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亜人にされた少女  作者: 尾崎世奈
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01-01 レオンハート・ディックス

「レオン兄様、もう行っちゃうの?」

「リリアークリュ、そろそろ行かないと」


 淡い夕焼け色のドレスを身に纏うまだ十にも満たない幼児が、涙を必死に堪えて旅立つ兄を見送ろうとしている。

 しかし、その手は兄のズボンの裾をギュッと握り締め、兄の旅立ちを妨げているようにしか見えなかった。

 可愛い妹の見送りに心引かれるものがあったが、彼の出立は既に決まっており今更どうこう出来る問題ではない。


「立派なレディになるんだぞ」


 幼児の頭をポンポンと撫でると、リリアークリュは堪えていた涙をボロボロと溢し始め、後ろに佇む母の元へ駆け出す。声を上げずに泣く姿は痛ましくもあり、立派な貴族の淑女の姿であった。

 彼が帰省する頃には、もっと立派なレディになって、きっと自身を驚かせてくれるだろう。


「レオンハート、道中気を付けて、試験もしっかりな」

「ありがとう、ラーガ兄様」


 次期伯爵家当主である兄ラーガロウが、レオンハートと呼ばれた少年の肩を激励と共に叩く。

 絵に描いたように、優秀で、優しい立派な兄。自身が彼の仕事を直接手助けすることは出来ないけれど、将来領地を治める兄の負担にならないように、レオンハートは強い決意を新たに、敬愛する兄へ別れと決意の笑みを浮かべた。


「今年はまことしやかに、エルダム殿下が金付きを編成すると噂されている」


 兄の後ろから、父と、リリアークリュを宥めながらその隣に寄りそう母がレオンハートの前に歩み寄る。


「噂と言っても王付きのダーグンヴェゼ様も動かれているのだから、ほぼ間違いないだろう」

「はい」

「銀付きになるのは当然として、叶うならばお前もエルダム殿下の直属に選ばれるように」

「努めて参ります。父様」


 王家直属の近衛入りは難しいと分かっているが、そもそもとしてチャンスが巡って来なければ縁がないもの。難しいと分かって、けれどチャンスがあるお前は運が良いと激励する父に、レオンハートは姿勢を正して返事をした。


「体に気を付けて」

「はい、母様」


 レオンハートの手を取り優しく頭を撫でる母に、照れ臭さが込み上げてくるものの、このたおやかな笑みとも暫くお別れなどだと思うと、胸の奥がギュッと切なくなる。


「王都で悪さをしないようにね。素敵な方を見つけたら、先ずは報告をなさい」

「……えっ、はい。出来ましたら、その。報告致します」


 変な女を引っ掻けるなと、含みのある母の笑みにレオンハートは苦笑いを浮かべる。

 正直、働きに出るのにその辺に構っていられるのか分からないが、身分にそぐわないことはするなと再三言われているので、大丈夫だと信じて頂きたい。

 母の横で敢えてなのか、視線を反らす父と兄の意図が今のレオンハートには分からないが、暖かな家族の見送りを受けて、彼は屋敷の前に構えていた領地を出る業者の荷馬車に乗り込んだ。


「行って参ります」




 レオンハート・ディックス。

 ヴァンガーディラ大陸にあるバーネスと言う国に属する、東側の領地の一角を賜るディックス家の次男として、彼は産まれてきた。

 父親は伯爵の位を持ち、上に跡取りの兄が一人、下にはまだ幼い妹がおり、三兄弟の真ん中であった彼は、兄よりは自由に、妹よりは放任されて生きてきた。

 貴族の子供と言うのは、庶民とは異なり生まれながらのそれぞれの役割がある。

 長男は父の跡を継ぎ王の下に付き、領地を統括する。

 女は順序関係なく、家の為により良い血筋との縁を結び、子を産み育て次世代を守る。

 そして、次男は現当主の考え方に準じて、兄の補佐を勤めるか、国に仕える軍人になるか、はたまた身分を変えて商人になる、神官になると、選択肢が複数に分かれてしまう。と言えば聞こえがいいが、要するに貴族の中でも名家でもない限り、特に役割はないと言われているようなものだ。

 現当主の考えによっては、次男も領地に残る事を求められるものもいるが、それが良いとされるのもその領地次第。人によっては次男故に上にも立てず、領地に閉じ込められるものもいる。

ただ幸運な事に、レオンハートには幾分か国に仕える為の才とメリットがあった。故に、多くの貴族の次男以降がそうしているように、レオンハートは王に仕える軍人になるために領地を旅立つ事になったのだ。


「お久し振りですね。レオン様」

「あぁ、今回はしばらく世話になる」


 ディックス家の正門前に二頭馬車を引く業者の男は、小柄で細身であるが、たっぷりとしたアゴヒゲを伸ばし、笑うと目が細くなる温和な男だった。年は四十の前後と聞くがまだまだ活動的で、年の半分をこうして王都を離れた領地へと足を運んで商売をしていた。

 レオンハートも昔からディックス家に時折訪れていた事もあり、顔見知りだ。


「レオン様ももう王都に旅立たれる年とは、時の流れを感じますね。私の旅物語に瞳をキラキラさせていたのが、懐かしいですよ」

「そうか、今でもヘンラーの旅物語は興味深いよ。また道中に聞かせてくれ」


 是非と笑みを深める彼に、レオンハートはホッと安堵する。単身王都に向かうのは不安がない訳ではなかったが、彼の話を聞けるのならば道中そんな不安は消し飛ぶだろう。

 彼が旅した数々の場所。王都はもちろんのこと、ディックスから少し離れたランディム、オルク、フォント、ランカーやムバヌにも訪れたことがあると聞くのだから、その語り部に飽きることはない。


「商売道具もありますので、居心地はさほどと思いますが、寛いで下さい」

「ありがとう。助かるよ」


 道中は長い。道程は一週間ばかり掛かるだろう。

 途中で馬引きを交代するつもりなので、今だけはレオンハートは別れる故郷を目に焼き付けながら、揺れる馬車の中で寛ぐ事にした。



 *****



「勝負有り、そこまで!」


 試験官である軍の騎士の止めが入り、レオンハートは相手首筋に構えた剣を下ろした。

 それなりに危なげなく戦えたかと思うが、試験官から何の反応もないのも落ち着かない。

 相手受験者に礼をして、持ち場を離れる。先程までぎらついた目をした己の対戦相手が酷く落ち込んでいるのを見るに、彼はどこかの貴族の家柄出身のようだ。

 何となく顔に見覚えがあったが、名前すら知らない相手の事を今構うべきではないと、レオンハートは試験官に向き直る。


「お疲れ様。二試合目までは少し時間がある。邪魔にならないように。指定の場所以外に入った場合と、試合に呼ばれても出てこない場合は、その場で失格だ」


 気を付けろと、淡々とした口調でレオンハートの試験官を勤めた男が注意を促すのを聞き、レオンハートは素直に首を縦に振った。


――――取り合えず、何とかなったな。


 ホッと安堵しながら、試験官に言われた通りレオンハートは大人しく次の試合に備えて、その場合から離れて待機することにする。


「さて、どうしようか」


 指定の場所以外出歩くなと言われれば、行動範囲は限られてしまう。

 バーネス王都中央区。王城下の軍事施設の城からやや離れた一角。コロッセウム型の大きな闘技場は、昔の王が趣味で作らせたものだと聞く。

 巨大な施設の中央は、正方形の石床が美しく配置された巨大なフィールドになっている。そのフィールドを囲むように設置された椅子は五階建てになっており、全席が中央を見渡しやすく設計されていた。

 ただ、昔も身分差で席が決まっていたのだろう。各層ごとに椅子などのデザインは異なり、その装飾は上層に行くほど一席が広く絢爛になっていたが、全体的な規模や歴史を知るに、全盛期は王の趣味が多くの人間の娯楽として浸透していた様子が伺えた。


「……取り合えず、観戦しておくか」


 試験の邪魔にならないように、観客席の方へレオンハートは足を運ぶ。チラホラと自分と同じように順番待ちをする受験者から適度な距離を保ち、適当な場所に腰掛けた。


――――昼過ぎからやって、半分は終わったのか。戦闘不能になってたやつもいたな。


 レオンハートが下界のフィールドを見渡せば、あちらこちらから剣がぶつかり合う光景や、色とりどりの光がはぜる。

 巨大なフィールドは、石灰でラインを引かれて十の小さなコートがあり、一体一の実技がその十の小さな箱の中で順に行われていた。



 国軍に入る試験は、年に三回行われている。

 一つは、貴族、平民の身分を問わず、年齢の線引きなく受けられる試験。

 こちらは年に二回行われ、王国使いを夢見る冒険者や傭兵、一般市民などの平民が主に受け、合格者は銅付きと呼ばれる兵士になる。

 正確には国軍ではなく領地に仕える兵士だが、それでも安定した収入を求める者たちが毎年千人規模で集い、狭き門の前に立ち並ぶ。

 もう一つは、主に貴族や訓練兵を中心とした試験。

 こちらは年に一度しか行われず、受験するには十五歳以上でならなければならない決まりがある。

 また、将来的に隊長クラスの人材を選出する目的もある為、学科と実技の二つの試験があり、実技は学科試験を合格しなければ受けられないので、難易度はもう一つの試験よりもグッと上がる。

だが、先の試験より厳しい目で見られる代わりに、合格者は銀付きと呼ばれ、銅付きよりも上の配属や地位が与えられるのだ。


――――二試合目、次勝てば合格は確実。だが……


 試験会場に数十人いる現役の国軍兵である試験官たち。

 厳しい目で各々の担当する試合を見つめる彼らを、レオンハートは上部からジッと観察した。

 伯爵の地位を持つ父の情報が確かであれば、今年の銀付きの中から僅か一握り。

 部隊長よりも更に上の、金付きと呼ばれる王家直属の近衛の編成に加えられると噂されている。

 選考基準は明らかにされていないが、近衛の候補に名を連ねれば、配属先や勤務、賃金なども他の隊員よりも優遇され、レオンハートのように貴族出身ではあるが後継ぎではない人間が、名誉や地位を持つことが出来る可能性がグッと高くなる。

 故に、今年は貴族の受験者が例年より多い。

 貴族出の受験者はほぼ全員と言って良いほど、金付を目指しているのはまず間違いないだろう。


――――流石にどうやってそれを選んでるかなんて、パッと見じゃ分かんないよな。


 考えても分からないものを、いつまでも悩んでいるのも仕方がない。

 レオンハートは試験官たちから目を離し、各試合の観察に目を向けた。


「次、アリサ・ランディム! 前へ」

「……はい」


 勇ましい号令の次にレオンハートの耳に入ったのは、透き通るような声だった。

 野太い男たちの声に混じる高音に、珍しく女性の受験生がいたのかと、レオンハートが音の先へと顔を向ければ、自身からそれほど離れていない場所に腰掛けていた外套を纏う人物が立ち上がり、素早く下へ降りていく。

 その人が呼ばれた先はレオンハートの真ん前のコート。

 コートの前に立ったその人は、纏っていた外套を脱ぎ捨て、闘いの場に足を踏み入れた。


「あれは、女の子?」


 つい口から零れたレオンハートの呟きに同意するように、周りにいた人間も彼女を見詰めてボソボソと、声を漏らす。

 アリサと言う少し聞きなれないが女性らしい音の名と、高い声。何よりもその人の見た目は間違うことなく、レオンハートと同じくらいの少女の姿だった。

 黒い短く切り揃えられ、肩先に触れるかどうかのサラサラとした髪。その頭には、幅の広いベージュのバンダナを巻き付けている。小柄な体は肉付きが悪く、筋肉があるのか疑わしいぐらいほっそりとしていた。ザッと見積もっても身長は百六十以下、体重は五十あるかどうかさえ怪しかった。

 バンダナと同じベージュの上着と黒のズボンに、ダークブラウンのベルトとロングブーツと格好は至ってシンプル。

 軍人の試験に防具を何一つ着けていないのはおかしかったが、剣だけは体に見合った長さの物を腰のベルトに携えている。

 剣がなければ町の平民が紛れ込んだかのようにも見えるが、アリサは試験官の前に歩み寄り、対戦相手が呼ばれるのを静かに待っていた。


「女、だよな?」

「胸はねえが多分な? 戦えるのかねぇあんな成りで」

「直ぐに逃げ出すんじゃねえか? ああ言うのは相手が一発食らわせただけで泣き出す」


 レオンハートの近くにいた外野が、アリサを見てゲラゲラと笑い出す。

 うるさい奴等だとレオンハートは眉間に皺を寄せるが、注意する前に試験官がアリサの対戦相手の名を呼び、タイミングを逃した。


「ひゅ~! あれは、大当たりだな」

「馬鹿、お前。あれは大外れだろ」

「いやいや、ある意味大当たりだろ。あのごろつきからすれば」


 名を呼ばれてコートに足を踏み込んだ男を見て、野次馬たちはニヤニヤと笑う。戦う前から勝敗を決めつける考え方は浅はかだと思うが、今回ばかりはレオンハートも彼等と同意見だった。

 アリサの前に対峙した男は、彼女と同じ受験生。

 だが同じなのはそれだけであり、その他の部分は何から何までアリサとは違った。

 まず身長。小柄なアリサに対して、男は二メートルはありそうな巨体。更には縦だけではなく横にも大きく、幅はアリサの二倍近くはある。

 しかもただデカいだけでなく、服の下に隠されている強靭な肉体は鍛え抜かれた戦士さながらで、背中に背負った剣はアリサの持つ長剣が棒切れに見える程の大剣だった。

 アリサと同じ黒髪でありながら、彼女とは異なり癖毛でうねるネットリと脂ぎった髪の毛を紐で一本に束ねて、琥珀色の瞳を持つ男は、アリサを上から見下ろしニヤリと笑う。

 やつの気持ちを代弁するならば、恐らくは。


――――あぁ、こいつは楽勝じゃん。



 だろう。

 大口をにやりと弧を描いた姿はなかなかの悪役面で、表情をピクリとも動かさないアリサとの対比はなかなかのものだ。

 しかしレオンハートも、男の気持ちが分からなくもない。

 身長、体重、パワー、武器のリーチ。そして、経験値。

 どこかの領地で用心棒でもやっていたのか。緊張した様子の一切ない佇まいは、誰の目からも男が力ある故に余裕を持つ者だと理解させた。

 震えてこそいないが、ただボケッとその場に立っているアリサはどう見ても素人。キツい相手に、レオンハートは他人事ながら女の子であるアリサに同情した。

 勝つ見込みはほぼ零。運のない奴だと周囲からは憐れみさえ感じる。


「両者。確認しますが、相手を殺してはなりません。怪我を負わせた場合こちらの判断で戦闘続行かどうか判定します。武器は何を使用しても構いません。相手に一本取れば勝ち。一試合目は魔法の使用は認められていません」


 試験官の言葉に両者は小さく頷いた。


「では、準備が宜しければ……」

「すみません」


 始め、の号令を言いかけた試験官をアリサは片手を上げて遮った。

 レオンハートの周りの男たちは、アリサが早速棄権でもするのかと騒めき立つ。対戦相手の男もそう思ったのか、ニヤニヤとした意地の悪い笑みが更に深くなった。


「何か?」

「いえ、武器の使用は自由だと聞いたので……」


 なるほどとレオンハートは思った。強大な敵に備えてアリサは武器を変えるらしい。棄権するよりはある意味武人らしい選択だ。


「では、早く準備武器を用意しなさい」

「あ、いえ。違います」


 急かす試験官にアリサ何故か否と答えた。その言葉に訝しむ彼を気にもせず、アリサは腰に携えた剣を引き抜き、地面に置いた。


「お願いします」


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