01-02 アリサ・K・ランディム
腰に携えていた剣をコートの外に置き、アリサは準備万端と試験官に声をかけると、僅かに驚きに目を見開き固まっていた試験官は、確かめるように訊ねた。
「よろしいのですか?」
「はい」
新しい武器を構えるならまだしも、まさか丸腰になるとは誰も予想していなかっただろう。
だが、アリサはこれで良いと短くハッキリと答えた。
剣を習って約五年。運動神経には自信があるが、如何せん狩りの動物ならともかく対人戦闘は苦手だった。
こちらの世界に来て、初めて武器を握ったが未だに馴れない部分もあり、まだ武術の方が加減の感覚が分かりやすいので、怪我をさせる心配はない。
――――うっかり大怪我させたくないし、相手弱そうだし。
この五年。死ぬほど鍛えさせられた。
五年前のアリサなら、目の前の巨漢と戦えと言われたら、全力で否と答えただろうが、今のアリサは会場にいる誰に対しても、対峙しても怯むことはないだろう。
――――先生に比べたら、隙だらけ。
だが、そんなアリサの心情を知るわけもない相手の男は、先程まで浮かべていたパグのような笑い顔をグニャリと歪めた。
「おいお前! 戦う気がないならさっさと棄権しろ!」
唾が飛び出るほどの大声で吠える男に、アリサは首を傾げる。
「何故、戦う気がないと思うのですか?」
「てめえ! どう考えても丸腰で俺を相手にしよう何て、思い上がりも良いとこだろうが!」
「はあ?」
――――さっきから唾が飛び散って汚い。私はともかく、試験官にかかってないかな。
怒号を上げる男の唾に顔をしかめる傍らで、アリサはチラリと試験官の様子を伺いながら何と返答しようか考えた。
端から見るとその顔には、何故自分が怒鳴られなければいけないんだと、あからさまな不満が浮かんでいるように見え、余所見すらしているふてぶてしいその態度に、野次馬たちも思わず苦々しい表情を浮かべる。
「やれやれ、何考えてんだあの子」
「大人しく可愛くしてたら、痛い目見ないで良かったのに、向こうぶちギレ寸前だろ」
少し離れた外野の声を聞くに、アリサは自分が舐められているのだろうと理解した。
彼らも国軍の試験を受けに来たのに、随分と探知能力の低いことだ。
呆れながら内心溜め息を吐けば、視界の端に僅かに入る視線。
他の野次馬とは違う何かを秘めたその視線を無視して、アリサは男に向き直る。
「私にとって最善の選択ですが、何が不満なんですか? 貴方にとっては相手の武器が無くなるのは、悪い事じゃないですよね?」
アリサの言い分は間違っていない。魔法の使用が許可されていない状態で、武器を手放したアリサは普通に考えれば戦力が落ちる。
しかし生死を別つ戦場ではない力試しの試合で、他の人間が男と同じ立場になった場合。その奇行を素直に喜ぶ人間がいるかと思えば、なかなかいないだろう。
普通であれば、大方が男と同じように侮辱されていると感じる。でなければ、相当な楽天家だ。
だがその剣を、力を、魔法を誇りに思う世界とは異なる世界の感性を持つアリサには、その矜持を理解することは出来ない。
男は暫く理性と怒りの狭間で身を震わせていたが、数十秒後には落ち着きを取り戻したようで、冷静さを装いながら背中に携えていた剣を抜いた。
そこに笑みはなく、あるのは鈍く光る双眼。
「よろしいですか? それでは始めて下さい!」
試験官がスタートを切る。
ビリッと、一瞬にして空気が張り詰めた。
始めの数秒間、アリサと男は間合いを取り合い、互いに構えた状態のまま動かなかった。
「はっ、調子に乗った事言った割に来ねえのか?」
「いえ、自分の行きたい時に行きますので、お構いなく」
「ちっ! いちいちムカつく餓鬼だな!」
「貴方こそ。失礼ですが、その言葉使いで王宮に仕えよう何てマズいのではないですか? 国軍は上下関係も厳しいらしいですから、後から苦労しますよ」
怒鳴り散らす男に対して、アリサは淡々と言葉を返す。
「お前の方こそ餓鬼のくせに、その生意気な口塞いでやる!」
間合いを取り、一定の距離を保っていた二人が、怒りに声を荒らげて剣を掲げた男によってその距離は一気に縮まった。
鋼色の刃が日に当たり煌めく、男が振りかざした剣がアリサ目掛けて、上から一直線に振り下ろされた。
――――キィン。
響いたのは高音。
普通、戦いにおいて響く高音と言えば、剣と剣が交わる音だ。しかし、アリサは先程剣を置いてしまい、戦いには用いていない。では、今聞こえた音はどこから聞こえ来たのか。
「いない!」
男の声とは異なる、まだ年若い少年の声が叫ぶ。
振り下ろした剣の先に、アリサの姿がなくなっていた事に気が付いた彼の声に反応し、周囲の観客たちもアリサを探そうとコートを眼を凝らして見つめ始める。
「はあっ!」
フッと一陣、風が瞬く。
剣を全力で地面に打ち付け、僅かに苦悶の表情を見せる男が、声の聞こえた真横に目をやる刹那。
跳躍したアリサの足が男の視界を埋め尽くす。
男の顔程の高さまで浮いたアリサは、素早く足を引き反動を付け、男の顔面目掛けてその足を叩き込んだ。
「がはっ!」
ドカッと鈍い音が響き、男の体が横に流される。そしてそのまま男は力に押されるまま、体をフワリと浮かばせて宙を舞う。
周囲にいた人間は、揃って目を見張った。
よもやその光景は、夢か幻想かさえ思い違う程、あっという間の瞬く間の出来事。
「う、うそだろ……」
「おいおい……」
「マジかよ」
観戦していた男達が、みな唖然と口を開いて思わず呟く。
アリサに強烈な蹴りを顔面に入れられ、バランスを崩した男は、そのまま地面へと崩れ落ちた。
その反対に、アリサは難なくスタッと姿勢を崩さず地面に足を着ける。
乱れぬ息、流れぬ汗。その表情は特別な変化も見られず、こうなるのは至極当然な事であると言わんばかりの平静さに、周りからザワリザワリと声の波紋が静かに広がっていく。
「アイツ。一体どんな力を使ったんだ」
「何で男が倒れたんだ?」
「自滅じゃねえよな。蹴り入れるとこは見たぜ、俺は」
「けど、最初に仕掛けたのは、男の方だろ」
広がりつつあるざわめきに、アリサはとっととこの場から去ろうと決意する。
――――これ以上見せ物になるのはごめんだわ。
「あの、終わりましたが……」
「えっ、あっ、はい!」
観客と同じ唖然と口を広げてアリサと男を見つめていた試験官に向き直り、アリサは早くしろと心の中で念じる。
念のため確認なのか、試験官は律儀に倒れた男の側に駆け寄り容態を確認する。
ピクリとも動かぬ男。
片頬に真っ赤に腫れ上がった痣が残っているところを見る限りでは、ダメージは相当なものだろうが、命に別状はない。
――――手加減が上手く出来て良かった。骨折させたら大変だし。
気絶しているだけだと、試験官が結論付けるとアリサは内心ホッと息を吐く。
一先ず、一勝。
床に置き去りにした剣を拾い上げて、腰に携える。
「勝者。アリサ・ランディム!」
広いコロッセウムの片隅。コートの一角で、アリサの試合を目撃した人間達が驚きに包まれる中、一人の少女の名前が響いた。
*****
ペコリと試験官へ一礼し、アリサは倒れた男には目もくれずに背を向けた。途中にコートの外に置き去りにした外套を拾い上げて客席の方へと歩み寄るアリサを見て、先程の試合を見た人間は、まるで彼女がいつ襲いかかるか分からない獣のように、慌てて離れていく。
アリサはそんな周りの行動など、まるで興味ないと言わんばかりにスタスタ歩き観客席に着くと、人の少ないスペースを探して静かに椅子に腰掛けた。
下位のスペースでは既に次の人間の試験が始まろうとしており、彼女はただそれを静観する。
――――視線が、鬱陶しい。
チラチラと好奇の目を向けてくる周囲の人間。
その中に、先程の試合で唯一アリサの動きを僅かに捉えた少年が、こちらをジッと見ていることにアリサは気が付いた。
周りの異様なものを見る視線とは少し違う。
しかし、彼も周囲の視線と同じくアリサが無視を決め込めば、程無くして諦めたのか、興味を無くしたのかは分からないが、視線をコートの方へと戻した。
暫くすると、一回目の試合が粗方終わり二回目の試合が始まった。
二回目の試合は魔法の使用が許可される。アリサに魔法は使えない。だが、相手が魔法を使える以上、対策は考えなければならない。
――――炎や防御系なら何とかなるけど。変わったやつは相手に使わせないぐらいのスピードが良いかも。
思考を巡らせながらも、目の前では着々と試合が進められていく。
先程アリサをジッと見つめていた少年も呼ばれて、アリサのいる席のコート前で炎の魔法を扱う男と戦い、危なげなシーンも多々あったが、少年は防御魔法と剣術を使って勝利を収める。
二戦目の試合は、剣では勝てなかった相手でも、魔法を駆使すればその状況は逆転する場合がある。ただ、手数が多くなるのは相手も同じで、二戦目の試合は一戦より長引く場合も多かった。
幾つかの試合を見終えた後、アリサは再び名前を呼ばれてまたコートへと降り立った。
剣を再び置こうか悩んだが、自分が魔法を使えず相手が使える以上は、使えるものはあった方が良い。
――――剣なんて、使わない方が良いけど。
アリサはチラリと、目の前にコートに足を踏み入れた対戦相手を見つめる。
相手の男は、茶色がかった金髪をオールバックにまとめ、動きやすそうなロングブーツに簡易な甲冑を手足や胴に装備していた。先の男よりは細身だが、ガッシリと鍛えていそうな体つきと、甲冑、携えた剣を見るに剣術が得意。なのかもしれない。
だが、正直なところアリサに戦闘においての嗅覚はまるで携わっておらず、今も考えているのは、相手があまり魔法を使えないと良いなぐらいのものだ。
――――魔法使うか、パッと見じゃ分からないのが不便。
イギリス童話の魔女のようにもう少し分かりやすいと良いのにと、内心思いながら試験官が号令の合図を聞き、アリサは構える。
「先程の試合、見させてもらいました」
「はあ?」
アリサの対戦相手の男は、つり目な目尻と同じように口先につり上げニヤリと笑みを浮かべると、号令がかかったにも関わらず、戦いを始めずに呑気にお喋りをし始めた。
「その痩身で、あの蹴りの破壊力。おまけにスピード。なかなかの力の持ち主と言えますね。まあ、彼がやられたのは七割程、油断していたせいですが」
「はあ……」
男の言うとおり、先のアリサの対戦相手は油断しきっていたが、だからどうしたとアリサは首を傾げる。
「ですが! 二戦目からは魔法の使用が許可されております! したがって、君がこの試合に勝てる確率は限りなく低い!」
――――何だろう。イラッとする。
やや芝居がかった口調の男の、演説のような語り部にアリサは露骨に溜め息を吐いた。
堪え切れずに口から出てしまったのだから、仕方がない。
今、長々と隙だらけで語っている相手は、アリサが剣を構えて切りかかったらそこで試合が終わると言うのが分からないのだろうか。
確かに、二試合目からは魔法の使用が許可されている。一試合目に負けてしまった者でも、魔法が得意であれば、挽回するチャンスがあるのだが、魔法を必ず使わなければならない訳ではない。まして、人によっては使うことすら出来ずに終えるものもいる。
だからこそ、さあ攻撃してくださいと言わんばかりの態度は如何なものか。
――――国軍希望者って、レベル低い。
「あの?」
「何でしょう?」
「まだ話し終わらないですか? こっちから仕掛けた方が良いですか?」
「はい?」
面倒だが言わずに突っ込んでも少々つまらない。
全力で試合に臨まなければラッキー勝ち何て言われてしまうかもしれない。
そう考えたアリサは、ご丁寧に片手を上げて相手に一言断りを入れた。
「ほら、あんまり長引かせると他にも待ってる人いるじゃないですか。早く始めた方が良いんじゃないですか?」
あくまで平静に淡々と語るアリサに、気持ち良く語っていた対戦相手も、ややムッと腹を立てた様子でようやく手にした剣をギュッと握り直す。
「良いでしょう。なら始めるとしましょう。ですが、折角です。最初の一手をあなたにお譲りしましょう」
何が折角なのか分からないが、男は随分と変わった思考の持ち主のようだ。
その点においては、試合を丸腰で受けたり、剣を構えたりしないアリサも負けてはいないが、今の会話の流れで男が何故先手をわざわざ譲ったのか、アリサにはさっぱり理解出来なかった。
「はあ、まあ。じゃあ……」
相手の思考が読めないながらも、いつまでも動かない訳にもいかず、先手を素直に受け取る事にし、返事を適当に返して駆け出す。
アリサが素早く一気に駆け込むと、男とアリサの距離は瞬時に縮まった。
真正面から足を振り上げ、男の鳩尾を狙ったアリサ。先程の試合で見せた強烈な蹴りが、男の腹部にめり込まれるイメージを思わず、周囲の観客は頭に浮かべた。
――――ゴォオオ。
しかし、その足が男に届く寸前に、アリサは慌てて身を引き後退した。
眩い光りと共に轟々と燃え盛る火柱。
先程アリサが立っていた場所には、炎が大きくうねりを上げて立ち上がっており、後少しアリサが身を引くのが遅ければ、大火傷をしていただろう。
「……魔法」
「さよう。二試合目からは魔法の使用が許可されています。馬鹿正直に突っ込んで来るなんて、浅はかにも程がありますね」
「先手を譲られたのでは?」
「戦いにおいて、あの程度のフェイク。信じる人間の方はそうそういないでしょう」
ニヤニヤと口角をつり上げる男に対して、アリサは何も言い返さなかった。
「肉体派のあなたは炎の壁に遮られ、私に近付くことが出来ない。最も、あなたが水の魔法を得意にされたら、話しは別ですが……」
男はイヤらしく笑いながら、まるで舞台の語り部のように楽しげに語る。
確かに炎に対抗するには、水の魔法が最も有効ではある。だが、例えアリサが水の魔法を使えたとしても、男よりも魔力が下回れば、それは意味をなさない。
そもそもとして、アリサは魔法が使えないので、己の身でどうにかするしかないのだが。
「魔法は使いません」
「ほお?」
「炎の柱でも、壁でも、何でも使いたいなら使って下さい」
あくまでも、表情を崩さないアリサに、男はニヤニヤ笑いを止める。面白くないと露骨にその表情が語った。
「ならば、勝負を捨てるのですか?」
「いえ、剣も、魔法も使いません。使わなくてもあなたに勝ちます」
「はあ?」
男は訳が分からず声を漏らすと、それと同時にアリサは再び駆け出す。
「なっ!」
無謀にも、再び真っ正面から距離を詰めてくるアリサ。男はアリサ目掛けて、炎の魔法で作り上げた火球を幾つも放つ。
しかしアリサの足は、男が放つ攻撃を難なく避けながら、止まることなく前進する。
最初の試合で見せた時よりもアリサの動きは全力に近く、彼女の素早い動きを捉えられた人間は、会場の中でも極僅かしかいない。
当然、アリサの対戦相手もその動きを追い切ることは出来ず、迫り来る威圧を受けて、素早く意識を集中させた。
「くっ!」
男がバッと腕を振りかざすと、己の身長より一回り高い炎の壁を作り出し、自身の周りをぐるりと囲む。
「どうです! いくらあなたが素早く動けても、この炎の壁は破れないでしょう!」
渦巻く炎の中心から聞こえる男の声。これでは確かに、男に近付く前に丸焼けになってしまう。
「全く、大事な試験で全力を出さずに驕るだなんて、なんて愚かなことでしょう!」
「その言葉は、そっくりそのままお返しします」
「ふふふっはははぁぁああ! へっ? ……えぇっ! 何故!」
「何故って、壁を作る前に壁の内側に入っただけです」
己の眼前足下にしゃがみ込むアリサを視界に入れた男は、高笑いをピタリと止めて、驚愕の色を表情に浮かべ目を見開いた。
「馬鹿な! 壁の内側に入れる位置までは、まだ距離があった筈!」
「ちょっと本気で走り込んだら間に合いました。まあ、間に合わなくても他にも手はありましたが……」
「なっ!」
「言っておきますが、試験に手を抜いているつもりはありません。剣や魔法を使わないからといって、相手が全力を出さないと思わない方がよろしいです、よっ!」
そう言って、男の返事を待たずにアリサは立ち上がると共に、男の顎目掛けて蹴りを食らわした。
男の体は垂直に宙に浮き上がる。その高さは男が生み出した炎の壁よりも高く、凡そ五メートル程はあった。
ざわつく周囲。その声に反応して、少し離れた場所にいた受験者や試験官は、思わずアリサ達がいる炎の壁に視線を移す。
「なっ、なんだぁ!」
「おい、中にいんのは風の魔法でも使ってんのか?」
「人が飛んでます!」
「じゃあ、あの炎はなんだ?」
「見事に吹っ飛んでる」
「あれは、あの吹っ飛ばされてる男の魔法だ」
「はあ?」
「相手は誰だ! 男ぶっ飛ばすなんて、どんな剛腕の持ち主だよ!」
「あんな強力な風の魔法使えるやついるのかよ!」
今までアリサ達の試合に関心のなかった者達が、口々に騒ぎ出す。
「中にいる者は、魔法を使っていない」
「はあ?」
「馬鹿か。魔法使わないで人間が宙に浮くか!」
「有り得ないな」
騒ぎの中心で。その、試合を片時も目を放さず見つめていた少年の発言に、周囲は更にざわつきを深める。
しかし、その少年の発言を援助するように、彼と同じくアリサの試合を見ていた者たちが口々に声を揃えた。
「本当だ。おまけに、相手は剛腕の持ち主にはまるで見えない。見た目はただの子供だ」
「子供?」
「こいつと同じぐらいのか?」
「なら、年は十五歳? 馬鹿言うな、成人手前のガキじゃねえか」
「そんなもの、あり得ない」
「見れば、分かる」
「……直に、理解する」
「見てみろよ」
アリサの姿を見ていない者たちは、何の冗談をと堪え切れない笑いをゲラゲラ溢した。
しかし、当初から試合を見つめていた少年を始めとする複数人の観客は、静かにコート中心で渦巻く炎の壁を見つめる。
――――ドサッ。
宙に浮いた男が、地面に体を打ち付ける音が耳に入る。ついでに、カランと男の手にしていた剣が地面に落ちる音も。
炎の壁が上から徐々に雲散し、熱気が次第に治まっていく。
ゆっくりと観客たちの視界に見えてきたのは、黒い髪、ベージュの上着、ダークブラウンのベルト。更にベージュのズボンと、同じくブラウンのブーツと、そのブーツの下敷きにされている男の姿だった。
「ぐっ!」
鋼色の甲冑にめり込む、アリサのダークブラウンのロングブーツ。
踏みつけられている男は身動き一つ取れず、それでも意識だけはあるのか痛みに呻き声を上げた。
「おいおい、マジかよ」
「あんな細っこい餓鬼に?」
「おい、あいつ。さっきも一試合目に自分よりもデカい男を蹴りで吹っ飛ばした奴だぞ!」
「はあ! 蹴りで?」
「しかも、吹っ飛ばされた男は、まだ意識が戻らないらしい」
「ど、どんな化けもんだよ」
「どんな魔法使ったら、そんなの出来んだよ!」
静かに立ち尽くすアリサを見て、いつの間にか数多く集まったギャラリーが口々に騒ぎ立てる。
化けものはやや言い過ぎかもしれないが、二試合とも丸腰のまま勝利したアリサには、けしておかしい例えではないのかもしれない。
遠くからでもその声が聞こえてきたアリサは、内心腹立たしくは思ったものの、表情には出さず男を踏みつける足に力を込めた。
見た目に反して、人並み以上の爆発的なエネルギー。パワーを持つ者。
――――まるで、亜人だ。
小さく、本当に小さく少年が溢した声。
それを耳にしたものはいなかった。アリサ以外。
亜人はヴァンガーディラ大陸に存在するが、バーネスには存在しない。
人の姿でありながら、獣の血を持ち、人とは異なる力を持つ者。
魔物と人の狭間者と揶揄される存在。
不意にパチリと、アリサと少年の視線が絡み合う。
だが、アリサはレオンハートと合った視線を直ぐに外し、対戦相手の男から足を放すと、クルリと体の向きを変えて歩き出した。
「勝者、アリサ・ランディム!」
試験官の声が再び響き渡る。
アリサはそのまま振り返らずに、少年がいる方向とは反対側に歩いていった。
これが、アリサ・K・ランディムと、そして少年レオンハート・ディックスのターニングポイントとも言える、出会いであった。