01-05 六人の足並み
「これは……」
「一体どうして……」
「汚れてるの?」
思わず、声を揃えて首を傾げたアリサ、レオンハート、リックたち。
食堂の掃除を終えて、会議室に戻ってきたアリサたちは中を見て唖然とした。
食堂よりも遥かにものが少なく、ほぼ集会をする為だけの会議室は、アリサ達が出る前は軽く掃き掃除をして、雑巾がけをするだけで充分綺麗なるぐらいの状態だった。
にもかかわらず、今しがた三人が入った会議室は、あちらこちらに葉っぱや木の枝が落ち、床はジャリジャリと砂でざらついており、まるで部屋の中に竜巻が入り込んだような惨事だった。
まるで、俺たちは関係ないと言わんばかりに、開き直ってふんぞり返っているクディダラン三人組に、アリサたちは揃って溜め息を吐くのだった。
*****
「食堂はどうにかなったようだな。お疲れ、こちらは問題はない」
掃除の出来映えをチェックされ、アリサ、レオンハート、リックが担当した食堂は問題なく、ガイガンの合格点をもらった。
しかし問題はやはりと言うべきか、クディダラン三人組で本当に掃除をしたのかと疑いたくなるほど、会議室は汚れていた。掃除をした筈なのに汚れていたのだ。
一体どうやればこんなことになるのか、アリサには検討がつかなかったが、ガイガンは心当たりがあるのか、察しのついたような様子で苦笑いを浮かべていた。
役割分担をしていたことはガイガンにも話したので、アリサ達にお咎めはなかったが、あまりにも酷い状態に昼食後の午後からは六人全員で再度会議室の掃除を命じられた。
オマケに見張りつきだ。
――――面倒だけど、新人全体の連帯責任ってやつよね。
午後は先輩の見張りがあったためか、クディダラン三人組もそれなりに真面目に掃除を行い始めた。
アリサたちが始めたのに倣ってノソノソ動いていたが、もしかしたら彼等もレオンハートやリックと同様に、何をして良いのかすら分からなかったのかもしれない。
ならば、教えて上げなかったのは気の毒だっただろうかと思う反面、そもそも新人に何も教えずに放置する方も指導者としてはよろしくなかった。
――――考えてもしょうがないか……
アリサの世界の教育論を、この世界に当て嵌めるのがそもそも間違っているのだ。
新人は大人しく任された仕事をこなそうと、アリサ無心で掃除を進めることにした。
今度は六人全員で行ったため、物の少ない会議室の掃除は直ぐに終わった。
「おしおし、合格。やれば出来るじゃん。明日からは最初からこの調子で頼むぞ」
軽い口調で掃除の出来映えを確認したのは、隊長から見張り役を命じられたアリサ達の先輩だ。
肩まである長めの髪はキラキラと目映い光を放つ金髪で、癖毛なのか毛先が外側に跳ね上がっている。瞳は髪よりも少し濃い金。口角がキュッと上向きで、泥臭い兵士よりは騎士の名が似合いそうな男前だった。
「後は、まあちょっと早いが好きにしろ。飯の時間と風呂の時間はざっくりと決まってる。規則は厳しくないが、規律は乱すなよ」
話し方は終始軽口だが、しっかりと釘を刺す辺りはまともな人なのだろう。
「後は、ほら。各々の部屋の鍵だ」
懐から取り出された袋の中から鍵を取り出した先輩は、個人の名を呼びながらポイポイっとその鍵を各々に放り投げる。
「……っ!」
「わっ!」
「えぇ!」
「フンッ!」
「おっ……」
「ちょっとぉ!」
突然のことに驚きながら、皆乱雑に投げられたそれをどうにかキャッチした。
「部屋は基本的には個室だが、新人は次の新人が入るまで一年ぐらいは二人部屋がウチの隊の規則だ。二人仲良く……するかどうかは任せるが、もめ事は起こさないように」
説明を聞きながら、各々渡された鍵を覗き見る。
掌の中にすっぽりと収まるその鍵は、赤銅の色にシンプルな錠の形をしており、持ち手に空いた小さな穴には紙製のリボンが付いていた。
アリサの鍵のリボンは赤。
横目で見れば、レオンハートの鍵にもアリサと同じ赤のリボンが付いていて、リックの鍵には白のリボンが付いていた。
――――これ、もしかして。同じリボンの色は同室?
二人部屋と聞いて、誰よりも驚いたのはレオンハートだった。
「えっ、ま、待って下さい。 二人部屋って、アリサはどうするんですか?」
「あっ、早速不満か? 別に良いじゃねえか、お前とアリサが同じ部屋でも……」
「えっ、えっええぇぇ!」
サラッと爆弾をレオンハートに投げつけた先輩は、レオンハートの大声によって自らも被害を被った。
やはり、鍵のリボンの色は同室の印らしい。となれば、リックの同室は三人組の一人になるのだろう。
自分のことはさておき、可哀想にとアリサはリックを哀れんだ。
「部屋替えを……それじゃあ意味ないか。せめて部屋をもう一つ用意出来ませんか?」
年頃の男女が同室と言うのは、なかなか外聞も悪い。貴族出ならば尚更なのだが、そんなもの先輩たちとて何とか出来たなら既にしていただろう。
案の定、先輩は苦笑いを浮かべながらアリサを一度見つめた後に、レオンハートに向き直った。
「それがな。今回はガイガン隊長がちょっと張り切って新人を取ったから部屋数が足りないんだ。近いうちに増築も予定してるから、そう嫌がるなよ」
「いや、でも……」
物理的にどうにもならないと、仕舞いには開き直ってヘラヘラと笑う先輩に対して、レオンハートは必死の形相で頼み込む。
あまりの必死さに申し訳なく思いながらも、どうにも出来ない諦めの気持ちを持っていたアリサが助け舟を出そうとした時、後ろからわざとらしい溜息が聞こえた。
「フンッ。全く、みっともないな」
「俺たちは関係ないですよね。先に部屋に行っても良いですか?」
「あぁ、夕飯の時間と風呂の時間は決まってるから、それ以外は自由だ。好きにしろ」
先輩がアッサリと許可を出すと、クディダラン三人組の内、真ん中と右の二人は自分たちは無関係だと言わんばかりに早々にその場を後にした。
何故か残った左の一人は、リックをギッと鋭い目つきで睨み付けると、汚らわしいものでも見るかのように己の手元にある白いリボンが付いた鍵を見つめた。
「……何で僕が平民と同じ部屋なんだ」
悪態を吐きながら、再度もう一度リックを睨み付けて彼も会議室を後にして部屋には微妙な空気が漂った。
「……あぁ~レオンハート。ちょっと聞け」
気を取り直して、アリサが再びレオンハートに声をかけようと思うと、それよりも早く彼は先輩から肩に腕を回されて、小さな声で何かを耳打ちされる。
「一応な。お前らが軍に入る前の調査でお前に婚約者や恋人はいないと聞いてるが、もしかして出来たのか?」
「えっ、い、いえ……」
何故、今そんな話をして来るのか訳が分からず、レオンハートは動揺しつつ首を横に振る。
「軍に入れば男女一緒の行動は当然ある。野外任務では野営地でキャンプする際は全員雑魚寝だってある。女の兵や関係者が多ければ分けたりもするが、軍人はそうも行かない。そもそもな、軍に入る女性には事前にその話はされているし、トラブル対策の講義もあるんだよ」
「え、そうなんですか?」
己の知らなかった情報を知り、レオンハートはアリサがそこまでの覚悟を持って軍に入ったことに驚いた。
だから彼女は己と同室と言われても動じなかったのかもしれない。
レオンハートにも可愛い妹がいる。その妹がアリサのように強い覚悟で軍に入ったとしたら、自分や家族は心配で心配で堪らなくなるだろう。アリサの為にも、アリサの家族の為にも、己が誠実であればきっと大丈夫だと、レオンハートは覚悟と決意を固める。
「……あの」
「良いか?」
すると、先輩はレオンハートの言葉を遮るように、更に声を潜めて耳元で囁いた。
「確かに女の子との同室は、少しばかりお前に苦しみを与えるかもしれない」
「はあ? 俺、ですか? いや、大変なのは俺よりも、アリサ……」
「いや、この場合に限りお前の方があらゆる意味で大変だ。もし、もしだ。仮にお前が夜中にムラムラしてみろ。隣には女の子が無防備に寝てんだ。もし、ほんのちょっとでも、疚しい気持ちになってみろ。あっと言う間にお前は犯罪者だ」
――――十五歳のいたいけな少年に、なんてことを言うんだ。
見る見るうちに先輩の腕の中で顔色を変えていくレオンハート。
アリサに配慮し、普通なら聞こえない程の囁き声で交わされた会話だったのだが、生憎アリサの耳には二人の会話は筒抜けだった。
可哀想にまだ精神的に未成熟な年頃のレオンハートは、後ろからでも丸分かりなほど耳を真っ赤に赤らめている。
「まあ、もしムラムラしたなら。先輩がいいところを教えてやる。大人だけが行ける場所だ」
「あっ、やっ、俺は……」
「でももし、お前が将来的にあの子を好きになって、ムラムラして襲いかかりたくなったら、ちゃんと順を追ってことを運べよ。ただ残念ながら宿舎は壁が薄い。同室でもそう言うことをするのには不向きだから、そう言う時は少し無理矢理でも外に連れ出せ。かつて軍の宿舎でことに及んだ輩は……」
「ゴホン!」
実にくだらないやりとりが長引きそうで、アリサはかなり、かなりわざとらしい咳をして会話の流れを断ち切った。
案の定、我に返った先輩とレオンハートは、アリサがジッと二人を見つめ、リックがポカンと首を傾げているのを見つめて、肩組みを止め互いにパッと離れた。
「ああ~失礼?」
「……ごめん」
またも苦笑いを浮かべる先輩と気まずそうに目を逸らすレオンハート。
二人とも話しが大分ズレた認識はあるようだ。
「すみませんが、部屋替えが出来ないならもう行ってもよろしいでしょうか? 今日は早めに休みたいのですが……」
「あぁ、うん。そうだな。先に送られてきた荷物は各部屋に置いてる。後は夕飯まで自由時間だ。風呂は……あぁ、そうだそうだ!」
忘れていたと言わんばかりに、彼はズボンのポケットから別の小袋を取り出して、その中に入っているものを取り出した。
「ガイガン隊長から預かって来た。隊長専用の浴室の鍵だ。部屋はどうにもならないが、シャワーぐらいはゆっくり入りたいだろうってさ。簡易風呂も付いてるし、共同風呂で野郎と同じ湯に浸かるのは嫌だろ?」
先程手渡された部屋の鍵よりも、噛み合わせの多い銀色の鍵を手渡され、アリサは首を傾げる。
「良いのですか? 普通なら隊長専用何ですよね……」
「あぁ、大丈夫大丈夫。あの人いつも共同風呂しか使わないし、多分あの人には狭いんだよ。ただ、鍵はこれしかないから無くさないようにな」
――――若干、贔屓っぽくないかな。
一人だけ個室風呂とは、贅沢だが他人に申し訳ない気持ちにもなる。辞退しようかと思わず悩むと、レオンハートとリックが良かったねと手放しに喜んでおり、ニコニコと人当たりのいい笑みを浮かべられると、アリサもそれ以上は断りにくいものがあった。
「ありがとうございます。有り難く使わせていただきます」
一礼してアリサは一人でその場を後にしようとすると、リックもアリサと共に歩き出し、再び先輩に捕まりそうになったレオンハートもどうにかその手からスルリ逃れて、二人の元に駆け寄ってくるのであった。