01-04 大人と子供たち
「つまり、お二人は全く掃除をしたことがないと」
アリサが念を押すように問いかければ、二人の少年は情けない顔をしながら首を縦に振った。
倉庫から掃除用具を持ち出し、食堂までやって来たアリサたち三人。
部屋の中は先の会議室より僅かに広く、十人掛けの長テーブルが四卓とそれぞれの椅子が置いてあり、部屋の奥には食事の際に使用されているであろうワゴンとトレイが置かれているだけの、サッパリとしたものだった。
これなら直ぐに終わるだろうと予想し、では早速と掃除を始めようと言う時になって、全く動こうとしないレオンハートと平民の少年リックをアリサが不思議に思って見つめると、二人は非常に言いにくそうに掃除の経験がないことを白状したのだ。
伯爵家のレオンハートならば、身の回りの世話は使用人がやってくれていただろうから、知らない理由も分からなくもないが、まさか平民のリックまで掃除の経験がないとは、アリサも驚いた。
「掃除は使用人がやっていたから……」
「僕の家では、男はみんな外の仕事に駆り出されるので……」
レオンハートは予想通りの答えだが、リックの言う外の仕事が検討付かず、アリサは首を傾げる。
「外?」
「外で何の仕事をするんだ?」
「畑とか、狩りとか、です」
――――あぁ、そう言うことか。
アリサの世界の何十年も前の、家庭の一般的な姿と同じなのかと理解し、同じくリックに問いかけたレオンハートが理解した様子で頷いている。
――――いや、でも。これは、クディダラン三人組と一緒って、ことか。
この世界の教育水準何てこんなものだよなと、吐きたくなる溜め息と頭痛を堪えて、アリサはどうにか二人に向き直る。
「分かりました。簡単に説明しながらやりますので、覚えて下さい」
こうなっては、分かる人間が教えるしかあるまい。
若干不安を感じるが、やる気があるだけまともだと信じよう。
「お、おう」
「はい!」
素直な返事に相槌を打ち、自身の衣服の袖を捲り上げ、アリサは支度を整える。
「まず、ここにある椅子を全てテーブルの上に上げます。くれぐれも椅子の脚を上げないで下さい。上げるのは椅子を反対にして座る方を上げます。次に箒で床のゴミを集めます。この時、埃が立つので窓を開けるのを忘れずに、喉や鼻が敏感なら布を口元に当てて下さい。ゴミを集めたら拭き掃除です。どこまでやれば合格ラインなのか分からないので、小物や窓、床まで全てやるのが無難でしょう。高い順から行って下さい。最後に椅子を下げて、椅子とテーブルを拭き、掃除用具を手入れして終わりです。何か質問は?」
淡々と説明を終えたアリサは、二人に向かって問いかけるが、如何せん静かながらもどこか凄みのあるアリサの説明を受け、男たちは直ぐに反応を返せなかった。
「あ、あの……」
「はい。何ですか?」
「掃除ってやることそんなにあるんですか?」
リックの素朴な質問に、アリサは思わず目を見開いた。
アリサは特別難しいことを言った覚えはない。極々シンプルな方法を上げただけだ。はたきをかけたり、ワックス掛けをしたり、食器洗いなどないだけ遥かに楽チン。にも関わらずこの反応は、よく親元を離れて生活する気になったものだ。
「これは掃除でも一番簡単な方法です。おそらく、これは貴方方の家の母親や女中が毎日しています。か弱い女性に出来て、貴方方に出来ないはずがありません」
実際か弱いかどうかなんてアリサには全く分からないが、やや男尊女卑の思考があるこの国の少年たちには、十分な説得力があったようだ。
「それもそうだな、じゃあ早速始めるか!」
「そうですね!」
やる気が出てきたのか、声を出したレオンハートにリックが続いた。他の三人組に比べて二人が素直で良かったと、ホッとしながらアリサもまずは椅子をテーブルの上に上げるため、一つのテーブルに歩み寄る。
部屋四列並んだ巨大な長テーブル。その両端には三人掛けの木製の長椅子が置かれており、アリサはそれを楽々持ち上げてテーブルの上に上げる。
――――バタンッ。
大きな音が響き、アリサは驚いて音のした方向に慌てて顔を向けた。
「ごめんなさい! 思ったより椅子が重くて……」
どうやら長椅子を持ち上げようとして、リックが落としたらしい。
「俺も手伝うよ」
「ありがとうございます。ディックスさん」
「名前で良いよ。レオンでも構わない。敬語もいらない。今日から仕事仲間だからな。ランディムも良かったらそうしてくれ」
「では、私もアリサと、敬語も不用ですので……」
「了解。リック、アリサ。改めてよろしくな」
「レオンもこれからよろしくね」
少年二人がキラキラ瞳を輝かせながら、名前を呼び合う光景。
どこか懐かしさを感じながら、前向きに一生懸命な子供たちをアリサは一線引いた立ち位置で見つめていた。
――――何も知らない子供みたいって思ったけど、この子たちはまだ子供なのか。
この世界では成人手前だが、アリサの世界ではまだまだ子供。
名前で呼び合えばもう友達と言ったのは、いつの頃の友人の言葉だっただろうか。
ただ今のアリサにとって己の名前を呼ばせると言う行為は、ランディムの名を極力使わない為であり、自身が川口ありさでありたいだけの意味でしかない。
そこに親しみや寄り添いなど一切ないことに、子供たちはきっと気付くことはないのだろう。
――――この子たちは、お互いに仲良くやっていけると良いな。
心の中で僅かにざわめく罪悪感に、アリサは静かに蓋をした。
目の前の子供たちの、輝かしい始まりの日の光景に目を細めながら。
*****
どうにかお昼前までに掃除も終わり、三人は使った掃除用具を倉庫に仕舞い、会議室へと向かっていた。
「なんとか終わったね」
「あぁ」
「僕、掃除があんなに大変だったなんて知らなかったなあ」
「俺もだ。うちの使用人は毎日あんなことしてるなんて分からなかった」
初めての仕事が一段落し、男子二人は楽しげに会話を繰り広げる。
敬称も敬語もなくなると、すんなりと仲良くなれる二人をアリサは駄目だと思いながらも、心のどこかでその柔軟性や広い心うちが羨ましいと感じていた。
子供はどの国でも、どの世界でも、柔軟性が高い。
だからと言って、アリサが彼等と本当の意味で打ち解けられる日はないのだけれど。
「でも、アリサも凄いよね。平民ならともかく、男爵家の淑女なのに掃除のやり方を知ってるなんて、軍に入る前に勉強したの?」
「いえ、私は元々ランディムとは別の生まれなので、そこで学びました。ランディムは私の実家ではなく、訳あって養子縁組させて頂いているだけです」
「えっ?」
「えっええ、そうなのか?」
サラッとアリサが告げた言葉に、リックは首を傾げ、レオンハートは目を見開いて声を上げた。その声が本人の意図よりも思ったよりも大きくなったようで、直ぐ側で大声を出されたアリサは思わず頭に巻き付けたバンダナを押さえた。
「そんなに驚くことですか?」
「そりゃ! あぁ、いや。まあ、ううっ……」
即答しかけたレオンハートだが、直ぐにそれは失礼だと思い直したのか、言葉を曖昧に濁らせながら口を閉ざした。
「でもなんでアリサは、軍に入ったの? 確かに女の人もいるらしいけど、珍しいって聞くし、男爵家に養子になったなら生活は楽なんじゃないの?」
「まあ、貴族だから生活が楽とは限らないけど、貴族の養子縁組も色々あるからな」
レオンハートが答えにくそうに言葉を濁して流してくれるのに便乗して、アリサもリックの素朴な疑問を受け流した。
この国の女性はアリサのいた世界よりも早くに結婚するのが通例だ。だから、アリサのように職に就くのも少なく、軍に入る女性は極めて稀。故に、男社会に足を踏み入れたアリサの身の上に興味を持つのも無理はないだろう。
しかし聞かれたからと言って、アリサとて素直に何でも答えようとは思わない。全ての問いにアリサが独断で答えることは出来ないのだから。
「お二人は、何故軍に入ったのですか?」
今は戦争がないとは言え、集団生活を行いながら護衛任務や討伐任務を行う軍は、仕事の他に訓練などもあり、普通の業種よりも過酷と言っても良い。
貴族出身者は勿論のこと、試験を受けてまで平民が過酷な軍に入るなんて、アリサからすればそちらの方が気になった。
目的がないなら商人になる方がまだ楽だろう。
「僕は、ほら知っての通り家名もない田舎の出で、向こうにいる分には特に不自由はなく生活してたよ。勿論、貧しかったけど。でも、兄が父の跡を継いで他にも兄弟がいるから、ちょっとでも食費が稼げたらなって、やっぱり兵隊って賃金良いから」
「偉いな……」
「リックは家族思いなんですね」
聞いてみたら意外とありがちだが良い話だった。
騎士を夢見て田舎からと言うよりは、堅実的で実に家族思いだ。素直にアリサとレオンハートは感心した。
見た目年相応な彼は、見た目以上にシッカリしているのかもしれない。
「俺は、家が伯爵家だけど次男だからな。自分で自分の道を決めなくちゃいけないんだ。領地は少し王都より遠いから警備の人間も少なくて、兵で自分の力をつけて、いつか自分の実家や人手が足りない場所に人を派遣出来るようにしたいんだ。今は戦争もないし、難しいことじゃないと思う」
こちらもまた堅実的で思いやりに溢れた話をされて、アリサは先程二人を掃除も出来ない子供だと思っていたことを早合点だったと心の中で反省した。
彼等の考え方は、アリサ世界の故郷の国の学生よりずっと早熟だ。
――――私が彼等ぐらいの時、ここまでハッキリ目標持っていたかな。成人して、就職しても、代わり映えのない日々を送っていた気がする。
「それで、アリサは何でここに入ったの?」
――――前言撤回。
自分たちが言ったんだから教えてくれと言わんばかりに、再度訊ねて来たリック。
一体どんな答えを期待しているのか知らないが、やたらとキラキラとした好奇心旺盛なリックの、真っ直ぐな眼差しから目を背けながらも、アリサは溜め息を飲み込み観念した。
「私は、この国で外交官になれる立場になりたくて、軍に入りました」
「外交官?」
不思議そうに首を傾げるリックにアリサは頷く。
「でも、外交官ってかなり勉強したり、上の人間と交流がないとなれないぞ。特に、公爵家とか……男爵家の出でそこまでなれた人間は聞いたことないな」
何しろ国外との交渉を王族の代わりに真っ先にする人間だ。
それなりに地位がなければなれないし、そもそも一介の兵士がなれるかどうかも危うい。
思わず正論を述べるレオンハートに、アリサはいつもと変わらぬ淡々告げる。
「別に正式な外交官になりたい訳じゃないです。似たような立場で良いなら、軍が一番手っ取り早いと教えてもらったので。正式なルートでこの国以外に行ってみたいんです」
アリサは政をしたくて外交官になるわけではない。
ただ、このバーネス以外の国へ重要なポジションで行ければ、それだけでアリサの目標は一つ進むただそれだけだ。
「叶うなら、ここまで支援して下さった方の下につければと思います」
そう言ってアリサは、左手中指につけられた金色の指輪を反対の手でそっと撫でる。
手段はどうあれ、その考えややり方を導いてくれた人。アリサにとって、この世界で唯一約束を結んだ人。
「他所の国か。確かに、近くの小国なら兎も角、エンディーユとかムバヌは遠いしね」
「世界三大国で和平を結んだとは言え、まだまだ二か国とは交流が浅いからな……」
「確かその交流を広げたいって言ってるのが、エルダム皇太子殿下だよね」
「あぁ、まだ今年十六で俺たちとは一つしか違わないのに、ずば抜けた才能は周りからの期待も高いらしい。殿下の金付きになれば、アリサの夢も叶うんじゃないか?」
「えっ、まあ。大それた夢ですが……」
苦笑いを浮かべるアリサに、レオンハートもリックもそれに同意した。次期国王候補の金付きになるのは、地位の他に並大抵の功績がなければ難しい。
特に、エルダム皇太子殿下はバーネスに存在しないが亜人と呼ばれる人種との共存を目指していると噂されている。
彼が何故バーネスに存在しない人種に対して声を上げているかと言うと、彼等が多く存在するのはバーネスと同等の国力を持つエンディーユとムバヌこの二か国に集中しており、彼の国々との政ごとには不可欠な存在だからだ。
ただ、両国の亜人の扱いは両極であり、関係を結ぼうにもなかなか難しい。
バーネスには過去、近郊に存在しない亜人と距離を縮めようとした王は存在しない。だからこそ、成人前に新たな政ごとを始める意思を見せる若君に、あらゆる意味で注目が注がれているのだった。
「亜人か、僕見たことないな」
「俺もない。そもそも俺もバーネスから出たことないしな」
「僕も……」
「二人共。着きましたので、そろそろお喋りは控えましょう」
会議室の目の前に辿り着き、アリサは二人に待てをかける。歩きながらとはいえ、いつまでも喋っていては上司の心証は宜しくないだろう。
「それもそうだな」
「ありがとうアリサ」
素直な二人にホッと安堵しつつも、些細な言葉に気持ちを揺さぶられた己を、アリサは拳にグッと力を込めて叱咤する。
――――冷静に。冷静に。こんなところで心乱れては駄目。
まだ生活は始まったばかりだ。
決意を込めて力を拳の内側、爪を立てた掌には僅かに血が滲んでいた。