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亜人にされた少女  作者: 尾崎世奈
3/13

00-03 共鳴

 今まで生きてきた中で、これ以上無いほどの絶望を味わいながらありさはまた一日、川を下って歩いた。

 叫び出すほど動揺したありさだが、いつまでもクヨクヨと悩むよりも、今助かることが彼女にとっても何よりも優先すべきことだと気付いたからだ。

 再び丸一日歩いてお腹はギュルギュルとみっともない音を何度も立てたが、野草を口にする勇気はなかった。

 川の水でさえバイ菌が気がかりで、最初に口にしてから一、二回ほど喉を潤すためにしか飲んでいないのに、野草など食べて腹でも壊せば生存率が落ちてしまう。

 空腹に鳴る腹の音をBGMにフラフラと足取り危なっかしく歩いていたありさは、体力が限界に達しているのを感じて、日が暮れてきたこともあり少し体を休めることにした。


「はあ……」


 なるべく草花の少ない平らな木の根元を探してそこに腰掛け、幹に背を預けて踞る。

 季節柄幸いに寒くはないので、野宿をしても凍える心配はなかったが、やはり薄着では心許ない。

おまけに川で流された時に靴もどこかにいってしまったので、日中はともかく日が暮れると地面からじんわりと冷気を感じて、足先は徐々に冷たくなっていき、ありさは土にまみれた足裏を労るように指で揉み込む。

 まさに踏んだり蹴ったりとはこの事だと思うが、服や靴以上にありさが嘆いたのはやはり自分の体のことだった。

 朝方、自分の異様な耳と尻尾に、これ以上ないぐらい悲鳴を上げたありさだが、実は彼女の体の変化はそれだけに止まらなかった。


「小さい手……」


 己の手足を見つめて一人ごちる。

 自分で有る筈なのに、自分とは違う大きさの体。


「どうなってるの、これ?」


 そう、何故かありさは若返っていたのだ。

 身長や顔立ち、手足の長さや胸のサイズに至るまでの全てが変化しており、自分の過去の記憶を辿り思い出せば、見た目年齢はおそらく十歳ぐらいの頃の自分の姿。

 一体どこのファンタジーだと、ありさがその場で二度目の悲鳴を上げたのは、仕方がないことだろう。

 しかしながら、獸の耳に若返りとありさを誘拐した男たちは相当なレベルでヤバい。

 自分が聞いたことのない人体実験のオンパレードに巻き込まれたのだと察したありさは、もう何が何だか訳が分からず、悩みに悩んでみたものの、結論から言えば考えるのを放置した。

 先ずは森を出る。生き延びる。全ての話はそれからだ。


「お腹空いた……」


 腹の虫を宥めるように腹部を撫でながら、ありさはポツリと漏らす。

 呟いた次の瞬間。ゴホゴホと口から咳が飛び出して、ありさは口に手を当てて止まらないそれを幾度か繰り返した。


「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ、ハァ、ッ……ゴホッ、ゴホッ」


 喉奥に広がる痛み。頭痛はもう長い時間共にあるせいか、感覚が麻痺して辛いと感じることは少なくなった。

 ただどうしても一日の終わりに体を休める為、足を止めてしまうと、精神力では耐えがたいものが込み上げてきて、ありさの体をジワジワ侵食する。


「はぁはぁ」


 咳が止まり、ようやく通常の呼吸を手に入れると、ありさはゴツゴツした木の幹にもたれ掛かった。


――――家に帰りたい。家族に会いたい。


「駿……父さん、母さん……」


 恋人の名を呼べば、寂しさが胸を貫いた。

 会いたい。

 その思いは募るばかりで、恋人と家族以外にも、友人や会社の同僚。お世話になった学校の先生、しまいにはご近所に住んでいた気の良いおばちゃんのことまで頭の中に思い浮かぶ。

 今会えるならば誰でも良い。誰かと会いたかった。話したかった。触れて、抱き締めて欲しかった。自分が無事であると安心したかった。

 けれども、願いも虚しく、ありさの周りには体を冷やす外気が漂うだけで、そこに温もりなんてものは一切なかった。



*****



 頭痛がする。寒気がする。息苦しくて、体がダルい。

 いつの間にか落ちた眠りから覚め、うっすらとありさは瞼を開けたが、体が今まで以上に重たく、瞼も半分ほどしか開かなかった。


「うっ……」


 チラチラと入り込む光は、朝日なのか昼の太陽なのか判別がつかない。


「ウォーン」


 不意に、耳が犬の遠吠えを捉えた。

 犬なのか、先日あった狼なのか、ありさには分からなかったが、鳥の声以外を森で聞いたのは久しぶりで、ありさは心のどこかで犬の声に安堵した。

 一人暮らしをしていたアパートの周辺にも犬を飼っている人は何人かいて、飼い主と犬が散歩をしていると、元気な犬の声がよく聞こえてきた。うるさく思う時も稀にあったが、大概は可愛らしいものだったし、時間があれば撫でさせてもらうこともあった。

 だから、少しだけ血迷ったのだ。


「ウァオーンウァオーン」


 聞こえてきた遠吠えに応えるように、ありさは犬の鳴き真似をした。ちょっと今のは似てたなんて現実逃避をしながらも、もう一度鳴けば、それに返すように再び遠吠えが聞こえてきて、ありさはまた鳴き真似をする。


「ふふっ……」


 姿の見えない話し相手を思いながら、ありさは思わず笑う。

 元気の良いわんこだと、微笑ましい気持ちになりながら、ありさは半分しか開けなかった瞼を再び瞑る。

 耳に再び犬の声が聞こえた気がした。



*****



「ァ……ン!」


 再びありさの意識が戻ると、目を開ける前に感じたのは声だった。


「ウ……ッ!ウァ、ッ!ウァン!」


 入ってくるのは犬の鳴き声。


「ウァン!ワンッ!ワンッ!」


 元気の良い声はどんどん大きくなり、ありさの意識もそれに引きずられるように、目覚めていく。

 喧しいぐらいのはつらつとした声に笑うべきか、眠りを妨げられて怒るべきか悩んだありさだが、しばらくすると次第に大きくなっていった元気な声がピタリと止んだ。

 再び静かな空間に戻った森に寂しさを感じたありさだが、いつまでも眠っている訳にもいかず、そろそろ起きようと思った時だ。


「っ……あっ」


 体が動かなかった。正確には動けなかった。

 ゆっくりと目を開けると、別に拘束なんてされていない、意識を失う前の状態のままで、ありさは木の幹にもたれ掛かっていた。

 しかし、体は限界を迎えたのか、一ミリ単位も動かすことが出来ず、ありさは熱い吐息を吐き出す。

 動きたいのに動けない。


「寒い……」


 体が小刻みに震える。恐らくは風邪が悪化したのだろう。

 熱でボンヤリする頭。悪寒を感じる体をどうにかしたくても体はピクリとも動こうとしない。


「クッ、クゥーン。クーン」


 突然聞こえてきたのは、甘え声だった。

 ちょっと高めの、猫なで声のような犬の声。直ぐ側で聞こえたそれにありさは驚くが、周りを見渡したくてもありさは首すら動かせなかった。


「クゥーン。クーン、クーン、クゥーン」


 次第に鳴き声は大きくなり、ガサガサッと木の葉が擦れる音まで聞こえてくる。


「クッーン、クーン、クゥーン」


 声がする。何かを必死に訴えられているようで、ありさは朦朧とした意識の中で、犬に返事をするかのように鳴き声を真似て返した。


「クーン。クーン」


 小さい声だった。

 何しているんだろうと自分に自分で呆れながらも、今のはなかなか似ていたと自画自賛していると思うのは、それだけありさの思考がおかしくなったことを意味する。

 すると忽然と鳴き声が途絶えた。

 あれっと思ったありさだが、やはり鳴き声は聞こえて来ることはなく、再び静まり返った森の静寂に包まれて、ありさは悲しく、寂しい気持ちになった。


「……酷いな、どこって、言うから。答えたのに……」


 訊ねられ、答えたにも関わらず、スルーされてしまう物悲しさ。必死に答えた自分がバカらしくなり、ありさは再び瞼を瞑る。


――――ガサッ。


 音が聞こえたのはその直後だった。

 ありさの直ぐ側に生えていた草をかき分けて、茶色い毛に包まれた一頭の中型犬が姿を表す。

 犬は迷うことなくありさの元に歩み寄ると、ぐったりとした様子で木にもたれ掛かる彼女の匂いをクンクンと嗅いだ。

 野犬なのかと思ったが、不思議と狼と出くわした時のような恐怖は感じず、ありさは目の前の犬が人慣れしているのを感じた。


「おま、え……」


 どこの子だと話しかけようとした時。再びガサリと葉を掻き分ける音が聞こえる。


「おい、ジョニー勝手にどこへ……」


 それは間違いない人の声で、ありさは心の中で歓喜した。

 声の主はありさの目の前にいるわんこもとい、ジョニーの飼い主なのだろう。


「ジョニーその子は!」


 声からしてちょっと年配の男性。残念ながら警察官や自衛隊ではないようだが、この際誘拐犯でないなら誰でも良いとありさは思った。


「あぁ、一体どうして、こんな所に……」


――――それは私も知りたいぐらいです。


 心の中で答えつつ、ありさは相手に自分の身元をなんと言って説明しようか悩んだ。

 話せば長くなるのは確実だが、如何せん。今は長時間話が出来る余裕がなかった。

 虚ろな目でありさが視界に捉えたのは、心配そうにこちらを伺う白髪の男性。彼の瞳は日本人には有り得ない、空の色を宿していた。


「……っ、あ」

「喋れるのか?」

「っ、あ。は、っ……」


 声が掠れて上手く言葉が出なかった。それでもありさは何度か口を開閉し、ようやく何よりも口にしたかった言葉を紡いだ。


「たす、け。て……」



*****



 嫌な夢を見た。

 自分が誘拐されて、挙げ句奇妙な姿にされて、おまけに体が縮む夢だ。

 見知らぬ森に投げ込まれて、ありさは自分がどれだけ無力かを知った。

 一人ぼっちは辛い。人肌が、人の温もりが恋しいと思った。誰かに側にいて欲しい。そんな思いで胸を満たされた時だ。


「目が覚めたかい?」


 優しい声にありさは意識と、目覚めたばかりの視線を向ける。

 聞き覚えがある。だけど知らない人の声だった。

 白髪に、日本人ではあり得ない青の目。見たことのない木造で出来た簡素な部屋の中。


――――夢じゃない。


 落胆は凄まじかったが、その後に感じたのは紛れもなく喜びだった。


「起き上がれるか?」

「……っ、はっ、い」

「いや、無理はしなくて良い。君は丸一日眠っていたんだから」


 老人に促され、ありさは起き上がろうするが、体に上手く力が入らず再び倒れ込む。


「やはり、体を起こすのは辛いようだね。熱は大分下がったようだが、まだ休まないと、その前に食事と薬も」


 あれこれと言われているのを耳にするが、生憎ありさはそれを上手く理解することが出来なかった。

 思考は熱に溶かされたまま、ありさの思うようには動かない。


「あ、の……」

「ん?」


 声を出せば、老人は柔らかく目を細める。

 優しい笑みだった。


「こ、こは……どこ。ですか?」


 見える範囲の景色から判断すれば、おそらく病院ではないことは分かる。

 不安な思いを抱きながらありさが老人を真っ直ぐ見つめれば、老人はまた柔らかな笑みを浮かべた。


「大丈夫。ここには君を傷つける人はいない」


 安心しなさいと、老人はありさの前髪に手を伸ばす。軽く頭を撫でられて、ありさはまるで自分の祖父に頭を撫でられているような気がした。

 もう何年も前に、祖父には二人共会えなくなったと言うのに。


「大丈夫、大丈夫」


 大丈夫な根拠なんて一切なかった。

 ただ与えられる温もりが優しくて、ありさは再び深い眠りに落ちた。


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