまで、もう時間はないだろう。
破壊エリアから逃れることはできない。
僕はあらゆるところに視線を走らせ、二十メートルほどの距離にあったコンクリート製の低い建物へと逃げ込んだ。外の様子、投下された新弾頭が降ってくる空を確認するような余裕はなく、とにかく身を伏せて頭を抱える。
それから、ほんの数秒後に僕の身体が衝撃に揺れる。
頭を何回も殴られて、意識がどこかへと飛んでいった。
目が覚める。
奇跡だった。
目が覚めたということは、まだ生きている。
カイネティクスボムが投下された戦場で、僕はまだ生きている。
しかし、身体が動かない。崩れてきた建物の下敷きになり、身体の左側の感覚がない。
遠くから物音がする。
足音だ。
声も聞こえる。
「カイネティクスボムの威力は上々。予想通りの戦果だ」
「一帯のバイオニクスは全て破壊されたようです」
人間の声だ。
僕は、動かすことのできる右腕で腰のホルスターを探る。ありがたいことに、携行していた拳銃は無事のようだ。
「ここだ……」
かすれる声を振り絞り、拳銃を空へ向けて撃つ。すると、足音が近づいてきて、瓦礫の向こうからヘルメットを被った男が僕を覗き込んだ。
「なんだ、こいつは」
もうひとりやってきて、僕にペンライトのような装置を向けた。そこから照射される青い光を浴びて、僕はぼやけた目をそこから逸らす。
「……ラッキーなやつだ。こいつはビーコンじゃないのか」
僕に装置を向けていた男が、腕の端末を見ながら言う。
「やれ、こいつはもう用済みだ」
それから、すぐに背中を向けて歩き出した。
「待ってくれ、どうして……」
血の味がする口を必死に動かして、僕を見たままのヘルメットへと訴える。ヘルメットの男は、さも当然のように拳銃を僕へと向けていた。
「ここのバイオニクスは全滅だ。人間は俺たちしかいない」
「僕は人間だぞ……」
「そうか?そりゃあ残念だ」
「やめてくれ!」
僕の声を無視して、彼は引き金に指をかける。
「じゃあな、もうすぐ戦争は終わるぜ。これからはもう、バイオニクスなんて敵じゃない、的だあんなものは」
声を出す力もなくなってくる。
拳銃を握ったままの右側も動かせなくて、僕はただこちらへ向けられた銃口を見つめていた。
「戦争は変わった」
おしまい