01-03 銀付き第八十七隊
全ての試合が終了し、合格発表の予定や連絡などを受けると、アリサたち受験者は解散した。
後日、宿泊先の仮住まいに合格通知が届き、内部的な手続きを終えるとアリサは再び城の門を潜った。
バーネスは、ヴァンガーディラ大陸において三本の指に入る大国である。
故に、兵士も他の諸国とは比べられない程多くの人数がいる。
昔は同じく三本指に入る他の二カ国や周りの諸国との戦争の為に確保していた人員だが、和平が結ばれてから四十年弱。今の軍は主に国の未開発地や、領地の警備に当たる仕事が殆どだ。
アリサの所属は、銀付き第八十七隊。
一つの隊に約三十人程が所属しており、今日からアリサもその内の一人になる。
金、銀、銅を含めると千を越える程の多すぎる部隊には、昔はそれぞれの役割や特性があったらしいが、今は殆んどそれ等が廃れ、金は近衛、銀は国軍、銅は領地軍ぐらいの区分け以外存在しない。
ただ、一から十までの隊。つまりは近衛には明確な順位があり、その数が若ければ若いほど上の位の王族に仕えていると言う意味合いがあった。
優秀な人材であれば、配属された部隊に関わらず、個人で引き抜きの声がかかることもあるが、基本的にバーネスは国力、軍事力を維持する為、隊全体のレベルを底上げするのが理想だと言う風習が根強く、新人が最初に入る部隊は運命の別れ道でもあった。
「ここかな……」
城の入り口で渡された自分の所属する隊とその宿舎の場所が書かれた紙を見て、アリサは首を傾げる。
中心地までは馬車がなければ、一時間は歩くほど広大な面積を誇るバーネス王宮。
その王宮敷地内には、銀付き部隊の一つに対して一つの宿舎があり、それ等宮を守るようにぐるりと配置されており、アリサの所属先の八十七番隊は城を中心にした南東に位置していた。
試験で使用されていた会場は、正門と呼ばれる玄関口から一番近い場所にあったので気にはならなかったが、改めて城の中へと入り、奥へ進む度にアリサは広すぎる敷地内で、自分は迷子にでもなってしまっているのではないかと不安を覚えた。
「合ってる、よね?」
アリサはメモの書かれた紙を見つめ、宿舎を見つめ、間違いがないか何度も確認する。
数十人が生活しているだけの事もあり、宿舎は大きくちょっとしたアパート並の大きさがあり、数多く存在する銀付きの部隊は、基本的にはその中で主な生活や部隊の軍事会議を行い、その近郊で訓練などをこなしている。
完全社宅制度は、血縁者のいないアリサや平民出身者、遠方地方から来た者にとっては衣食住が確保される有り難い制度であった。
近郊に住まう貴族出身者からは、言わずもではあるが。
「あの、ちょっと良いか?」
「はい?」
突然声をかけられてアリサは振り向いた。
「君、まさか。ここの部隊か?」
「はい。八十七隊に今日から配属されました」
「……マ、マジか」
顔に驚きの色を乗せたのは、見た目年齢約十五から十七歳ぐらいだろうか。
薄いブラウンの髪の毛は赤毛混じり、長さは短く切りそろえられツンツンと逆立った髪と、キリッとした瞳は彼を活発且つ利発そうに印象付ける。
肌はやや日に焼けているが、元は白い方の部類に入るだろう。輪郭はまだ幼さが残り、身長もアリサよりは少し高いが、ほぼ変わらずまだ発展途上である事が窺えた。
十中八九、同期の新人だろう。
ついでに言えば、試験会場で見た顔のような気がするが、アリサはあえてすっとぼけて真顔で少年に訊ねた。
「貴方も、ここの隊の方ですか?」
「えっ? あぁ、今日から配属される事になった君と同じ新入りだ」
「そうですか。よろしくお願いします」
「あぁ、よろしく……まさか、あの時のやつと同じ隊になるなんてな」
「えっ?」
後半ぼそりと呟いた彼の言葉が理解出来ず、アリサは思わず聞き返そうとすれば、慌てて彼は何でも首を横に振った。
「俺はレオンハート・ディックスだ。よろしく」
「アリサ・K・ランディムです」
「K? ミドルネームが付くのか? 確かこの前はなかった筈……」
バーネスでは名前にミドルネームが付くのは珍しい。
他国は別として、今でもミドルネームを持っている人間の殆んどは老年の世代になっている。
勿論、アリサもこの国の一般教養を習う際に聞かされていたが、彼女は敢えて正式な挨拶の場ではミドルネームを名乗っていた。
彼女にとって自分の名前は、今も昔も変わらず【川口ありさ】なのである。
ランディムはお世話になっている後見人がアリサの為に好意で貸してくれた名であり、アリサが本来使って良い名前ではなく、極力使いたくない名でもある。
しかし、家名がないのはバーネスでは田舎の平民出である証であり、何かと不自由を強いられる可能性もあったし、【川口】など明らかに存在しない家名を名乗る訳にもいかなかった故に、アリサはランディムの名を名乗っていた。
「この前? どこかでお会いした事がありましたか?」
試験会場で会った少年で、おそらくは間違いだろうが、アリサはそれを口に出さずに、以前どこかでお会いしましたかと、さも初対面だろと言わんばかりに首を傾げる。
すると、レオンハートは再び慌てて言葉を紡いだ。
「いや、試験の時だ。偶々試合で呼ばれるのを見たんだ。話すのは初めてだ」
変なことを言ったと、レオンハートは素直に謝罪した。
――――意外と素直。流石に初対面で変なこと聞いてこないか。
貴族のようだが、思ったよりも礼儀正しい少年だ。
試験会場での出来事から、少し警戒していたアリサではあったが、流石に相手も馬鹿ではなかったことに少しだけ安心した。
「では、中に入りましょうか?」
「あぁ、そうだな」
先の話をあえて広げず、アリサはレオンハートを誘い宿舎の中へと向かう。
場所があっているか不安だったが、同じ新入りが来たならば間違いはないだろう。
目の前にずっしりと構えた宿舎の扉を、アリサは気持ちを引き締めてゆっくりと叩いた。
*****
「今回、この六人が我が隊に入った新兵たちである」
よく通る。ハキハキとした声が部屋に響いた。
三十人弱の人数が集まるだけの余裕がある会議室は、アリサが昔通っていた高校の教室二つ分ぐらいの広さがあった。
広い部屋に隅々までその張りのある声を響かせているのが、この隊の隊長であるガイガン・オルクである。
ガイガンは背が高く、肩幅ががっちりとした体格で如何にも鍛え上げられた軍人と言った出で立ちに、金髪に薄いグレーの瞳を持ち、その風格とは裏腹に柔らかな笑みが印象的な人で、年若くまだ若く二十代後半らしい。
若さも熱意のあるガイガンは、まだ隊長としては日が浅いらしく、始まりの挨拶に力みを感じるが、彼の部下である他の兵達は、そんな彼の様子を特に気にした様子もなく規律正しくしていた。
「一先ず、新人たちの挨拶だな」
さらりと皆の前で自己紹介をしろと命じられると、ガイガンは容赦なく端に立つアリサにお前からだ、と目配せする。
「アリサ・K・ランディムです。本日からこの部隊にお世話になります。よろしくお願い致します」
名前が珍しいのか、はたまた新人唯一の女だからか、挨拶した直後に僅かながらのヒソヒソと囁き声が聞こえ、ガイガンがそれを諌めるように睨みを効かせて次を促す。
アリサもレオンハート以外の同僚の四人の名前を覚えようと、必死に自己紹介に耳を傾けたが、やはり元が日本人故か馴染みの少ない横文字の名前は覚えにくく、四人の内三人が貴族出で、一人が家名がないことぐらいしか記憶出来ずに終わった。
「他はまあ、追々皆の名前は覚えるだろう。新人以外は解散!」
締めの言葉がガイガンから発せられると、統率の取れた返事の後、会議室にいた先輩方は直ぐに部屋を出て行き、室内は一気に閑散とした。
「明日からは早速君たちも訓練に混ざってもらうが、今日はまず別なところからだ。話に聞いてると思うが、私達は集団生活をしている。食事は支給されるが、部屋の掃除や洗濯は各自で行う」
社会人として出来て当たり前のことを説明されながら、アリサはオルクの話に不満も疑問も抱かず頷く。
「これは軍の規約にも書かれているが、我々は任務で遠征に行き、野営は勿論宿住まいになることもある。その際に、己の身の回りの世話が出来なければ、不自由を生じる。任務では軍の人間以外は連れていけないかは、これは訓練の一環でもある」
王宮には女中も数多くいるのに、世話をしてくれる人間がいないなんてと文句を言う貴族出の子供は、これが嫌で軍に入りたがらない輩もいるし、それが出来ず入って辞めていくものもいる。
アリサからすれば、一番大変な料理をしないだけありがたいのだから、掃除や洗濯ぐらいすれば良いのにと思うが、そこは育った環境や考え方の違いなので、馴染めないのは仕方がない。
「まずは、この宿舎の掃除をしてもらう」
「掃除?」
新人の一人。朝日のように黄色みがかったブロンド髪に狐のようなつり目の少年が、ガイガンに言われた事をオウム返しする。
「そうだ。基本的に個人の部屋は自分たちで掃除をするが、共同スペース。食堂、浴場、トイレ、会議室などは新人が一週間掃除する決まりだ。後は隊員でローテーションになる」
仕事の出来ない新人からすれば掃除は任せやすく、比較的簡単な仕事だ。
アリサも社会人になったばかりの頃は、出来る仕事が少なく、時には掃除で時間を潰したこともある。
アリサのいた世界では、次の新人が入るまで入社歴の浅い社員が掃除当番を割り当てられてもおかしくないのに、この隊は基本的にローテーション式だというのだから、随分楽だなとアリサは思う。
しかしそう思ったのはアリサだけらしく、他の面々は多少の差はあれど、露骨に嫌そうな顔をしたので、アリサは内心ギョッとした。
――――上司の前でその態度は不味いでしょ。
「まずは、会議室と食堂だけでいい、午後からは水場だ。道具は、倉庫があるからその中だ。アリサ」
「はい」
「各部屋の鍵だ。無くさないように管理してくれ」
「かしこまりました」
微妙な反応を示した面々にはあえて何も言わず、ガイガンはアリサに倉庫の鍵を手渡し、会議室を後にした。
後から聞いた話だが、貴族出も多い軍は掃除をしろと言っても、大人しく従わない者も少なくはないらしく、アリサ以外のメンバーがした表情はさして珍しい訳もないそうだ。
初めは嫌がってもここにいる限りはしなければならない仕事なので、出来ない人間には辞めてもらう。それだけだ。
アリサにとっては当たり前のことが、他の面々には違うと感じられるのは、やはり皆がまだ十五歳前後の子供であり、貴族だからなのだろう。
文句を言いたいなら好きなだけ言っても構わない。仕事さえしてくれればアリサには支障はない。
「どうしますか? 二手に分かれるのが、効率がいいと思いますが」
仕切るのはあまり好きではないが、ガイガンが去った後も何もしない五人に対して、いつまでも黙っている訳にもいかずにアリサは口を開いた。
「そうだな。三人ずつになるのが一番だ」
「僕もそう思う」
レオンハートと、彼よりも頭一つ背の低い、小柄で赤毛のクルクルとした天然パーマな少年が同意してくれて、アリサは内心ホッとした。
――――一応、レオンハートと、この子は良い子みたい。確か、平民だったかな?
「貴方方もそれで宜しいですか?」
沈黙を貫く貴族出のお坊ちゃんたちにアリサが訊ねれば、一人の少年が苦々しい表情で口を開く。
「何で僕らが掃除なんかしなくちゃいけないんだ! 掃除なんて、女中の仕事だろ。クディダラン伯爵家の僕が掃除なんて!」
「全く、俺だって同意見だ」
「同じく」
揃いも揃って同じ事を言うのは、揃いも揃って黄金の髪を持つ三人組だった。
容姿もそこそこ似ているので、親族なのかもしれないとアリサは思いながら、真ん中にいる少年がクディダランと名乗ったことを忘れないように頭の中で何度も復唱する。
「レオンハート。お前だって伯爵家の人間だろ? 掃除なんて、そこの田舎の平民か、偏狭の男爵家の人間にやらせればいいと思わないか?」
クディダラン(真ん中)の少年は、先程の朝日色の金髪にトルコブルーのつり目でもって、赤毛の少年とアリサをチラリと見つめながらレオンハートに問いかけた。
平民は赤毛の少年。男爵家はアリサが名を借りているランディム家の位だ。地位から言えば、クディダランやレオンハートよりも二階級下になる。
「確かに、俺は伯爵家の人間だが、それは今の俺の肩書きじゃない。今の俺はバーネスに仕える新人兵だ」
「相変わらず古臭いなお前は、兵隊になったら家名を捨てるなんて、もうずっと昔の制度だろ? 今の貴族は皆、家名を持ったまま兵隊になる。自分たちの名を捨てるなんて、誇りを捨てるようなものだろ」
クディダラン(右側)の三人の中で一番背の高い赤みのある金髪に、濃い夕焼け色の瞳を持った少年がレオンハートに言い返すと、彼は何とも言い難い表情で口を噤んだ。
アリサには馴染みがないが、貴族には貴族なりの流儀がある。レオンハートにも思う部分があるのかもしれない。
「あの、立て込んだ話をしてるところすみませんが、割り当て早く決めませんか?」
「はあ、お前、話聞いてなかったの? 掃除なんて、お前たちがやりなよ!」
進まない話にアリサがあえて空気を読まずに口を挟むと、今度はクディダラン(左側)の三人の中で一番小柄でサラサラとしたプラチナプロンドにコバルトグリーンの瞳を持つ少年が吠える。
「確かに、もし貴方方が掃除をしないならしないでも構いません。頑張れば二人でもなんとかなります」
言えば、赤毛の少年は驚いた顔でアリサを見つめ、クディダラン三人組はニヤニヤと笑みを浮かべた。
「ですが、終わった後に二人でガイガン隊長に、貴方方が掃除をしなかったことを報告します。また、何故掃除をしなかったか、掃除をせずに何をしていたのかも一緒に報告します」
悪びれる様子もなく堂々と上司に告げ口をすると言われて、クディダラン三人組は目をパチクリさせた。
アリサにとって、任せられた仕事をサボるなんて有り得ないし、まして同じ班の他の人間の不正を見過ごすことも出来ない。後から怒られるのは目に見えているし、連帯責任を負わされる可能性もある。
何よりも軍にいる間はお金も食事も、寝床も与えてもらえるのだ。掃除だろうが何だろうが、して対価を返すのがアリサの中の常識だ。
だから他の人間が対価を支払わないなら、説教されるなり、軍を辞めるなりすればいい。
貴族なので、アリサや赤毛の少年よりは食い扶持に困ることもないのだろうから、勝手に好きにすればいいとアリサは内心思うのだ。
「それから、一つだけ言わせてもらうと、掃除が女中の仕事だと言うなら、貴方方は従わせている女中に出来る仕事すら出来ないと言うことを知っておいた方が良いですよ」
「なっ!」
「はあ?」
「僕らを馬鹿にするのか!」
「本当のことです。では、掃除をしましょうか」
「えっ、うん……」
喚く三人組を無視して、アリサが赤毛の少年を促し、掃除用具を取りに行こうとすれば、慌てて声をかけたのはレオンハートだった。
「お、俺も行く!」
別に来なくても良かったが、思い直したならそれでも良いとアリサはとくに何も言わなかった。
「おい、ちょっと待て!」
クディダラン(真ん中)が声を荒げたので、アリサと赤毛の少年は足を止める。
しかし彼は、人を呼び止めておいてなかなか口を開こうとせず、凄んだ目つきでアリサを見つめては、口をもごもご動かすだけ。
「もし、掃除をする気になったなら、貴方方には会議室をお願いします。物も少ないですから、箒でゴミを集めて、ぞうきんがけをすれば十分綺麗になると思います」
やらないなら後から自分達でやれば良い。最後まで面倒を見る義理も、時間も、親切心もないので、アリサは今度こそ三人組を置き去りにして部屋を去った。